15日午後、東京で戦没者追悼式に出席する遺族が4世代にわたり平和への思いをつないでいます。
手紙に書かれた「大元気」という文字。
これは激戦地にいた父親が、疎開中の娘にあてたものです。
手紙を受け取ったのは、都内に住む志村俊子さん(93)。
志村俊子さん:
(写真を見せて)これが父。くつろいでいる父ですね。最後の写真ですね。家族全部の。
俊子さんの父・市丸利之助さんは、壮絶な地上戦が行われた硫黄島で、海軍の司令官として指揮を執りました。
亡くなる直前には、当時のアメリカのルーズベルト大統領に宛てた手紙を書いたことでも知られています。
手紙は硫黄島で発見され、日本が置かれた状況を説明するものとして、アメリカでも大きく報道されました。
志村俊子さん:
父が帰ってくる日になると、私が学校で「今日、お父さま帰ってくるよ」って走り回って言ってたらしいんですよね。本当に父が帰ってくると、みんなで楽しみにしていた。
しかし、利之助さんは硫黄島で壮絶な最期をとげます。
志村俊子さん:
(硫黄島の)ニュースがあって、その時は妹と2人で手を握って泣いた覚えがありますね。お父さまもいっちゃったんだねって。
俊子さんは戦後、戦争を繰り返してはならないと、硫黄島遺族会を立ち上げ平和の必要性を訴えてきました。
その思いは、俊子さんの娘の高子(63)さんや、孫の星来さん(30)、星来さんの子どもの清凪くん(4)たちにも引き継がれています。
志村高子さん:
疎開先での苦労とか、祖父が戦死した後の(母の)育ってきた環境のこととかを聞くと、そういった(平和への)思いが強くなりますね。
家族は例年、全国戦没者追悼式に参列していて、2024年に清凪くんは最年少の遺族として初めて出席しました。
酒井星来さん:
私自身も小さい頃から硫黄島の遺族会の参拝のお手伝いをして、成長するにつれだんだんああいうことだったんだなというのが後から後からわかっていたので、清凪にも今からそういう体験をさせたいという気持ちでいます。
4世代目につなぐ「平和」への思い。
一家は、2025年も戦没者追悼式に出席します。
志村高子さん:
戦時中を体験している母から話も聞ける本当に最後の貴重な話になると思うので、娘、孫たちにも伝えながら、(戦争を)繰り返さないということを改めて思っています。