枝幸町(えさしちょう)という小さな港町から、全国、そして世界へ――。
力強く、しなやかに舞う踊りで観客を魅了し続けるYOSAKOIチーム「夢想漣えさし」。
単なる踊りの枠を超えた“物語”を紡いでいる。
彼らの挑戦と、そこに込められた熱い想いとは―。
1996年、札幌でのYOSAKOIソーラン祭りに魅せられた石岡武美氏が、「これだったら枝幸町も全国に発信できる」と決意したことから、夢想漣えさしの歴史は動き出した。
翌1997年には80名で初出場を果たし、その後も町民の支えと情熱によって支えられ、YOSAKOIソーラン大賞を5回受賞する人気チームへと成長した。

白扇子に込められた演舞の美学
2025年のテーマについて、チーム代表の工藤尊子さんは「毎年、漁師の生き様とその家族を題材にしている」と語る。
その演出には“動と静”の緩急が際立ち、「今年は出漁から港に戻るまでを描く演舞となっていて、衣装も“大漁旗”に見立てて造りました」と話す。
振付の中で特に注目してほしいのが、荒波とかもめを連想できるように動きにこだわった、一糸乱れぬ白扇子。
「白扇子と言えば夢想漣」と称されるほど代名詞的な存在であり、全員の面の角度が揃っていないと全体に迫力が出ないという。
そのため、日々の厳しい練習とメンバーの熱い想いが白扇子に託されている。
メンバーの年齢層も幅広く、下は15歳から上は60歳まで。
個性豊かなメンバーがチームを支えている。
「今年は枝幸町から帆立漁師の方も参加します。仕事と踊りの練習の両立が難しいけど、ものすごくがんばってくれています」と語る代表の笑顔に、チームの未来への希望がにじむ。

地域と共に生きるー枝幸町とチームの絆
夢想漣えさしの強さの源は、地域との深い絆にある。
枝幸町の企業や住民が衣装製作や遠征費の支援を行い、演舞のたびに「地元の代表」として誇りを持って送り出してくれるのだ。
「町のために踊る」と語る代表の言葉からも、その結びつきの強さが伝わってくる。
「活動自体が枝幸町の町民と企業や役場など、枝幸町ぐるみで支援してもらっているので活動が続けられています。よさこいのチームはたくさんありますが、これほど町民や企業が支援をしてくれるチームは多くないので、本当に恵まれていると思います」と話す。
また、町がホタテやカニを無償で提供してくれることで、道外遠征時にカニ汁やホタテ焼きを販売し、その利益を活動費に充てていると言う。
さらに、「枝幸町観光協会のイベントブースでメンバーが手伝うなど、良い関係を築けています」語った。

震災、コロナ禍を越えてー忘れられない挑戦の軌跡
印象深かった瞬間として、工藤代表は2011年のYOSAKOIソーラン大賞受賞を挙げた。
「海にまつわる曲や歌詞、踊りがあるので、歌詞を途中で変更したり、メンバーの中には親が漁師だったり、本人が漁師という人もいて、複雑な思いで挑みました。震災後に岩手で演舞したこともあり、今でも忘れられない受賞です」と振り返る。
一方で、チームの最大の危機はコロナ禍だった。
「当時、よさこいの中止が決定する前に、出場辞退の判断をしましたが、メンバーのモチベーションを保つのがとても大変でした。今もコロナ前の人数には戻っていません」と話す。

オホーツクの荒波と海風を届ける舞
「夢・想い・今、動き出そう!!」というコンセプトのもと、夢想漣えさしは進化を続けている。
工藤代表は最後にこう語った。
「本番は楽しむ心と感謝の気持ちで踊って欲しいです。よさこいは踊り子以外のスタッフの人数もとても多く、みんなボランティアで、運営を支えています。OGやOBも協力してくれるし、町の人たちもたくさん応援に来てくれるので、その方たちへの感謝の気持ちを込めて踊ってほしいと思います」(夢想漣えさし代表 工藤尊子さん)
「会場に『オホーツクの荒波と海風』を届けるつもりで演舞するので応援よろしくお願いします」との言葉に、チームの誇りと決意が感じられた。

YOSAKOIソーランまつりは6月4日(水)に開幕し、「夢想漣えさし」は6日(金)から登場する。