8月6日の「原爆の日」に合わせ、長野県内の中学生が広島を訪れ平和記念式典にも参加しました。先の大戦の記憶や教訓の継承が課題となる中、若い世代は何を感じたのでしょうか。

8月6日午前8時15分、「平和の鐘」が鳴り響きます。

被爆80年、広島で開かれた平和記念式典。「核兵器の廃絶」と平和への思いを新たにしました。

80年前の8月6日午前8時15分。広島に世界で初めて原子爆弾が投下されました。街は焦土と化し、その年だけで14万人が亡くなりました。

あの悲劇を繰り返してはならないー。

ただ、被爆者の平均年齢は86歳を超え、体験を直接聞くことが難しくなってきています。記憶や教訓の継承が課題です。

広島の小学生はー

(平和への誓い)
「被爆者の方々の思いを語り継ぎ、1人1人の声を紡ぎながら、平和を創り上げていきます」

「継承」していくのは広島の子どもだけではありません。式典には長野県内の若い世代も参加していました。

諏訪市立上諏訪中学校 小松健さん:
「ずっと戦争は日本のことしか考えていなかったけど、(初めて)式典に参列して、世界が平和になることが一番だと感じた」

諏訪市立諏訪中学校 樋口雄大さん:
「戦争のない世界で幸せに安心して暮らせるように(願った)」


7月25日、諏訪市役所で地元の中学生が戦争や平和について学んでいました。

諏訪市立上諏訪中学校 小松健さん:
「先生が思う戦争とは何か、平和とは何かを聞きたいです」

元高校教師 川島弘さん:
「戦争は人類の最も愚かな行為だと思っています。生まれてきてよかったと素直に思えるような、これが平和だと思います」

市は毎年、「原爆の日」に合わせて広島へ中学生を派遣しています。被爆80年の今年(2025年)は8人が選ばれました。事前学習では原爆がもたらした被害などについて詳しく学びました。

講師は下諏訪町出身の元高校教師・川島弘さんです。

被爆した子どもたちの体験をまとめた「原爆の子」の作者で広島で教授時代に被爆した茅野市出身の長田新を研究し、平和教育の活動をしています。

原爆で焼け野原となった広島。犠牲者には若い世代も多くいました。

元高校教師 川島弘さん:
「戦争は何らかの理由で大人が始める。そして誰が犠牲になるかというと、子ども、女性、社会的弱者です」

中学生はー

諏訪市立上諏訪中学校 小松健さん:
「(実際に広島で)原爆の悲惨さや平和の意味を知れたらいい」

諏訪市立諏訪南中学校 麦島沙音さん:
「広島ではまだ自分が学んでいないことを肌で感じて、現地でしか見られないものをみて、自分の中の平和への思いを固めたい」


式典前日の8月5日、広島市を訪れた8人はまず、平和記念公園を見学しました。案内するのは観光ボランティアガイドの柴田武志さん(77)です。

観光ボランティアガイド・柴田武志さん(77)
「貞子さんだけでなく、原爆で亡くなった子どもたちを慰霊する像を建てようと」

「原爆の子の像」は、2歳の時に被爆し、12歳で白血病で亡くなった佐々木貞子さんがモデルになっています。貞子さんは病気を治す願いを込め、折り鶴を作り続けました。亡くなった後、友人らが平和への願いを込めて像を建て、現在に至るまで、全国から折り鶴が寄せられています。

観光ボランティアガイド・柴田武志さん(77):
「願いがかなう、希望がかなう前提条件は何でしょう」

中学生:
「平和であること」

観光ボランティアガイド・柴田武志さん(77):
「正解。平和の反対は戦争です、戦争がないこと、それが皆さんの夢や希望が叶う前提条件なのです」

中学生も折り鶴を捧げ、原爆ドームも見学しました。

観光ボランティアガイド・柴田武志さん(77):
「戦争とはこんなにむごいものということをしっかり知って、20年、30年、40年先にはきょう来た皆さんが平和のリーダーになってほしい」

諏訪市立諏訪中学校 矢島櫻さん:
「被爆した建物がいっぱいあって、原爆の威力がとてもすごいなって」

諏訪市立諏訪西中学校 藤森友希乃さん:
「戦争や原爆など悲惨なことが起きてしまったことを絶対に忘れてはいけない」

8月6日の平和記念式典にも参加し、黙とうを捧げました。

広島の中学生:
「戦争を体験した人たちは戦争から目を背けずに平和への願いを伝えてきました」

式典の後、開かれたのが「第一回全国こども平和サミット」。

広島市が若い世代に「平和」について考えてもらおうと被爆80年の今年、初めて開催しました。諏訪市の中学生も含め、式典に出席した全国の子どもたち1100人余りが参加しました。

6歳で被爆した梶矢文昭さんが体験を語りました。

梶矢文昭さん:
「その瞬間です、それは光りました。ぴかーっと光った、ぴかーっと光って、庭にある木の葉っぱが真っ黒になって溶けるのをみました」

梶矢さんは爆心地から1.8キロの場所にあった国民学校で2つ年上の姉と被爆。

何とか1人、がれきの下から抜け出して山へ逃げると眼下に広がる広島の街は一面が火の海でした。その後、学校に戻ると姉も、友人の多くも亡くなっていました。

梶矢文昭さん:
「(被爆後すぐに)『お前は生き延びている、この地獄のような原爆の様子を後の世に伝えよ』と手帳にメモした。被爆者の1人として(原爆投下)3度目を許してはいけない、何としても止めないといけない」


県内の中学生が見た被爆地・広島。

戦後80年、「平和」とは何か?若い世代が何をすべきかを考える機会となりました。

諏訪市立諏訪西中学校 藤森友希乃さん:
「平和はみんなが幸せで、みんなが楽しく生きていけるようなことだと思うので、平和にするために、一人一人が少しずつ考えて広がればいい」

諏訪市立諏訪南中学校 麦島沙音さん:
「(今回の旅を通して)平和とは世界の中で、みんなが安心して楽しく暮らせる世の中だと思う。もっと自分の考えを深めていろいろな人に伝えたい」

長野放送
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