原爆に被爆した親から生まれた「被爆二世」。その中には健康不安を訴える人がいるものの、現状では限られたがん検診などの措置しかありません。

「健康不安に対し、幅広いがん検診や医療費助成を」。裁判を戦う自身も「被爆二世」である弁護士や原告の思い。そして被爆者たちが高齢を迎え、語り継ぐことが難しくなる中で、薄れていく“核の恐怖”を伝えることの重要さ。

初任地が広島で、原爆や核の問題をライフワークとする、共同通信社・論説委員の太田昌克さんが取材しました。

■「被爆二世」被爆した親から生まれた子供たち

今月6日、原爆投下から80年となった日、広島市の平和記念公園で、ジャーナリストの太田昌克さんは、待ち合わせをしていた弁護士の在間秀和さん(77)に話を聞きました。

【在間さん】「川を見るとね、うちの母親がよく話してたんですよね、人が浮いて…」
【ジャーナリスト 太田さん】「浮いていたと」

広島で生まれた在間さんは、母親が被爆者である「被爆二世」です。

在間さんの母・セツヱさんは、義理の妹の悌子(ていこ)さんを探すため、原爆が投下された2日後に広島市にやってきました。

悌子さんは爆心地からわずか380メートルの所にあるビルで働いていました。

【在間さん】「(悌子さんは)広島県財務局の職員だったんですね、19歳で」

原爆の閃光と熱線は、ビルを直撃。ビルは頑丈で、形は残ったものの、内部は焼き尽くされました。

たまたま窓から離れたところにいた悌子さんは死を免れ、大けがをした状態で救護所へと運ばれていきました。

【在間さん】「ここ(3階の窓)から飛び降りようとしたけれど無理だから階段で降りたけれど、死体を踏みながら降りたというのが「申し訳なかった」と。ここから出て、たぶんトラックが来て、負傷者を積んで似島へ」

【ジャーナリスト 太田さん】「似島への救護所に連れていかれたと」

悌子さんを探して広島市内を歩き回った母親のセツヱさんは、結果的に放射線に被曝し、その2年後に在間さんが生まれました。

■原爆「援護法」対象は「当時胎児」”第四の被爆者”まで「被爆二世」は含まれず

在間さんは子供のころ、一家で広島から大阪へ引っ越し、現在は大阪市内で弁護士事務所を構えています。

取り組んでいる裁判の中に、”第五の被爆者”のためのものがあります。

“第五の被爆者”とは、原爆が投下された当時、胎児としてもまだ存在しておらず、被爆者の親から1946年6月以降に生まれた子供のこと。つまり在間さんのような「被爆二世」を指します。

1945年8月6日、広島市に落とされた原子爆弾は強い爆風と熱線、そして放射線を放ちました。

その年の末に、死者数は14万人にのぼり、命が助かった被爆者たちの多くは、がんや肝機能低下などの原爆症に長く苦しむこととなりました。

1994年に制定された「被爆者援護法」では、被爆者への医療・福祉などの援護対策を講じることが定められています。

その対象となるのは原爆が投下された時に被爆地にいた「第一の被爆者」から当時お腹にいた胎児の「第四の被爆者」まで。

“第五の被爆者”と言える「被爆二世」は救済対象となっていません。

■「被爆二世」に健康不安への「援護」を「いつまでも不安覚えたまま」

被爆二世たちは2017年、国が無料のがん検診や医療費の助成を行っていないのは、憲法13条に定められた幸福の追求権などに反するとして、広島と長崎でそれぞれ裁判を起こしました。

在間さんはこの裁判で弁護団長を務めています。

【ジャーナリスト 太田さん】「この第五の被爆者のみなさま方、何を一番求めておられるんでしょうか?」

【在間さん】「一番のところは健康不安に対する何らかの措置です。少なくとも健康診断ぐらいは援護法の適用をして、『二世』ということで健康診断を受診、これは援護という範囲内でやると。で、当然がん検診は含める。せめてそれぐらいの援護という姿勢を示さないと二世はいつまでも不安を覚えたまま生きていかざるを得ない」

被爆一世は、被爆者援護法に基づいて健康診断を無料で受けることができ、がん検診もありますが、「被爆二世」の健康診断は法律の後ろ盾がなく、単年度の予算措置で行われていて血液のがんは調べられますが、それ以外のがんの健診はありません。

【在間さん】「親が放射線を浴びた、そのことによって生殖細胞に異常が出てそれが遺伝をしていくという、これはごく自然に理解できるところなんですね。」

裁判で「親の放射線被曝が、子に遺伝的影響を及ぼす可能性がある」と原告が主張したのに対し、国側は、「現在に至るまで確認されていない」と反論。

遺伝的影響について長崎の裁判では、1審で「可能性を否定できないにとどまる」、2審で「証明されていない」として原告側が敗訴したのち、ことし1月に最高裁で棄却されました。

広島での裁判も、1審、2審と原告が敗訴し、現在、最高裁に上告しています。

【在間さん】「被爆二世の本心で言いますと、『いや、遺伝的影響はないですよ』と言ってもらうのが一番の救いなんでしょうね。 心配されるのは杞憂であって、そもそも遺伝することはないんだと断言をされると一番安心すると思うんですよね。 これは訴訟の中では国側の主張としてそういう主張は出てこない」

■原告には「血液のがん=悪性リンパ腫」を発症 息子は脳腫瘍患い亡くなった人も

全国被爆二世団体連絡協議会は、「被爆二世』の人数をおよそ30万人から50万人と推計していて、ことし6月には、早期の解決を求めるシンポジウムを開催。

広島訴訟の原告のひとりで、健康不安を抱える上野原昇さん(75)が、およそ50人の出席者を前に、思いを語りました。

【上野原昇さん】「やはり国においても被爆二世に対する立法措置、第五の被爆者として援護法の適用、医療保障を講じること。これをやはりぜひやっていただきたい」

太田さんは先月、上野原さんのもとを訪ね、話を聞きました。

上野原さんの父・豊さんは、爆心地から1.8キロの場所で被爆し、九死に一生を得ました。

その5年後に生まれた上野原さんは、被爆二世として、集団訴訟の原告に加わりましたが、裁判中に、「悪性リンパ腫」を発症しました。

【上野原昇さん】「ずっと検診は受けてきておりますけど、悪性リンパ腫ですね。少し前なんですけど2020年になりました」

【ジャーナリスト 太田さん】「そしてご自身がご病気になられた時は少し活動を休止されて(治療に)専念されたと」

今は、症状が落ち着いた「寛解(かんかい)」の状態で、定期検診を受けています。

上之原さんが被爆二世として活動を続けるのは、24年前に当時14歳だった次男の良(りょう)さんを病気で亡くしたということも理由にあります。

【ジャーナリスト 太田さん】「なかなか軽々にお聞きすることはできないんですけれど大切なお子様をこんな若くして亡くされたというのはなかなか乗り越えられない困難なご経験だったと思うんですが」

【上野原さん】「1996年に脳腫瘍だということがわかりまして、6年近く闘病生活を送って亡くなりました。どこから当人がそのように思ったのかなとは思いますけれども、『僕は被爆三世なんだね』というようなことを言ったんですよね。返事はうまくできませんでしたね」

【ジャーナリスト 太田さん】「お父さんもなりたくて被爆二世になっているわけもなんでもないから」「病気が本当に関係しているかどうかも分からないし何とも答えに窮したというところですかね」

■93歳の「被爆一世」が訴え「不安に応えるには政府が何かの施策を」

被爆二世のことを知る上で、被爆一世の取材が欠かせないと思った、太田さんは、13歳の時に長崎で被爆した田中熙巳(たなか・てるみ)さん(93)を訪ねました。

田中さんが代表委員を務める日本被団協は、1956年の結成以来、被爆体験を語り、核軍縮を世界に訴える活動を続けたことが評価され、去年、ノーベル平和賞を受賞しました。

【ジャーナリスト 太田さん】「私たちも気を付けなければならないのが偏見や差別をあおってはいけないし、本当にご不安を持っている方もおられるし、いろんな複雑なご意見、二世の間にもあると思うんですよね。被団協さんが被爆二世調査というものをかつて行われた。これちょっと手元に資料があって」

「この時の調査結果として『被爆二世として不安・悩みを感じるか』ということで、78.6%の方が自分の健康、放射線の影響を不安に思っていらっしゃる」

【田中さん】「うん、だからそれに応えるには、何かの施策をすることしかない。政府はね。健診をやるにしてもきちんと方針を出してやるとか」

被爆一世の高齢化が進み、被爆二世が活動を担う時代へ向かう中、危機感を持って取り組もうとしているのは、平和への思いを伝えていくことです。

【田中さん】「日本はどういう戦争をやっても絶対勝つ国じゃないんです。だから戦争はしない、まさに憲法がそれを言っているわけだから政治家は憲法をきちっと守る、戦争をしないという憲法を。そこに徹しないとだめだと」

【ジャーナリスト 太田さん】「自分たち市民も選挙民も、戦争被害をもっと知らなきゃいけない。歴史をもっと学ばなきゃいけないということですよね」

【田中さん】「前の戦争で都市が壊滅しちゃったということを、今の若い人たちはほとんど知らないんじゃないですか」

■「核抑止論というのが大手を振ってまかり通っている」核の脅威はいまも…

核の恐怖が薄れることについては自身も被爆二世で、「二世」救済の訴訟に弁護団長として取り組む在間さんも危機感を持っています。

【自身も「被爆二世」弁護士 在間秀和さん】「やっぱり今の状況を考えると核抑止論というのが大手を振ってまかり通っているわけですね。 特殊な戦争被害と言われている原爆被害、これに対してどう向き合うのかという、ここで問題が風化してはいけない。また同じことが繰り返される可能性があるんじゃないかという」

原爆投下から80年。ことしも、犠牲者を悼む式典が行われました。

広島に一度、長崎に一度、原子爆弾が落とされたことで、80年が経った今も、その影響への不安と戦う人がいる中で、今も核兵器の脅威が世界を覆っています。

(関西テレビ「newsランナー」2025年8月11日)

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