東日本大震災で大きな被害を受けた深沼海水浴場。再開には地域に賑わいを取り戻そうという人たちの思いがありました。

高橋咲良アナウンサー
「きょうは青空が広がって海もキラキラと輝いています。15年ぶりの本格再開となった深沼海水浴場には、初日から多くのお客さんが訪れて楽しんでいます」

仙台市若林区荒浜にある市内唯一の海水浴場「深沼海水浴場」。
7月19日に海開きを迎え大人から子供まで多くの人で賑わいました。

訪れた人は
「若い時とか、友達と遊びに来ていたところだったので、また来られてうれしいです」
「埋まってみたいと言われたから、協力してました」
「気持ち良いです、最高です」

深沼海水浴場は東日本大震災で被害を受け、砂浜にがれきが散乱して利用できない状態に。
かつては、多い時で期間中20万人近くが訪れた浜から、賑わいが消えました。
荒浜地区には震災前、988世帯2704人が暮らしていましたが、震災後「災害危険区域」に指定され、人が暮らすことができなくなりました。

2024年、深沼海水浴場は人数を制限して試験的に再開されました。そして、今年、海水浴場近くにある「避難の丘」のかさ上げ工事が完了し、避難場所が確保できたことから、人数制限のない15年ぶりの本格再開を迎えました。

朝からサーフィンを楽しんでいたという今野幸輝さん(58)。海水浴場の運営を担う協議会の会長を務めます。

深沼海水浴場運営協議会 今野幸輝会長
「子供の時からよく海水浴場に祖父に連れてきてもらって。スイカ割りをやったり、屋台があったり、そういった思い出がすごくあって。サーフィンもここで始めたので。ここに昔住んでいた人たちとか友達もいっぱいいましたし、なんとか(海水浴場を)復活できないかと、(仙台市と)話をして」

不動産会社を経営する今野さんは、海水浴場周辺の防災集団移転跡地の利活用事業も行い、本業でもこの地域一帯のにぎわい創出に取り組んでいます。

そして、荒浜地区のかつての住民もアドバイザーとして協議会に参加しています。

荒浜地区に家族5人で暮らしていた大友周一さん(71)。家族は全員無事でしたが、海から100メートルほどの場所にあった自宅が流され、今は別の地域で暮らしています。

大友周一さん
「(本格再開は)うれしいですね、やっぱり。やっぱり賑わいがないと、1000人近くいた住民が戻れないですよね。海水浴場が戻って来れば行きたいなっていうのがやっぱりあると思うんですよ」

大友さんは、辛い経験をした人を思うと複雑な気持ちもあると話しますが、さまざまな人が来られるようにと願いを込めます。

大友周一さん
「ただやっぱりトラウマがあるんですよ。うちの女房は津波見ているから怖いんですよ。海に来るのも怖いし。そういう気持ちは何年経ってもあるもんですから。やっぱり震災にあった人でないと、そのへんは分からないかな。この地域をみんなが楽しい、そういう居所にしてほしいなと思います」

そして、海水浴場から500メートルほどの所に自宅があった末永稔さん。

末永稔さん
「(かつての海水浴場は)もうすごかったですよ。センターハウスのところ、あそこが大きな海水浴場の駐車場だったんですよ。車が入りきれなくて、うちの前も、ずらっと路上駐車」
高橋咲良アナウンサー
「やっぱり活気があった?」
末永稔さん
「そうだね。今年はどのくらい来るのかが楽しみですね」

深沼で泳いだことのない孫の喜ぶ姿も目に浮かべます。

末永稔さん
「孫を連れて、ここが昔うちだったんだよ、とお墓参りに来た時も説明するけれども。海に来ると必ず水浴びするんですよ。だから泳げるとなれば喜ぶのかなと」

迎えた、15年ぶりの本格再開の日。

深沼海水浴場運営協議会 今野幸輝会長
「これを待っていました!」
高橋咲良アナウンサー
「思い描いていた景色が広がっていますか?」
深沼海水浴場運営協議会 今野幸輝会長
「そうですね、子供たちが楽しそうに遊んでいるのがうれしいですね」

今年初めて企画した、小さな子供向けの遊び場も大人気でした。

訪れた人は
「ちょっと波が怖いけど楽しい」
「海に直接入るのは怖いみたいなんですけれど、こういう遊び場があると家族みんなで遊べて楽しいです」

大友周一さん
「やっぱりこの雰囲気は良いですね。平和を感じます」
末永稔さん
「昔を思い出しますね」
大友周一さん
「うちは無くなったけれど、ここが故郷なんでね。15年ぶりに開場した海水浴場はすごく楽しみというか、将来的にも良い雰囲気がずっと出てくるんじゃないか」

15年ぶりの本格再開。深沼海水浴場の新たな1ページが始まりました。

仙台放送
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