八代市出身のノンフィクションライター、澤宮 優さん。さまざまな題材を取材し、作品を発表しています。ふるさとに残る戦争の記憶を伝えようと取材する澤宮さんの思いに迫ります。

(2月/八代市鏡町 鏡コミュニティセンター)

【ノンフィクションライター 澤宮 優さん】
「銅像や家に残っている資料とか、そういう何気ない物の中から、実は教科書とか歴史の専門書にないような戦争の真実みたいなものが見えてくるんじゃないかと思っているんです」

八代市出身のノンフィクションライター、澤宮 優さんです。神奈川県在住で、この日は八代市鏡町出身の陸上競技・谷口 睦生 選手の取材のために鏡コミュニティセンターを訪れ、関係者から話を聞きました。

谷口選手は、関西大学在学中にベルリンオリンピックの陸上男子200メートルの日本代表として出場。2次予選まで進みました。

大学卒業後、谷口選手は八幡製鉄所で働き、太平洋戦争に出征。

1943年10月、乗っていた船に砲弾が直撃し、戦死しました。(享年30)

自己ベスト
100メートル 10秒4
200メートル 21秒2

【NPO法人八代体育協会 藤本 哲治 副会長】
「私が中学3年のときに東京オリンピックが1964年にあったわけです。そのときに(谷口選手の)銅像を建てた記念として、駅伝大会があって、私も走ったので思い入れがあります」

澤宮さんは、谷口選手の生涯を書くことで、その功績と戦争が否応なく庶民の命を奪うことを伝えたいといいます。

【澤宮 優さん】
「お話を伺って、谷口さんに肉付けができて、〈生きた一人のアスリートとして蘇ってきた〉という思いがします」

【NPO法人八代体育協会 藤本 哲治 副会長】
「今になって、谷口選手を取り上げてもらうことは皆さんに分かってもらうためにはよかったのではないかと思います。私たちもいろいろな場を借りて、顕彰活動をやっていければと考えています」

澤宮さんは以前、テレビドラマや映画のシナリオライターを目指していました。

東京の大学に通いながら、シナリオスクールで勉強。卒業後は大学の職員として働きながらシナリオの勉強を続け、やがて、ノンフィクションを手がけるようになりました。

そして、戦死した熊本出身の名捕手・吉原 正喜の生涯を追った『巨人軍最強の捕手』でデビュー。スポーツや戦争、歴史など幅広い題材を取材したノンフィクション作品を数多く発表しています。

成功したヒーローや勝者ではなく、敗れ去った者や影に隠れた存在を発掘し、光を当ててきました。その作風は育った環境が大きく影響しているといいます。

【澤宮 優さん】
「家が雑貨店をずっとやっていて、高度経済成長の波に押されて店が売れなくなっていく。いっぱいスーパーとかできて、お客さんが離れていくと。生活の格差みたいなものが感じられて、すごく傷つくことが多かったように思います」

考古学に興味を持つものの周りに理解されず、友人はいませんでした。そんな澤宮さんを支えたのは、小学校のときの担任の先生の存在でした。

【澤宮 優さん】
「作文の教育を受けたんです。考古学も非常に詳しい先生だったので、いろいろな遺跡の見学にも連れて行ってくださったんです。そういう中で日記を毎日、書かされるわけです」

先生の感想は、日々の生活態度をたしなめるものが多かったそうです。そんな中、6年生のときのある日の長い日記を初めてほめてくれたことを今も覚えています。

【澤宮 優さん】
「発掘中の遺跡を見に行ったんです。奈良時代のお寺の瓦を造った跡で、考古学の専門家の方が説明してくださって、これだけ日記を書いたときに、初めて先生から『よくやった。こんな充実した日は少ないだろう。この古墳への興味を本物にしなければならないね。勉強して』という、書くことを通して体感させていく教育だったと思います。あの先生がいなければ、今の自分はなかったと思います。影の存在の中で、いじけたり、愚痴だけ言うのではなくて、そこで歯を食いしばって頑張っている人間たちに対する共感であったり、光を当てることが一つの自分のテーマになっていったわけです」

澤宮さんは去年、『あなたの隣にある沖縄』という作品を出版しました。私たちの暮らしの中で沖縄と深い関わりがあるものに注目し、その歴史や沖縄が抱える問題を見つめ直す作品です。最初に取り上げているのは戦時中の沖縄学童疎開です。

【澤宮 優さん】
「『対馬丸事件』という(攻撃されて)沈没して、沖縄からの学童疎開者が多く亡くなったという事件を知りました。それが実は熊本方面に向かっていたことを知った時にすごくびっくりしました」

1944年、国は沖縄県の約10万人の疎開を計画。九州では、熊本、大分、宮崎が受け入れ、熊本への学童疎開者は教師などの関係者も含めて、約3000人でした。

現在の阿蘇市・山鹿市・八代市・水俣市・芦北町・八代市への学童疎開者が最も多く、理由は日奈久温泉があり、旅館で多くの疎開者を受け入れることができたからでした。

疎開してきた児童は、現在の日奈久小学校に通いました。

【澤宮 優さん】
「(疎開児童は)昭和19年の夏に沖縄から来たんですが、その年の冬は何十年ぶりかの大寒波が襲って、雪が積もったらしいんです。本当につらかっただろうなと、ここに立って改めて思いました」

日奈久小では現在も5月の運動会では「沖縄」をテーマにしたプログラムがあります。また、当時のことを知る人から児童たちが話を聞く機会も設けられています。

【6年生 今井愛華さん】
「平和を願う気持ちで楽しく踊ることができました」

校長室には、かつて沖縄からの学童疎開があったことを物語る品々があります。

【澤宮 優さん】
「戦争が終わって、沖縄に帰ったときにみんなは親が迎えに来るのに自分だけ誰も迎えに来てくれなかった。家は焼けて何もない。家族はみんな死んでしまった。(そんな子が)熊本でお世話になった人の養子になったり、知り合いを頼って、海外に行ったケースもありました」

7月、熊本市で熊本と沖縄の子どもたちがそれぞれの伝統文化を披露する交流イベントがありました。

沖縄の子どもたちは伝統芸能『エイサー』を披露。

最後はみんなが一緒に踊り、子どもたちの笑顔がはじけました。熊本の子どもたちが沖縄に心を寄せたひとときでした。

【澤宮 優さん】
「私は、今の子どもや若い方々が大人になってからでも、これから10年、20年たっても語り継がれていくような戦争の記憶を伝えていける本づくりができたらいなと思います」

テレビ熊本
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