庭田氏、政治経験ゼロの新人として参院選を戦い、自民王国・富山に風穴をあけました。
異色の経歴と、選挙戦を振り返ります。

*国民 庭田幸恵氏
「『Youドキッ!たいむ』そんな番組をやっておりましたけれど、一度引退をして、テレビの世界から足を洗ったんですけれど、『Youぐれっ!たいむ』お届けしたいと思います」

*森幸恵アナウンサー(当時)(2001年)
「4時55分をまわりました。BBTスーパーニュース、Youドキッ!たいむの時間です。」
1996年からの8年間、BBTのアナウンサーだった庭田氏。

*森幸恵アナウンサー(当時)
「そして来週月曜日のとくとく情報、秋の新作チョコレート徹底リサーチ」
主に、情報番組のMCを担当していました。

*森幸恵アナウンサー(当時)
「ラブロマンスとクレバーな男性にはめっぽう弱い私森幸恵」

アナウンサーをする前は、大手航空会社の客室乗務員として世界中を飛び回っていました。

その経験をいかし、2006年に富山駅の観光案内所の運営などを手掛ける会社を設立。
20年近く、いち経営者として、富山で過ごしてきました。

*国民 庭田幸恵氏
「『もっともっと手取りを増やす夏』これを実現していきましょう」
政治経験ゼロで今回挑んだ参院選。
大票田の旧富山市を軸に、1日最大20か所、県内各地の街頭に立ち続けました。
*支援者
「働けば働くほど馬鹿を見るのはだめ」
*国民 庭田幸恵氏
「変えましょう。そのために出たんですから」
*支援者
「自民党だけでは絶対だめ」
*国民 庭田幸恵氏
「国民の目線で、まっとうな政治を成し遂げたいと思っているので」
*国民 庭田幸恵氏(演説)
「皆さんとともに、保守王国と言われている富山で政治を変えていく。ここに大きな意義がある」
組織が乏しい庭田氏を支えたのが、県内最大の労働団体、連合富山と、立憲民主党県連です。
立憲民主党は候補者の擁立を断念し、庭田氏を事実上の「推薦候補」として支援しました。

*立憲民主党県連 山登志浩代表
「立憲民主党も国民民主党も連合富山も三位一体。仲間だと思っている」
*国民 庭田幸恵氏
「必ずこの戦い、勝ち抜きます」
今こそ保守王国の牙城を崩す…
党は、富山を最重点区の一つと位置付け、玉木代表は選挙戦序盤と終盤の2度来県。
榛葉幹事長は、序盤、中盤、最終盤の3度、応援に入りました。

*国民 榛葉賀津也幹事長
「また来たのかと思われるかもしれない。勝つよこれ。勝ちにいくよ。庭田が勝てば、自民党ひっくり返るよ」
*支援者(30代)
「日本を変えてくれそうな気がする。私たちが産まれてからずっと日本は苦しい状況だったのが何も変わっていない。変えてほしい。この子が大きくなったときにもっと日本がよくなっていたらいいなと」
*支援者(40代)
「『手取りを増やす夏』というスローガンが就職氷河期世代なのですごく刺さった」

Q選挙期間中3回も富山に来ているが、他にこれだけ行ったところは?
*国民 榛葉賀津也幹事長
「ないよ。勝ちたいところ、勝つところに来る。富山は勝つってこと」
働く人の目線で戦い抜いた17日間。
自民王国・富山に風穴をあけました。