かつて、竹かごのような丸い形だった無人島・ホボロ島。
小さな生物がその姿を少しずつ削り取り、今や「消滅の危機」にある。島の変化とともに生きてきた男性が、地元の子どもたちへ伝える“最後の授業”に密着した。

縮む島、変わりゆくホボロの形

広島・東広島市安芸津町の沖合に浮かぶホボロ島。
本土からわずか500メートルの距離にある無人島で、地元では「消えゆく島」とも呼ばれてきた。

1950年に撮影されたホボロ島
1950年に撮影されたホボロ島
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1950年の写真には、2つの山が並び、地域で“ホボロ”と呼ばれる竹かごのような姿が写っている。ところが、この数十年ですっかり形が変わってしまった。岩肌は砕け落ち、原形をとどめないほど小さくなっている。

現在、満潮時だと島の一部が海面からちょこんと顔を出す程度。まるで、島全体が縮んでしまったようだ。

地元で生きてきた植野洋文さん(83)は、長年その変化を見つめてきた。

「遠くから見たら、だんだん小さくなるので悲しげな感じもする。自然の成り行きに任せるほかしょうがないと思いながら、やっぱり残ってほしい」
ホボロ島で貝掘りをしたり、タコや海藻を獲った思い出が、今も色濃く残るという。

指先サイズの生物が島を削る?

島が縮んでいく理由が明らかになったのは約20年前。
2006年、地質調査を行った広島大学の名誉教授・沖村雄二さんは、岩に無数の穴があいているのを発見した。

「ホボロ島に上がってすぐ分かりました。ダンゴムシのような初めて見る虫が、深さ5センチほどの穴をハチの巣みたいにいっぱいあけていたんです」

この虫の正体は「ナナツバコツブムシ」。
体長1センチほどで、見た目はダンゴムシに似ている。岩をかみ砕いて穴をあけ、そこにすみついてプランクトンを食べて生きる。
沖村さんの推測によると、島全体で約100万匹ものナナツバコツブムシが生息していた。
「全国でも他に報告例がない。これは広く発表したほうがいいなと思いました」

“最後の授業”に込めた思い

子どものころから島に愛着を持ってきた植野さん。小学校の校長を務めた経験と、地域の歴史にくわしいことから、地元の小学生に「ホボロ島の授業」を続けてきた。

木谷小学校で「ホボロ島の授業」を行う植野さん
木谷小学校で「ホボロ島の授業」を行う植野さん

教室の黒板にホボロ島の写真や絵を張り、子どもたちに問いかける。
「立派だったホボロ島が、だんだんとこうなった原因は何ですかね」
「ナナツバコツブムシが島を食べている?」
「ほお、新しい言葉が出ましたね」
子どもの発想に感心させられることもしばしば。

児童のノートにもナナツバコツブムシが
児童のノートにもナナツバコツブムシが

世界的に珍しいホボロ島は、地域の子どもたちにも馴染み深い存在になっている。
だが、植野さんの授業は今回が最後だ。

島は消えても…記憶は残る

「実際に上陸して自然を観察すれば、大人になっても関心は残ると思うんですよ」
高齢を理由に授業を終えた植野さんは、そう語っていた。
教室では得られない体験がある。
6月9日、植野さんは子どもたちと一緒に船でホボロ島へ向かった。

ホボロ島に上陸した地元の小学生たち
ホボロ島に上陸した地元の小学生たち

島の岩肌には小さな穴がびっしり。さらにカニや貝が「すみか」とし、大きくなった穴もある。
ナナツバコツブムシは夜行性なので昼間は姿を見せない。しかし、穴を少し掘ってみると…
「おったおった!ナナツバおった!」
「ダンゴムシと見分けつかんくらい」
「足が羽みたいだった」

岩にあいた無数の穴をのぞきこむ子どもたち。
指先ほどの小さな生物が、島そのものを侵食していく――。その自然の営みに、子どもたちは目を丸くした。

波風にさらされて風化し、もろくなったホボロ島の岩。ハンマーで数回たたけば簡単に割れてしまう。今も残る高さ6メートルの岩には亀裂が広がっていた。
ナナツバコツブムシがいつ、どこから上陸したのか。そしてホボロ島がこの先どうなっていくのか…。いまだ謎に包まれた島は、「やがて消滅する」ともいわれている。

それでも植野さんは、目を細めて言う。
「非常にロマンですよね。子どもたちも、残ってほしいという気持ちがわいたんじゃないかと思いますよ」

島は消えてしまっても、受け継がれた記憶はこれからも生き続ける。

(テレビ新広島)

テレビ新広島
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