薄紅色でふっくら大粒の梅干し。つやのある皮を箸で割ると、みずみずしい果肉があふれ出る。梅の最高級ブランドと言われる、南高梅で作った梅干しだ。
南高梅というと、和歌山県をイメージするかもしれないが、鹿児島県鹿屋市で国境を越えてつながった家族が協力し合って梅を育て、おいしい梅干しを食卓に届けている。

10ヘクタールの土地に1500本の南高梅の木を栽培
鹿児島県大隅半島のほぼ真ん中に位置する鹿屋市で、梅の栽培と加工を手がける堀之内農園を訪ねた。
ベージュの農作業着に紺色のキャップ姿の堀之内辰男社長が、「話を聞くところでは、和歌山の南高校の生徒が見つけた品種らしいですよ。」と、梅干しの品種「南高梅」の名前の由来について教えてくれた(諸説あり)。
堀之内農園では、10ヘクタールの土地に、1500本の梅の木を栽培している。
広い農園には、青々と葉を茂らせた梅の木が整然と並んでいて、梅の木の下には一面にネットが敷いてあった。

木の幹は畑から斜めに伸び、幹から出た枝も両手を広げるような形で斜めに伸びていて、木の背丈は比較的低い。
堀之内さんが枝に手を伸ばして、育てた南高梅を見せてくれた。
色は鮮やかなイエローグリーンで、大きさがピンポン玉からゴルフボールくらいはあろうかという立派な実だ。

蓄え全てを投げ打ち梅農園主に 妻は『出て行く、離婚する』と当初は反対
現在85歳の堀之内さんが、梅で事業を始めたのは65歳の時。
それまでは、カンパチなどを養殖する会社を経営していたが、「地域に貢献したい」と、蓄えの全てをつぎ込んで山を買い、工場を建てた。
「うちの奥さん何というかというと『そんなことしてくれるな』と『もう、出て行く』『もう離婚する』とまで言われた」と、夫婦の裏話をこっそり?教えてくれた。
堀之内さんは、鹿屋市中心部から少し離れた北西部にある高牧町に山を買った。今でこそ、多い時で25人のスタッフが働く大所帯となったが、始めた当時は毎日のように、堀之内さんが一人でチェーンソーを使って木を切り、開墾作業を続けたという。

技能実習生だった中国出身の2人「自分が育てた梅の木が気になって」再来日
そして、いま堀之内さん夫婦の支えになっているのが、中国出身のウエ スウフェンさんと、リュウ セナンさんの2人だ。
2人が最初に堀之内さんのもとを訪れたのは、山の開墾作業が続いていた2007年のことだった。技能実習生として来日し、一生懸命に働いたという。

実習期間が終わり、いったん帰国したが、2人のことを娘のようにかわいがっていた堀之内さん夫婦は「養子になって一緒に農園を続けないか?」と、提案した。ウエさんとリュウさんは、悩んだ末に大きな決断をし、2012年と2013年にそれぞれ再来日した。
「悩みましたね、当時は人生で一番大きな決断だったから。中国で大学に行くか、日本に行くか」と、ウエさんはその時のことを振り返った。
また、リュウさんは「最初、親は反対した。でも、この木が大きくなってどんな実がなるか、気になって。やっぱり、自分が育てた木なので」と、鹿屋に植えた梅の木がリュウさんを日本に引き寄せたと言う。


2人は農園や工場の責任者と営業を担当 梅干しを海外に輸出

再来日したあとは堀之内さんの勧めで、まず鹿児島国際大学で経営学を学び、現在、リュウさんは農場と工場の責任者として働いている。
梅の収穫時期を迎えた農園では、完全に熟して黄色や赤に色づいた実が枝から落ちて、木の下に敷いてあるネットにたくさん転がっている。その実をリュウさんたちスタッフが網で丁寧に拾い集める。そして、それらをベルトコンベアに乗せ、梅を選別していた。

繁忙期で、休みは日曜日しか取れないという。さらに、雨の日も毎日作業をすると聞き、仕事をやめたいと思うことはないのか、リュウさんに質問してみた。
するとリュウさんは、梅の収穫に大きな喜びを感じているのだろう。「ハハハ。ないですね。やっぱり実がなったらとてもうれしいので」と、笑い飛ばした。
一方のウエさんは、語学力を生かして営業などを担当している。そして、5年前から堀之内農園の梅干しは、アメリカに輸出されるようになった。

実は、8年前に開かれた「外国人弁論大会」で、ウエさんは、堀之内さんの前で「将来、貿易とかを通じて鹿屋の発展に貢献できたらいいなと思います」と語っていて、その時の夢を実現させたのだ。
「ありがたいことにね。後継者のつもりで指導している。あんまり無理しないように頑張っていただければ」と、堀之内さんも2人の仕事ぶりに目を細める。
国の違いも血縁も関係ない「家族としては立派な家族」

ウエさんとリュウさんは、堀之内さん夫婦と一緒に暮らしている。また、4人で旅行にもたくさん行くなど、家族の絆を深めているという。
4人で囲んだ食卓で、堀之内さんは「けんかもしますけどね、家族としては立派な家族ですよ。」と胸を張った。
それを聞いたウエさんが「年齢が離れているから。孫みたいな感じだから」と、笑って返していた。

梅作りでつながった家族は、仲良し加減がいい塩梅(あんばい)のようだ。
そして、これからも家族4人で力を合わせ、塩加減にこだわった、いい塩梅の梅干しを食卓に届けてくれることだろう。
(鹿児島テレビ)