6月に毎年行われる「チャグチャグ馬コ」など岩手県は古くから馬との関わりが深い県だ。県内の馬にまつわる地名を取材した。

現在も多くの人に愛されている岩手の馬ッコ文化。馬に関わる地名も多く生まれている。
「チャグチャグ馬コ」や「南部流鏑馬」など数々の馬事文化が残る岩手県は、古くから名馬の産地として知られ「人」と「馬」がともに暮らしてきた。

馬にまつわる地名について、長年にわたり県内各地の地名について調査している奥州市出身の宍戸敦さんは次のように説明する。

宍戸敦さん
「岩手県には馬に関する地名がたくさんある。単純に馬がつく地名として馬飼沢(二戸市)、馬場小路(盛岡市)、馬寄平(久慈市)という地名がある。それから駒という字も馬を意味するので駒木町(釜石市)、駒堂(奥州市)といった地名もある。ちなみに一戸、二戸とか最後は九戸。戸が付く地名は牧場、一つのエリアをしめしていて、このような地名も馬に関係すると言われている」

岩手県は、中世から馬の生産ということで全国的に有名な場所だった。
そのため、岩手では馬と関わる仕事というのがたくさんあって地名も多かった。

盛岡市松尾町は江戸時代、新馬町と呼ばれ、馬の売り買いでとてもにぎわった町だったという。

現在は「盛岡馬っこ文化伝承広場」として整備され、岩手の馬事文化を後世に伝えている。

数々の歴史と地名を残す岩手の馬は、南部馬や南部駒とも呼ばれ、とても魅力的な馬だった。

ーー南部馬はどのような特徴があったのか?

岩手県立博物館 主任専門学芸員 近藤良子さん
「江戸時代、南部馬は日本一と評されていた。(江戸時代の)馬の平均的な体高は120センチくらいだが、南部馬は145センチほどで大きく、姿かたちも良いということから当時の人たちの憧れの馬だった。気性の良さも注目されていた。江戸時代の書物の中に、南部馬は何頭集まっても跳ねまわったり、かみ合ったりせず、人をかむことも無く、集団行動に適している馬ということで注目された」

人々の憧れでもあった南部馬は、古くから名馬として全国に知られ、高値で取引されていた。

岩手県立博物館 主任専門学芸員 近藤良子さん
「江戸時代、藩が管理する牧場などで飼育。農民たちが持つ馬はなかなか手に入らなかった。しかし次第に暮らしの中に馬が浸透し、農耕や運搬を手伝ってくれる大事な存在になった。盛岡藩領内の人は人間同様に馬を大事に育ててきた」

農耕や運搬など多くの役割を持ち重宝された馬。更に全国的にみると、馬は古来より神様の乗り物、神様と密接な関係にある特別な存在と考えられていた。

岩手県にも藁で作った馬を田んぼに備え豊作を祈願する行事「馬っこ繋ぎ」や「オシラサマ」と呼ばれる蚕や農業、馬の神様を家ごとに祀る文化など、馬にまつわる様々な信仰が伝わっている。

そして、人々の馬への想いが形となったのが、岩手県を代表する民家の「南部曲がり家」である。

「南部曲がり家」は、かまどの熱で馬を温めたり、世話をしやすくしたり、馬との生活を考えて造られた民家だ。

しかし、家の造りとしては、馬屋の部分が直角に突き出すような形になっているため、ごみや雨水がたまり屋根が傷みやすかったという。
それでもこの造りになったのは、馬への特別な思いがあったからなのだという。

岩手県立博物館 主任専門学芸員 近藤良子さん
「農耕に必要な大切な家畜ですし、飼っていると家族同然の大事な存在なので、1つ屋根の下に暮らし、一緒に過ごすことで管理がしやすい。『南部曲がり家』は馬を大切にしていたことの表れだと思う」

馬と人とが紡いできた長くて深いつながり。
その面影は地名となって、今も静かに私たちのそばに息づいている。

岩手めんこいテレビ
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