プロ野球に偉大な足跡を残した選手たちの功績、伝説を德光和夫が引き出す『プロ野球レジェン堂』。記憶に残る名勝負や知られざる裏話、ライバル関係など、「最強のスポーツコンテンツ」だった“あの頃のプロ野球”のレジェンドたちに迫る!

長身から投げ下ろす直球・カーブと絶妙なコントロールを武器に、ホエールズ・ベイスターズで128勝133セーブをあげた齊藤明雄氏。最優秀救援投手2回に加え、リリーフピッチャーとしては異例の最優秀防御率にも輝いた。ヒゲがトレードマークの“ハマのレジェンド”に徳光和夫が切り込んだ。

【中編からの続き】

オールスターで空前絶後の珍記録

徳光:
連投しても肩の違和感とかなかったんですか。

齊藤:
全くなかった。オールスターで5回投げてるシーズンがあるんですよ。

徳光:
今なら考えられない。

齊藤:
珍記録ですけどね。
そのときオールスターは3試合だったんですよ。後楽園、西武、大阪でゲームがあったんですね。当時、藤田(元司)さんが監督で、「どうだ?」って言うの。

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齊藤氏がこう語るのは西武球場で行われた1982年のオールスター第2戦の話だ。齊藤氏は7回裏から3イニングの予定で登板したが、9回を終わって5対5の同点で試合は延長戦に突入。結局、齊藤氏は試合が終了する11回裏まで投げた。

齊藤:
藤田さんに「3回投げて延長になったけど延長も行けるか?」って聞かれて、「肩はなんともないですから大丈夫ですけど、(第3戦が行われる)大阪に行ったら何もしませんよ」。そういう条件で5回投げたんです。

徳光:
(大洋の監督だった)関根(潤三)さんは当然、クレームを入れたでしょうね。

齊藤:
怒られました。

徳光:
そうですか(笑)。

齊藤:
家に帰ったら、「何時になっても起きてますから電話をくれるように言ってください」っていう関根さんからの伝言があった。それで電話したんです。褒められるのかなとか思うじゃないですか。「どうもお疲れ様でした」って言ったら、「お前、バカじゃないのか!」。珍しく相当強い口調で怒られましたね。

徳光:
(笑)。たぶん関根さんは藤田監督にも抗議したと思いますね。

オールスターでは投手が3イニングを超えて登板することができないというルールがあるが、延長戦になった場合は例外となっている。現在、オールスターに延長戦はないが、当時は延長戦が行われていた。

齊藤:
試合時間が4時間までは延長があったんですよ。だから7、8、9回投げて、それで延長になった。

徳光:
今はルール上ありえないですね。

齊藤:
今は投げて2回ですもんね。

苦手・高橋慶彦氏「何を投げても打たれた」

徳光:
齊藤さん、バッターで苦手な打者っていましたか。

齊藤:
いました。いっぱいいました。最初に頭に浮かぶのは、カープの高橋慶彦とジャイアンツの篠塚(和典)。何を投げてもダメっていう感覚でしたね。

齊藤氏の高橋慶彦氏との通算対戦成績は119打数42安打で打率3割5分3厘、3本塁打、8三振だ。

徳光:
確かに随分打たれてますね、

齊藤:
バッターってネクストバッターズサークルで相手ピッチャーの投球にタイミングを合わせるじゃないですか。慶彦は僕の場合だけ、バットを杖みたいにして突っ立ってる。「やれよ」って言ったら、口パクで「大丈夫」。

徳光:
ジェスチャーでそんな会話があるんだ。

齊藤:
「大丈夫」って言われるんですよ。ほんで投げたらカキーンッて正面に飛ぶとかさ。

一方、篠塚氏との通算対戦成績は154打数55安打、打率3割5分7厘、1本塁打、10三振と、こちらも齊藤氏に分が悪い。

齊藤:
彼の場合は配球を読むのがうまかったし、初球からインサイドの甘いところに行くと、体を後ろに倒しながらガツンと打つじゃないですか。あれが苦手だったですね。

阪神で2度の三冠王に輝いたバース氏との対戦成績は、31打数10安打、打率3割2分3厘、2本塁打、6三振だ。

齊藤:
バースは頭がいい。
昔のピッチャーって、あんまりボールを変えなかったんですね。今のピッチャーは、バッターがアウトになったら、そのボールが回ってる間に、もう次のボールをもらってるじゃないですか。昔はピッチャーにボールが返ってくると、そのままそれを投げる。
バースは、甲子園でゴロになったボールは「絶対変えろ」って言う。ボールが地面に当たって土がささくれるじゃないですか。そこに指を掛けるとボールが変化するんですよ。それを嫌がった。

徳光:
バースってそういう打者だったんですか。へぇ。

遠藤一彦氏は「欠かせないライバル」

徳光:
齊藤さんは遠藤さんと一緒に大洋ホエールズを両輪として引っ張られてましたが、遠藤さんの存在というのはどうでしたか。

齊藤:
歳も近いしライバルでしかないですよね。私服のときはご飯を食べに行ったりいろいろするんだけど、ユニホームを着ているときはライバル。練習であいつが1本走るんだったら、こっちはもう1本多く走るとか。
だから、彼がいなかったら僕はいないし、僕がいなかったら彼もひょっとしたらいなかったかもしれない。これだけ長く野球人生をやってなかったかもしれないですよね。

徳光:
1人じゃできないですよね。

齊藤:
やっぱり1人でやると浮いてしまうというのがあると思うんですけど、2人でチームを引っ張るんだったらね。「遠藤は優しい、僕は厳しい」でいいと思うんですよ。

徳光:
あえて厳しくしてたんですか。

齊藤:
僕は嫌われ役でいいと思う。

徳光:
嫌われ役を買って出てたんですか。

齊藤:
僕はそういうのがいいと思う。遠藤はそれを慰めるという感じでやってくれたら、僕は下の子にもガーンと厳しく言える。やっぱりきちんと返事をしないとダメだし、挨拶もちゃんとしなきゃいけない。
なにしろ僕は「野球選手はケガをしちゃいけない」と思ってるから、風呂上がりにソックスを履くってことには口うるさかったですね。

徳光:
それはどういうことですか。

齊藤:
スリッパとかサンダルを履くじゃないですか。裸足で履いてるとカーンとうったときに指先をケガすることがあるじゃないですか。靴下を履いてるとそういうのは全くない。だから、常に風呂からあがって出てくる選手の足元をチェックしてました。そういうのは厳しかった。

徳光:
そうですか。若い選手からすると、細かく見てもらえてありがたいですね。

齊藤:
若いうちは「うるさいおっさんが言ってるな」っていう感覚だと思いますよ。だけど、終わってから分かるっていうこともあるだろうし。

徳光:
そうですよね。
そういう後輩を誘ってお酒を飲むこともよくあったんですか。

齊藤:
はい。飲むっていうかね、キャンプの間、部屋で夜11時まではやってましたね。昔のホテルって部屋に冷蔵庫がついてないじゃないですか。
自動販売機でお酒を買ってくるのは面倒くさいから、電器屋で冷蔵庫を買ってきて、自分の部屋に入れて、ビールとかお茶とかコーラとかを冷やしておく。ミーティングが終わった後に近くの寿司屋から出前を取ったりして、谷繁(元信)君とか野村(弘樹)君とか、後輩たちと一緒に。

徳光:
「齊藤バー」「居酒屋齊藤」が始まるわけですか(笑)。

右投手で史上初の100勝100セーブ

1988年に再び先発に戻った齊藤氏は7月3日の中日戦に勝利し、史上3人目の100勝100セーブを達成する。これは右投手としては初の快挙だった。

徳光:
30半ばで再び先発っていうのは、ご自身としてはどうでしたか。

齊藤:
いや、これは監督に恵まれたと思うんですよ。
リリーフとして7年間もできたのは関根さんのおかげですし、「リリーフとして疲れてきてるから先発に戻ったらどうだ」っていうことで戻してくれた古葉(竹識)さんにも感謝しなきゃいけないのかなと思いますね。

徳光:
大洋ホエールズといえば、齊藤さんと遠藤さんの両輪だったわけですけど、遠藤さんが先に引退されちゃうんですね。

齊藤:
そうなんですよ。あのときは、ロッカーでスパイクとかグラブとかを磨いてたら、遠藤が球団長に呼ばれたんですよね。それで、遠藤が帰ってきたときにパッと見たら表情が暗いんですよ。「どしたん?」。「クビって言われました。『来年契約しない』って言われた」と。「えっ?」。

徳光:
ええーっ。

齊藤:
僕も「えっ」しか言いようがないですよね、言葉が出ないですよ。順番的には僕が先に出ていくのが普通なんだけど、遠藤が先だったから「えーっ」と思って。次は俺の番かなぁというのは思ってました。

コーチとして日本一に

徳光:
その次の年、横浜大洋ホエールズから横浜ベイスターズとなるわけですね。だから、齊藤さんは、大洋ホエールズ、横浜大洋ホエールズ、横浜ベイスターズとチーム名が変わるわけですけど、その間ずっといらっしゃった。

齊藤:
はい、ユニホームを着てました。

徳光:
これも貴重なことですよね。

齊藤:
そうなんですよ。3球団、同じチームだけど名前が3つ変わった。3球団、現役選手としてユニホームを着たのは僕だけ。

徳光:
ですよね。

齊藤:
でも、17年の現役でAクラスが3回しかない。

徳光:
優勝したかったでしょ。

齊藤:
したかったですねぇ。

徳光:
でも、コーチになってから取り返しましたよね。

横浜ベイスターズは1998年に、権藤博監督のもと38年ぶりにセ・リーグを制覇。日本シリーズでは西武を4勝2敗で破り38年ぶりの日本一に輝いた。このとき齊藤氏はピッチングコーチを務めていた。

齊藤:
僕がコーチになって、権藤さんが監督になられて優勝できたときは、「ほんと優勝ってこんなにいいものか」と、コーチで思いましたからね。
その甲子園でリーグ優勝した試合、(抑えの)佐々木(主浩)がマウンドに上がったときの姿を見て、「ええっ、優勝のマウンドってこんなになるの」っていうくらい緊張で硬かったんですよ。ボールがストライクゾーンへ行かない。先頭打者で3球ボールだったかな。1球入ってから落ち着きましたけど。

徳光:
そういうとき、もし自分が投げていたらって考えませんでしたか。

齊藤:
投げてたら無理でしたね。簡単にストレートのフォアボールを出してますよ。

徳光:
そうですかね。

三浦大輔監督率いる横浜DeNAベイスターズは2024年、齊藤氏がコーチを務めていた1998年以来26年ぶりの日本一に輝いた。その三浦監督と齊藤氏は2年間、現役をともにしている。

齊藤:
三浦君が入って来たときは大丈夫かなっていう心配はありました。

徳光:
どういう心配ですか。

齊藤:
体力があまりないし、足のほうもそれほど速くなかったので。でも、自分なりの100パーセントの力でずっと練習してきたから、あれだけの年数やって成績もあげられたんじゃないかな。ものすごく我慢強い子だったと思いますよ。

徳光:
三浦さんはやっぱり性格とか監督向きなんですかね。

齊藤:
気は長く見えるんだけど意外と短い。去年かな、外国人投手を代えるとき、ちょっとありましたよね。

2024年8月27日の阪神戦で、降板に不満な様子を見せたウィック投手に対し三浦監督は激怒し「チェンジ(交代)!」と一喝、ウィック投手を押してマウンドから降ろさせた。

齊藤:
周りに「俺は怒ったら怖いよ」というのを見せつけた。だから、セカンドの牧はびっくりしてたでしょ。

徳光:
そうですよね。

齊藤:
それで選手一丸になったんじゃないかなと思いますね。そういうムチの入れ方のうまいところはあるんじゃないかなと思いますよ。

(BSフジ「プロ野球レジェン堂」 25/4/22より)

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