日本が太平洋戦争に敗れて80年の節目である2025年、山陰に残る戦争の体験や記憶を映像で残す企画を毎月、放送しています。
10月27日は、時代に翻弄された人形にスポットをあてます。
取材した福村翔平記者です。
福村翔平記者:
昭和初期にアメリカから友好の印として贈られた「青い目の人形」です。
全国の小学校に1万2000体以上が配られ盛大に迎え入れられましたが、戦争が始まるとともに敵国の人形として、そのほとんどが壊されてしまいました。
ただ、なかには国の破壊命令から逃れわずかに生き残った人形もあり、山陰にも現存しています。
山陰に今も残る人形に会い、その青い目が何を訴えかけてくるのか、取材しました。
散岐小学校:
こちらです。
仁摩小学校:
これがナンシーです。
今福小学校:
ずっと大事にしている青い目の人形です。
山陰に現存する青い目の人形。
中井孝子さん:
戦争する相手の国の人形だから叩けと言われた。
寿岡利子さん:
なんとかわいい人形だろう、これを焼くのはかわいそうだな。
小学生:
98年間も大切にされたり守られてきてすごいと思った。
それぞれが戦争に翻弄され、数奇な運命を辿ってきました。
青い目が捉えた光と影を追います。
「青い目の人形」は1920年代、移民問題による排日運動など悪化していた日米関係の改善を願って、アメリカの宣教師・ギューリック博士から親交のあった実業家・渋沢栄一を通じて日本に贈られました。
約1万2000体が全国の小学校に配られ、各地で熱烈な歓迎を受けました。
セルロイド製の人形は、金髪で青い瞳。
子どもたちにはとてもかわいがられたといいます。
しかし、日米開戦で環境は一変。
当時の新聞には恐ろしい見出しが…。
【毎日新聞 昭和18年2月19日より】
『青い目をした人形 憎い敵だ 許さんぞ』
「日米友好の親善大使」は「敵国のスパイ」に変貌し、小学校に対して、国は壊すよう通達したといいます。
証言があります。
中井孝子さん:
戦争が始まりまして、学校の生徒みんなを講堂に集まらせて青い目の人形を壇上に置いて、そしてそれを叩く。
倉吉市在住の中井孝子さん(91)。
全校児童が集まり1人ずつ順番に人形を叩いたといい、その手の感触をはっきりと覚えています。
中井孝子さん:
どこをどうしたか覚えてないけど、『叩き方が悪い、やり直せ』と先生に言われて
やり直しさせられた。それが嫌だったからその記憶だけが残っている。
約1万2000体もあった人形は、竹やりで体を突かれたり燃やされたりしてほとんどが処分され、今残っているのは全国でわずか300体ほど、山陰では島根と鳥取に2体ずつ、合わせて4体が命をつないでいます。
そのうちの1体が、鳥取市河原町の散岐小学校にあります。
絶対服従の「破壊命令」から逃れた青い目の人形。
焼却処分される寸前で、一人の女性が救いました。
当時、散岐小学校の教員だった歳岡利子さん(96)です。
歳岡利子さん:
ある日、同僚の先生から焼いて来いと言われた。捨てに行く途中で箱が落ちてしまって蓋が取れたんです。見たら人形があった。見たことがなかったけどなんてかわいい人形だろう、これを焼くのはかわいそうだな。
危険を冒してまで人形を隠し、守り抜きました。
歳岡利子さん:
学校の押し入れの奥のほうに同じような箱があるので、ここなら誰にも気が付かれずに残るだろうという推測でそこに押し込んだ。
それから40年以上経ち、物置の整理中に再発見され、今は校長室で静かに子どもたちを見守っています。
一方、戦争の「傷跡」がはっきりと残る人形もあります。
仁摩小学校・坂井務校長:
やはり戦禍のなかで髪がちじれて焼けて、ということもあったようです。
大田市の仁摩小学校で大切に保管されている人形。
その体に刻まれた傷は、どんな証言よりも生々しく戦争がもたらす狂気を伝えています。
今に至る経緯は不明ですが、坂井校長は生き延びたことに意味があると考えています。
仁摩小学校・坂井務校長:
敵性人形ではあっても人形に罪はないだろうということで、大事にしたいという温かい心の方がたくさんいらっしゃって、それで残っていると思う。仁摩小の子どもたちを温かく見守ってくれていると思っている。
そして、もう1体が浜田市金城町の今福小学校にいます。
校長:
キャサリンです。
実は、人形には1体1体に名前がつけられています。
最初に贈られてきたとき、人形にはパスポートが付けられていました。
このパスポートとともに、誰かの手によって屋根裏に隠されたキャサリン。
終戦の約25年後に校舎建て替えの際、偶然発見されました。
長い眠りから覚めたキャサリンは、新たな役割を担っています。
教室で児童を見守るキャサリン。
新たな役割とは、平和学習の教材です。
今福小学校では、青い目の人形と戦争の関わりについて学ぶ平和学習を長年行っています。
子どもたちは、「人形を壊せ」と命じられた当時の同年代に思いを巡らせ、キャサリンを通じて戦争がもたらす異常な生活や平和の尊さについて考えます。
「大切に守られてきたんだと分かりました」
「日米友好の親善大使」「敵国のスパイ」そして「平和の象徴」、時の流れとともに変容した青い目の人形。
その瞳に映し出される社会が二度と戦禍に見舞われない事を今、静かに訴えているようです。