映画館といえば、1つの施設に複数のスクリーンを備えたシネマコンプレックス“シネコン”が主流ですが、かつては1館1スクリーンの「街角の映画館」が全盛で、街のにぎわいに一役買っていた時代がありました。
そうした往時の姿をよみがえらせようと、松江市では10月12日、1日限りの映画祭が開かれます。
開催に向け奮闘する人を取材しました。
松江水の都映画製作委員会・花田裕司会長:
「今、街の映画館がこの白潟地区には一件もない。松江市にも一件もない。そういった街の中の映画館を再現出来ないかなと」
花田裕司さん61歳、会社員として働く傍ら脚本を書き、これまでに何本かの映画を自主製作しています。
その花田さんが街角の映画館の全盛期の賑わいをよみがえらせようと、映画祭を企画しました。
その名も「松江白潟映画祭」です。
かつては通り沿いには多くの商店が軒を連ねていましたが、松江駅周辺に大型店が進出したことなどにより、今では日中も人通りが少なく、当時の面影はありません。
2023年、約30年ぶりに「土曜夜市」を復活させるなど賑わいづくりの取り組みが進む中、「映画」をテーマに街に賑わいをとりもどそうと考えました。
映画祭では、かつては映画館もあった白潟地区を中心に、6つの会場で松江が舞台となった作品など40本の映画が上映されます。
松江水の都映画製作委員会・花田裕司会長:
「こちらが当時、松江国際と松江すばるがあったビルです」
会場の一つが、白潟地区にあるこの空きビル。
松江水の都映画制作委員会・花田裕司会長:
「僕の映画の原点といってもいいかもしれません」
1968年、昭和43年ごろ、ビルの1階と2階に映画館がオープン。
当時は洋画が上映されていたといいます。
また少し歩くと…。
松江水の都映画制作委員会・花田裕司会長:
「ここは元々東宝系の映画館がありまして、けっこう大きな映画館だった。ここで、東宝なのでゴジラが上映されていました」
JR松江駅近く、場外舟券売り場「ボートピア」があるこの場所にも、かつて映画館があったそうです。
松江水の都映画制作委員会・花田裕司会長:
「こちらは日活ロマンポルノ大人向けの映画館がありまして、僕が小さいころは色々と作戦を練って入ろうとするんですけど、ことごとく跳ね返された」
映画館は子どもたちにとってちょっと背伸び、大人の世界を垣間見る場所でもありました。
約60年前、1961年の松江市の地図では、宍道湖岸の国道431号線は「計画中」。大橋川にかかるのは、松江大橋と新大橋だけ。
くにびき大橋も宍道湖大橋もないこのころの地図を見ると、当時の中心街には「映画館」を示す文字。
「街角の映画館」がいくつもあったことが分かります。
松江水の都映画制作委員会・曽田邦之さん:
「子どもたちに見てもらいたい」
今回の映画祭の上映作品で、監督兼主役を務めた曽田邦之さん。
飲食店のマスターで、役者でもあります。
花田さんと中学時代の同級生で「白潟映画祭」を支えるひとりです。
松江水の都映画制作委員会・曽田邦之さん:
「子どもたちに源助柱の話を聞いたことあるって聞いたら、知らないという人が結構多くて」
曽田さんが製作したのは、小泉八雲夫妻がモデルのドラマにも登場する松江大橋の「人柱」になった源助についての言い伝えや、宍道湖に浮かぶ嫁ヶ島の伝説など、松江に伝わる物語をモチーフにした映画。
若い世代が、こうした地域の伝承を知るきっかけになればと考えています。
松江水の都映画制作委員会・曽田邦之さん:
「エンターテインメントがないと面白くないので、エンターテインメントがある街に戻していきたい」
松江水の都映画制作委員会・花田裕司会長:
「一番は松江の地元の方に松江って昔はこんなんだったなともう一度認識して欲しい。賑わいにつながるヒントになる人たちに集まって欲しい」
映画を通じて、街角に映画館があった時代の輝きをよみがえらせ、街に活気を取り戻したい。
そして、松江を“新しいドラマが生まれる街”に…そんな映画好きたちの思いがつまった「松江白潟映画祭」は10月12日に開かれます。