沖縄戦に動員されたひめゆり学徒隊の女学生たちが砲弾の雨の中、傷ついた兵士たちに食事を運んだ「飯上げ」を19日大学生が追体験しました。
80年前の沖縄戦では、沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の生徒222人がひめゆり学徒隊として南風原町にある陸軍病院壕で負傷した兵士の看護にあたりました。
女学生たちがアメリカ軍の砲弾をかいくぐり、ふもとの集落から陸軍病院壕まで食事や水を運んだ山道は「飯上げの道」と呼ばれています。
「飯上げ」を追体験したのは沖縄戦体験者の心のケアなどに取り組む沖縄大学の吉川麻衣子教授のゼミ生18人で、学生たちは2人1組となり、食事に見立てた樽をおよそ350メートル離れた陸軍病院壕まで運びました。
学生たちの息遣いその後、学生たちは戦争遺跡として南風原町の文化財に指定される陸軍病院壕に入り、看護にあたった女学生たち過酷な状況についてガイドから説明を受けました。
沖縄大学4年 佐喜眞寿昭さん:
当時は砲弾や今とは違う辛さがあったので(学徒たちは)考えられない程辛かっただろうと感じます
沖縄大学4年 知念映里さん:
中学生の頃も来たことがあります、だけどその時はただ壕に入るだけの感覚で実感が湧かなかった、いま大人になってここに来たら改めて戦争の過酷さを実感することができました
沖縄大学 人文学部福祉文化学科 吉川麻衣子教授:
(戦後)80年で沖縄戦がどういう戦いだったのか、学生たちは本当に知りたいと思っているんだなと感じます。体験をされた方々の声が直接聞ける世代。どういう社会を作っていくかを考える、そんな機会になればと思います
学生たちは当時の女学生たちと近い年齢の若い世代として砲弾が飛び交う中、命がけで食事を運んだ記憶の継承に取り組む意義を感じていました。