岩手県大船渡市の山林火災発生から8月26日で半年。
被災した綾里地区では8月、地元の若者が6年ぶりに夏祭りを復活させました。その夜、町は再生を願う人々の熱気であふれました。
8月14日、大船渡市三陸町綾里で開かれた夏祭り。
実行委員が手作りしたやぐらを囲み多くの住民が年に一度の祭りを楽しんでいました。
綾里夏祭りは、伝統的に25歳を迎える地元出身の若者が実行委員を務めていて、この日にかける思いには並々ならぬものがあります。
実行委員経験者(70)
「同級生が(綾里から)離れていたのが、その年には帰ってきてみんなでやる。伝統ですね」
実行委員 木下拓会長(29)
「来れば楽しめる場所、毎年来ていた。25歳になったら(自分も)やるんだろうなと思っていた」
山林火災では大きな被害があった綾里地区で、6年ぶりとなる今回の祭りにはひときわ特別な思いがあります。
実行委員 東川今さん(27)
「私自身も自宅が被災してしまって落ち込んでいたが、その次に綾里の地域をどう盛り上げていけば良いかと思った時に、夏祭りが思い浮かんだ」
大正時代に始まったとされる綾里夏祭り。前回開かれたのは100回目となった2019年でしたが、その翌年から新型コロナウイルスにより中止が続きました。
そうしたなか、2024年の秋ごろ、本来2020年以降に実行委員を務めるはずだった世代が声を上げ、夏祭りを復活させようと動き出しました。
しかし、2025年2月に発生した山林火災で綾里地区は甚大な被害を受けました。
多くの住民が避難を余儀なくされ、全壊の41棟を含む68の住宅が被害に遭いました。
実行委員の中にも被災した人がいます。市内の飲食店で働く東川今さん27歳です。
家族5人で暮らしていた自宅は全焼。現在はがれきが撤去され、更地の状態となっています。
東川今さんは「このへんが玄関ですね。こっちが茶の間になっていて…」と全焼した自宅跡地で説明します。
東川今さん
「思い出の品だったり写真とか卒業アルバムとか、色々自分の部屋にもしまい込んでいたので、どうにか持ち出せたら良かった」
現在は仮設住宅で暮らす東川さんですが、不安が尽きない日々のなかでも夏祭りへの思いは途切れませんでした。
東川今さん
「こういうことがあったからこそ、みんなが楽しめる場所を提供したり、私自身も楽しみながらできる場所作りを今回目指してきたのでそれに向けて頑張ってきた」
火災の直後、地区では祭りの開催に反対の声もあったものの、「綾里に元気を取り戻したい」という東川さんら若者の思いに理解が広がり、最終的には実施が決定しました。
実行委員のメンバーは3月から週に2回、地区の公民館に集まり、当日の役割分担を決めたり会場の飾りや看板を作ったりと準備を重ねてきました。
東川今さん
「地元の方たちが応援してくれるので、やぐらの前でいろんな人たちがいて、笑顔で祭りを楽しんでいる姿が見られるのが楽しみ」
そして迎えた祭り当日。
東川は「祭り当日を迎えてドキドキもあるが、みんなで良いものにしたいと頑張っているので成功させたい」と意気込みを語りました。
夕方に差し掛かると集まる人の数が徐々に増えていきます。
やぐらの上に組まれたステージでは地元の子どもたちが元気いっぱいのダンスパフォーマンスを披露。
綾里の伝統芸能鬼の面をかぶった男たちが力強く舞う剣舞が会場を盛り上げます。
ボールすくいや輪投げ、かき氷などを楽しめる縁日コーナーも子どもたちに大人気。わたあめ売り場で対応する東川さんも終始笑顔です。
この日、会場にはお盆で里帰りした人を含め約2000人が集結、仮設住宅で暮らす人たちも訪れていました。
自宅が被災した泉惠さんは「綾里という町の元気、パワーを改めて感じることができた。私たちの気持ちも明るく前向きになることができるので、復興へのさらなる第一歩としてすごく喜ばしいこと」と話していました。
周辺住民からは「火災があってから皆さん元気な姿が見られたのでとてもうれしい」との声が聞かれました。
日が暮れてくると、祭りはいよいよクライマックス。「盆踊り」と銘打った時間帯にはみんな思い思いの踊りを楽しんでいました。
山林火災に負けず復活を果たした綾里夏祭り。
住民たちにとっては、被災後も変わらぬふるさとへの愛を確かめ合うひと時となりました。
実行委員 古川翔太さん(29)
「私も自分の会社が被災している中での活動ではあったが、東川さんの力強い『私一人でもやります』というセリフにみんな引っ張られて、最高の祭りにしようと準備を重ねて、きょうを迎えることができたので、綾里も少しは元気になったと思う」
実行委員の中心となった東川さんも、山林火災以前の笑顔を取り戻しました。
東川今さん
「本当にやって良かった。私一人だけでは成し遂げられなかったことなので、この先一生忘れられない記憶。人と人とのつながりがあってここまで成長できたと思うので、これを糧にしつつ自宅も再建できたら」
まだまだ始まったばかりの復興への道のり。
しかしこの日取り戻した熱気が再生への糧になることを若者たちは確信していました。