沖縄の三線に魅せられ、ルーツを探す旅へ
今年は沖縄からハワイへ移民が渡って125年という節目の年だ。8月にハワイで開催された「オキナワン・フェスティバル」で三線を演奏したのは、世界各国から集まった100人以上の安冨祖流朝一会の三線奏者たちだ。その中に、沖縄の音色に惹かれ、自らのルーツを探し続けてきたハワイ出身の県系4世、ケンテン王堂さんの姿があった。

知らなかった自分のルーツ
父親は広島の4世、母親は沖縄の3世という家庭に生まれたケンテンさんだが、ハワイの学校教育では日本の歴史は教えても、沖縄について一度も触れられることはなかった。「地図を見ても沖縄がどこか知らなかった」とケンテンさんは振り返る。「僕は半分ウチナーンチュ。ウチナーンチュって何?」その疑問が、彼を三線の世界へと導くことになる。

三線との出会いと師匠の教え
19歳の時に三線を習い始めたケンテンさんは、1993年に県費留学生として沖縄県立芸術大学に入学。古典音楽の研鑽を積み、人間国宝・照喜名朝一師範のもとで芸を磨いた。その努力は実を結び、わずか3年で教師免許を取得するまでに至った。

なぜ沖縄の古典音楽にそれほど惹かれたのか。ケンテンさんはその理由をこう語る。 「何でかは分からないけれど、歌いやすかった。照喜名朝一先生から歌詞の意味を習い、その意味に凄く感動した。なぜ何百年前の歌が今日まで意味が通じるのか、なぜ意味がそんなに深いのか。」
その頃、ケンテンさんは一つの夢を抱いていた。「いつかニューヨークのカーネギーホールで、古典音楽を演奏してみたい―」

夢の実現とその後の道
修行を重ねること15年。その夢はついに恩師・照喜名師範とのツアーで実現した。2019年、彼らはカーネギーホールの舞台に立った。「コロナの前の年だったから実現できた。もし1年後だったらできていなかったし、照喜名先生も2022年に亡くなられた」とケンテンさんは感慨深げに語る。「自分の夢だけど照喜名先生の夢でもあるから、本当に良かった」

その後、沖縄の古典音楽をさらに深く学ぶため、ケンテンさんは家族とともに沖縄に移り住んだ。現在は自宅で三線教室を開き、週に1日、10代から60代までの9人の生徒を指導している。

花火ではなく、木のようになれ
弟子たちと向き合う日々の中で、ケンテンさんの心に深く刻まれているのは恩師の言葉だ。「花火になるな、根を張る木になれ」

一瞬の輝きで消える花火ではなく、根を張る木のようになれ。その教えを胸に、ケンテンさんは照喜名師範から受け継いだ芸を弟子たちへと伝えている。その成果は着実に実を結び、孫弟子が新人賞を受賞するという花を咲かせた。

現在、ケンテンさんのもとには様々な背景を持つ生徒が集まっている。沖縄生まれでアメリカ育ちのケンジさんもその一人だ。「小さい頃に三線を聞いた時は特に何も感じなかった。でもアメリカに引っ越した時にそれがとても特別なものだと感じた。沖縄に戻ってきてレッスンを始めて、三線がどれほど特別なものなのかを理解できた」とケンジさんは語る。

文化の橋をかける
ケンテンさんの目標は明確だ。「みんなが自分の研究所を開いて、もっと弟子が増えて、次の時代も沖縄の古典音楽がハワイや外国で続いていくこと」それが彼の願いだ。

沖縄とハワイ、そして世界をつなぐ文化の橋渡し役として、ケンテンさんの三線は今日も奏でられている。彼の奏でる音色は、国境を越え、世代を超えて、確かに受け継がれていく。それは一瞬の輝きではなく、深く根を張った木のように、時を経ても色あせることのない文化の継承だ。
沖縄テレビ
