2022年に安倍元総理を銃撃し殺害した罪などに問われている山上徹也被告(45)の裁判で、安倍元総理の妻・昭恵さんの上申書が読み上げられました。
山上被告はその間、うつむき加減で下を向き聞いている様子でした。
■安倍事務所から「夫が撃たれた」と連絡があり…
法廷で読まれた安倍元総理の妻・昭恵さんの上申書は次のようなものです。
【安倍昭恵さんの上申書より】
令和5年8月4日、夫、安倍晋三が奈良市内で応援演説中に撃たれてから1年が経過しました。先日つつがなく一周忌を終え、先祖代々の墓所に納骨しました。あの日の出来事や心情を話します。
7月8日朝、母のところで夫と3人で朝食を食べました。夫は行ってきますと元気にでかけていき、いってらっしゃいと見送りました。いつもどおりの朝でした。
自宅の3階にいたところ、安倍事務所から「夫が撃たれた」と連絡があり、「えー」と大きな声で叫び、テレビをつけると、夫が撃たれたニュースが映りました。
あまりの衝撃に理解が追いつきませんでした。
1人で東京駅行き、新幹線のチケットをとり、向かいました。
スマホを見ると、世界中の友人、知人から夫の命が助かることを祈るメッセージが大量にきていました。
その文章を読んで、夫の容態がよくないことを察しました。
電車と車を乗り継いで、午後5時少し前に奈良県内の病院に到着しました
■手を握り「しんちゃん、しんちゃん」と呼びました。握り返してくれた気がしました
夫の手を握り、耳元で「しんちゃん、しんちゃん」と名前を呼びました。
夫の体はまだあたたかく、手を握り返してくれたような気がしました。
待ってくれていたのだと思いました。
心臓マッサージをしてくれていたスタッフに「もう結構です」と声をかけて午後5時3分に息を引き取りました。
夢の中の感覚で、悲しい・つらいという気持ちすらなく、涙も出ませんでした。
夫の人となりは、真面目で優しい。立場に関係なく誠実で偉そうなことをいうことはなかった。
勉強家、努力家で、経済など様々な勉強をしていました。なかでも海外の演説では、スピーチライターの音声を録音して、自らも録音して繰り返し練習していました。
高齢となった母にいい思い出を作ってあげようと、屋上に出たり散歩をしたり母孝行をしていました。母を残すのは心残りだったと思います。
桜の季節に生きていれば、花見、ドライブに行っていただろうなどなにかにつけて、そういう思いがしばしば頭をよぎります。
■ただ夫に生きていてほしかった。長生きしてほしかった。妻としての思いです
夫は家族であり友人であり、同志でかけがえのない人でした。
潰瘍性大腸炎の特効薬が効かず、総理大臣を辞めましたが、別の薬で元気を取り戻し、最近は私と2人で飼っている保護犬のロンを連れて、たわいもない話をしながら、近所を散歩したりしていました。
元気に出かけた3時間半後に銃撃され、突然逝ってしまいました。
7月8日になくなり、これは平成3年に出馬したのと同じ7月8日。
父・晋太郎と同じ63歳でなくなったのは運命だ。祈ったにもかかわらず助からなかったのも運命。
「日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ」という夫の意思を引き継ぐことだけを考えてきました。
夫を思い出して、今でも涙が止まりません。逝去から1年経って、夫の親しかった人の顔を見ると夫を思い出します。
なぜ夫はここにいないのかと涙を止めることができません。
ただ夫に生きていてほしかった。長生きしてほしかった。
妻としての思いです