雪の日の折立で断ち切られた日常

2024年2月21日、昼前。うっすら雪が積もった仙台市西部・折立の住宅街は、普段と変わらぬ静けさに包まれていた。だが、その家の玄関先では、この地域の穏やかな日常を断ち切る出来事が起きていた。72歳の住人・大塚修さんが自宅で暴行を受け、命を落とし、現金1400万円が消えたのである。

容疑者として逮捕されたのは、住宅リフォーム会社の従業員だった佐藤加寿也(45)。依頼主の家を知り尽くした担当者が、越えてはならない一線を越えた事件だった。

仙台 折立強盗致死事件ルポ 前編
仙台 折立強盗致死事件ルポ 前編
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「一年を通して仕事がしたい」秋田から仙台へ、そして生活苦

佐藤は1980年、秋田県大館市に生まれ、高校卒業後は地元の工務店で大工として働いた。結婚し、子供にも恵まれたが、家計は苦しく借金が膨らんだ。

法廷で佐藤は、こう語っている。
「秋田にいると冬場に仕事が減る。一年を通して仕事がしたいと考えて仙台に出てきた」

仙台でリフォーム会社に職を得て、震災後の需要増に忙殺された日々もやがて落ち着き、収入は減った。
「仙台に出てきて2年で震災が起きた。リフォームバブルで忙しくなったが、3年ほどでその流れが落ち着いて収入が減っていった。生活が苦しくなって、カードで借金を重ねた」

さらにコロナ禍で仕事が減り、「このままではリストラされるのでは?」と不安を募らせていった。
その延長線上に事件はある。だが、それで命が奪われた事実の重さが軽くなることはない。

送検される佐藤
送検される佐藤

被害者との接点 「家族の集う家」をつくるはずだった

被害者との出会いは「仕事」だった。子や孫が集まれる場所をつくろうと、大塚さんはリフォームを決意。最初の工事は2023年6月。担当者は佐藤である。
その初日、段取りと異なる事態が起きる。依頼人側の私物が片付いておらず、合意のうえで佐藤が片付けを手伝うことになった。
「最初の仕事がいらなくなった家具の解体だったが、私物が片付いていなかった」

そして偶然は、唐突に訪れる。
「家具の中から私物のカバンが見つかった。口が開いていて中に現金があるのを見てしまった。(現金は)大きな束で2つ。2000万だと思う」

驚きに息をのむ。佐藤は「気づかないふり」をしてカバンを寄せ、大塚さんは慌てて持ち去った。以後、佐藤は「お金のことは思い出さないように」と自らに言い聞かせ、工事に集中した。

しかし、この時芽生えた思いを、彼は自分の心の中に封じ込めることができなかった。

現場となった大塚さん宅
現場となった大塚さん宅

二度目の工事 よみがえる「札束の記憶」

1回目の工事が終わり接点は途切れたが、数カ月後の二度目の工事で再び大塚さん宅を訪れた時、封じ込めていたはずの思いが解かれた。
 「2月15日に手すりの取り付け工事で被害者の家に行った。そこでお金があったことを思い出した。あのお金はどこに行ったのかとか、何のお金かとか」

思考はやがて妄想へと姿を変える。
「自分のものにできないか?どうやったら自分のものにできるか、など妄想していた」

その妄想は現実のものとなる。事件の5日前と前日、佐藤は休日を使って被害者宅周辺を訪れ、様子をうかがった。
「その時には(被害者宅のお金が)気になっていた。被害者が家にいるかとか、そういうのを見に行った。盗ろうという気にはまだなっていない」
「日に日に気持ちが高まっていった。葛藤を抱えながら被害者宅周辺に行っていた」

そして16日にはナップサックや帽子、マスクを、20日には結束バンドや消毒スプレー、ニッパーを100円ショップで購入した。本人は「日常の仕事で使うものだった」と述べたが、結果としてこれらは犯行に使用されることになる。

佐藤は事件前、現場周辺の様子をうかがっていた
佐藤は事件前、現場周辺の様子をうかがっていた

葛藤「犯罪だからやっちゃいけない」と「自分のものにするには」

事件当日。雪が舞う。佐藤は車で折立へ向かった。
「『自分のものにするにはどうしたら?』と『犯罪だからやっちゃいけない』という葛藤があった」

大塚さん宅の車が見当たらない。以前の工事の記憶がよぎる…大塚さんの妻は一人で車で出かけることがあった。さらに、大塚さんが足を引きずっていたことも覚えていた。
「6月の工事の時、奥さんだけ出かけていた。旦那さんがいるかもと思った」
「相手が年配で抵抗がないだろうと安易な考えだった」

家の前で1時間ほど逡巡した末、佐藤は帽子とマスクで顔を覆い、傘を差して玄関へ。
「玄関の前でインターフォンを鳴らした。中から旦那さんの声が聞こえた。(旦那さんが)いるのが分かって、玄関を開けてくれるのを待った。なかなか出てこないから、玄関を開けた。鍵はかかっていなかった」

扉の向こうに立つのは、見知った依頼人だった。
「目の前に旦那さんが立っていてびっくりした。旦那さんもびっくりしていた」

事件直後とみられる現場(視聴者提供)
事件直後とみられる現場(視聴者提供)

「とっさにタックル」 長いもみ合い、そして急変

次の瞬間、彼は一線を越えた。
「とっさにタックルをして倒した」

大塚さんは尻もちをつきながら必死に立ち上がり、近くの木製の台を手に取る。二人は台を奪い合い、激しく動き回り、何度も倒れ込む。
「(争っていた時間は)体感で15~20分程度」
「台を取り合っている中、台がお互いの顔や頭、体に当たった。お互い倒れこんでいた」
「2回以上はお互い倒れていた。私はマスクをしていたので息苦しくなって酸欠になり、目の前が真っ白になった。その後の記憶がない」

弁護人が問う。「意識が戻った時は?」
佐藤は「私が立っていて、旦那さんは横になって倒れていた」と答えた。

大塚さんは3年ほど前に冠動脈バイパス手術を受け、狭心症や重度の糖尿病、高血圧を抱えていた。突然の暴力と極度のストレスは、虚血性心疾患の状態を誘発し、急性循環不全へ。そのまま、命の灯は消えた。

安否を確かめず “あのバッグ”を探して

佐藤は安否を確かめることはなかった。真っ先に、かつて目にした大金の入ったバッグを探すためである。やがて彼は現金約1400万円を見つけ、持ち去った。

雪は静かに降り続いていた。外から見上げる家は、いつも通りの静かな家にしか見えなかった。だが内部では、二つの家庭の運命が、決定的に変わってしまっていた。

「家族が喜ぶのではないか」 動機の自白へ

公判で佐藤は、自らの動機をこう語っている。
「生活に余裕がなく、大金を見つけて、これがあれば家族や子供が喜ぶのではないかと思った」
家族を言い訳にした言葉は、このあとに続く「被害者遺族の声」と鋭く反照することになる。

後編では、加害者家族の慟哭、遺族の怒りと悔恨、そして判決の言い渡しを伝える。


※本稿は、傍聴した記者の詳細な法廷記録に基づいて構成した。発言引用はすべて公判で示された供述・証言を記載した

2025年8月25日 初公判の廷内
2025年8月25日 初公判の廷内
仙台放送
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