80年前の“あの日”を知る貴重な被爆電車。
5年ぶりに運行させた広島電鉄の運転士の思いに迫りました。
【鈴木記者】
「すごい人ですね…」
街のあちらこちらでカメラを構える人たち…。
そのお目当ては…。
【千葉から来た鉄道ファン】
「動くことそのものが(広電と広島市民の)平和と復興に対する思いなのかなと思う」
100年前(1925年)に造られた路面電車。
<被爆当時>
80年前のあの日、現在の広島市中区舟入南付近で熱線をあびた広島電鉄が保有する“最古”の被爆電車です。
今月9日、5年ぶりにその姿が街にありました。鉄道ファンはカメラ片手にその姿を追います。
【鉄道ファン】
「もう来ますよ!」
Q:興奮している?
「しますね!」
原爆投下の3日後となる8月9日は焼け野原となった広島で路面電車が復旧した広島電鉄にとって「再生の日」です。
【鉄道ファン】
「力強い走りですね、100年経っていても広電の方の愛情というか、整備はすごいなと感じた」
『あの日』を知る路面電車。
動かすのは今年運転士になったばかりの小椋さんです。
【広島電鉄・小椋伸哉 運転士】
「小学校の時だったと思うが、(授業で被爆電車を知り)わずか3日後には復旧したということで子供ながらに感銘をうけまして、広電の運転士を目指した」
今回は社内での募集に手を挙げ選ばれました。
【広島電鉄・小椋 伸哉 運転士】
Q:自分にとってどんな日になった?
「本当に思い出に残る一瞬だったなと思う。戦争がいかに悲惨であるか、電車が走ることで考えてもらえたらいい。被爆の生きた証人として、これからも末永く走っていってもらいたい」