天皇皇后両陛下と長女の愛子さまは12日午後、長崎に到着し、爆心地公園で原爆犠牲者を追悼された。戦後80年の「慰霊の旅」の締めくくりとなる今回のご訪問。両陛下がそろって長崎を訪れるのは皇太子時代以来29年ぶりで、即位後は初めてだ。愛子さまも初の長崎ご訪問で、被爆者との懇談なども行われた。
愛子さま初の長崎ご訪問 沿道から「愛子さま」の声
両陛下と愛子さまは12日正午過ぎに特別機で長崎空港に到着。出迎えた大石知事などとあいさつを交わされた。

空港では、集まった多くの人たちに笑顔で手を振られた。

沿道でお迎えした人は「お三方を見られるのは空港が確実かなと思ったので頑張ってきた」「両陛下と愛子さまが笑顔でいられてこちらまで笑顔になった」「場所場所でお心を通わせているのではないかと思う」と、感激した様子だった。

今回は愛子さまにとっても初めての長崎ご訪問。一目見ようと、沿道には子供から大人まで多くの人達が詰めかけた。予想以上の人出で、用意した小旗は足りなかったという。
沿道の人は「長崎の復興した街も見ていただくのはもちろん、原爆が投下された1945年当時の姿も感じていただけるとありがたいと思う」と語った。

沿道から「雅子さま~」「愛子さま~」と声が上がると、微笑みながら手を振り、応えられていた。
原爆犠牲者へ追悼
ご一家は午後3時過ぎには、長崎市の爆心地公園をご訪問された。

原爆落下中心地碑に花束を手向け、深く拝礼された。

鈴木市長から説明を受けた際、愛子さまは浦上天主堂の遺構について「被爆直後も信者は浦上天主堂で祈りを捧げたのですか」と質問されたという。
鈴木史朗市長は「信者の皆さんは被爆直後も自ら傷ついていても、信仰の心を忘れず、神に祈りを捧げたと聞いておりますと答え申し上げた」と話した。
愛子さま「どのようなことを次世代に受け継ぎたいですか」
原爆資料館では、原爆の熱線や爆風、放射線による被害の広がりを示したジオラマについて、井上琢治館長からの説明をお聞きになった。

陛下は時折質問しながら、ご覧になっていた。
その後、被爆者や平和活動を行う若者の代表と懇談された。2024年にノーベル平和賞を受賞した日本被団協の代表委員を務める田中重光さん(84)は、陛下からノーベル平和賞の受賞についてねぎらいの言葉がかけられた。

「両陛下ともに社会の出来事に関心を持っていらっしゃることがよくわかった。感激と責任の重さを感じ、核兵器廃絶のためにもうひと踏ん張りしたい」と語った。
愛子さまは「どのようなことを次世代に受け継ぎたいですか」とお尋ねになったということで、田中さんは「継承の大切さについて、私たちと同じ思いでいてくださっているとわかって嬉しかった」と話した。

被爆者はみな、被爆地に天皇ご一家が揃って訪問されたことについて「大きな意義がある」と語り「思いを寄せていただけたことに感謝の気持ちを伝えた」と話していた。
5500個の提灯で歓迎 ダブルレインボーで歓迎ムード高まる
夜には長崎県庁の屋上広場で、天皇ご一家を歓迎する「提灯奉迎」が行われた。

お出ましを待つ中、宿泊先のホテルの上空に虹が架かり、歓迎ムードもさらに高まった。

午後7時過ぎ、両陛下と愛子さまが提灯を持って窓辺に姿を現すと、参加者は5500個の提灯を揺らし、明かりを落とした部屋からご一家も提灯を揺らしてお応えになった。

参加者からは「通じ合った気がして嬉しかった」「私たちが提灯を振ったのに応えてくださったのですごく温かい気持ちというか嬉しい気持ちになった」と話していた。
陛下「感謝、感激」「提灯の灯りがとてもきれいに見えた」
提灯奉迎の後には花火が上がり、ご一家も観覧された。

陛下は次のようにお言葉を贈られた。

「提灯で迎えていただき感謝、感激しております。稲佐山を背に長崎のまちが浮かび上がり、皆さんの提灯の灯りがとてもきれいに見え、そして皆さんの万歳の声も本当によく聞こえて嬉しく思いました。こちらからも花火が美しく見えました。暑い日が続いておりますので、皆様くれぐれもお身体を大切になさってください。どうもありがとうございます。」
13日は「恵の丘長崎原爆ホーム」をご訪問後、長崎県美術館で全国障害者芸術・文化祭の作品展をご覧になった。14日は佐世保市で開かれる「国民文化祭」(ながさきピース文化祭)の開会式にご出席される。13日も行く先々で多くの人が集まり、歓迎ムードに包まれていた。
(テレビ長崎)