「戦後80年過去を知る未来に伝える」です。
宮崎県宮崎市では戦没者を追悼する集いが開かれました。
京都から参加した男性は宮崎から出撃した兄の言葉を胸に平和への思いを語りました。
(宮崎市戦没者遺族連合会 関谷忠会長)
「二度と戦争はしてはならない。我々みたいな遺族を出してはならない」
「戦後80年みやざき市民のつどい」にはおよそ300人が参加しました。
つどいでは父を亡くした宮崎市戦没者遺族連合会の関谷忠会長が、残された母との暮らしを振り返り、戦後も続いた戦争の悲惨さを訴えました。
(宮崎市戦没者遺族連合会 関谷忠会長)
「ほとんど仕事もないということで母は路頭に迷った」
宮崎市戦没者遺族連合会では、この10年で会員がおよそ半分の405人になりました。
若い世代への継承が課題で、23日は小学生による平和学習の発表も行われました。
(赤江小学6年生 日野星奈さん)
「若い世代の私たちが戦争についてしっかり学び、戦争で実際にあった出来事を、周りの人や友達と話しあってみることが戦争の記憶を風化させないことにつながる」
(早瀬純哉記者)
「市民プラザの4階では、宮崎市の戦争の歴史を知ることができる資料展が開かれています。きょうは集いに参加された戦没者遺族の方もいらっしゃっています」
三宅順一さん93歳です。
兄・文夫さんを慰霊するために京都府から訪れました。
文夫さんは1945年5月に現在の宮崎空港から陸上爆撃機「銀河」に乗り特攻。
そのまま帰らぬ人となりました。
三宅さんは出撃前に交わした文夫さんとの会話をはっきりと覚えていました。
(三宅順一さん)
「「弟、妹たちをみんな、後を頼む。これから飛び立っていくから、お前にみんなを託すぞ」と言われて、それからその言葉が頭から離れない。戦争はもう二度としたらいけない」
終戦から80年。戦争を語り継ぐ機会が急速に失われるなかで、平和の尊さを考えるつどいとなりました。