プロ野球に偉大な足跡を残した選手たちの功績、伝説を德光和夫が引き出す『プロ野球レジェン堂』。記憶に残る名勝負や知られざる裏話、ライバル関係など、「最強のスポーツコンテンツ」だった“あの頃のプロ野球”のレジェンドたちに迫る!

長身から投げ下ろす直球・カーブと絶妙なコントロールを武器に、ホエールズ・ベイスターズで128勝133セーブをあげた齊藤明雄氏。最優秀救援投手2回に加え、リリーフピッチャーとしては異例の最優秀防御率にも輝いた。ヒゲがトレードマークの“ハマのレジェンド”に徳光和夫が切り込んだ。

【前編からの続き】

巨人がドラフト1位を約束も

大商大のエースとして全日本大学野球選手権2年連続準優勝の結果を残した齊藤氏は、1976年のドラフト1位で大洋に入団した。

徳光:
2度も大学選手権に出たら当然、プロの目にもとまるわけですよね。

齊藤:
そのときは秋くらいからずっとプロのスカウトがグラウンドに来てましたし、ネット裏を見たら、注目されてるなっていうのは大体分かる。

徳光:
「うちは必ず1位指名するから」みたいな話も…。

齊藤:
はい。

徳光:
どの球団からお誘いを受けたんですか。

齊藤:
12球団。全部ありました。

徳光:
そうですか。巨人も行きましたか。

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齊藤:
巨人も来ました。森繁和、佐藤義則、全員1位なんですよ。

徳光:
え、ちょっと待ってください。どういうことですか。巨人はそんなことをしてたんですか。

齊藤:
らしいですよ。でも、当時はくじですから仕方ない。

徳光:
そうですね。それはあるかもしれませんね。

 

当時のドラフトは、まずくじで指名順を決め、1番をひいた球団から順に指名していく方式だった。齊藤氏は3番目のくじをひいた大洋(現・DeNA)に指名された。

齊藤:
テレビ中継で放送されたのが、ちょうど4番目の巨人のところからだったんですよ。

徳光:
じゃあ、その前に指名されてるとは思ってなかったんですか。

齊藤:
全然思ってなかったです。

徳光:
そういうことか。じゃあ、齊藤さんは、大洋が指名とは全く思ってない。

齊藤:
ないですね。

巨人は4番目に藤城和明氏(新日鐵広畑)を指名。巨人が1位指名すると言っていた佐藤義則氏は5番目の阪急、森繁和氏は8番目のロッテが指名した。

徳光:
じゃ、巨人は結局…。

齊藤:
3人とも外れですよ。

徳光:
こういう感じ。面白いですね。

齊藤:
3人とも外れてますからね。「なんだよ!」って。

徳光:
ほんとですよね。

シート打撃で8連打メッタ打ち

徳光:
キャンプでのプロの印象はどうだったんですか。

齊藤:
2月1日にキャンプを迎えた。ブルペン見た。「何で、こんなとこに入ってきたんだろうな」と。

徳光:
誰を見てですか。

齊藤:
渡辺(秀武)さんって、ジャイアンツにおられた「メリーさん」っているでしょう。いきなりですよ、40近い人がピューンッって。「うわっ」ってなりましたよ。ブルペンって横から見てると速く感じるじゃないですか。

徳光:
特にサイドハンドはね。そのとき、平松(政次)さんも見ましたか。

齊藤:
平松さんはエース格なんで、のんびり調整してたんですけど、キャッチボールの丁寧さが全然違いましたね。

徳光:
そうなんだ、へぇ。

齊藤:
それで、シートバッティングの紅白戦で投げたんです。ちょうど2月23日、僕の誕生日の日に、別当(薫)監督が紅白戦だからってプレゼントしてくれたわけですよ。そしたら、8連打ですよ(笑)。

当時の大洋は、1番から山下大輔氏、長崎慶一氏、松原誠氏、シピン氏、田代富雄氏が並ぶ破壊力のある打線を誇っていた。

徳光:
すごいメンバーですよね。この人たちに投げたわけですね。

齊藤:
そうですね。

徳光:
ある意味で打ち砕かれるわけですよね。そこからよく…。

齊藤:
その夜に、大学の監督に電話しましたよ。「監督、『5年で芽が出なかったから、あとお願いします』って言ったけど、3年に縮めてください。3年で芽が出なかったら帰りますから」と(笑)。

徳光:
そうなんだ。大学の監督に。

齊藤:
「それはいいけど、やれるだけやってみろ」って言われました。

プロのレベルに驚いた齊藤氏だったが、1年目から一軍に入り、4月19日のヤクルト戦で初登板をはたす。

齊藤:
2イニングだけ投げたんですね。中継ぎをちょっとやって、5月の連休のときに甲子園で先発しました。

齊藤氏は5月8日の阪神戦に先発し、7回6安打1失点の好投で初勝利をあげた。

齊藤:
これ、ダブルヘッダーの2試合目なんです。実は1試合目にリリーフで投げてるんですよ。

徳光:
えっ。

齊藤:
その日の1試合目の8回に1イニング投げたんです。負けて終わったら、監督が来て、「お前、2試合目、先発」って言われて。

徳光:
別当さんが。

齊藤:
「ええっ」って。でも、そのときは大学を出たばっかりなんで、投げられるっていう感覚でしたけどね。

755号目前の王氏がいた巨人を相手に初完投・初完封

5月に初勝利をあげた齊藤氏はオールスターまでに4勝をあげ、8月30日には巨人を相手に初完投・初完封を成し遂げる。

徳光:
この巨人戦はどういう気持ちで投げたか覚えてらっしゃいますか。

齊藤:
このときは、王さんの755号、ハンク・アーロンに並ぶ世界タイ記録が懸かったゲームだったんです。

徳光:
あ、そうか。そのときなんだ。

齊藤:
それで記者の人に「もし打たれたら、旅行がプレゼントに付いて、名前も残りますよ」って言われたんですよ。昔って記者が祝うじゃないですか。

徳光:
そうでしたね。

齊藤:
そのとき、僕は「人の記録で名前残したくないよ」って言ったらしいんです。その通り完封できちゃったからいいんですけど。
試合前に先輩に言われたんです。王さんって眼光がすごく鋭いじゃないですか。だから、「あの眼球がバレーボールくらいになるぞ」って(笑)。ゴルフボールだったら分かるけど、「バレーボール」って…。

徳光:
そうですよね(笑)。

齊藤:
僕がそのときに思ったのは、「この指からボールが離れない限りはあの人も打てない」。そういう感覚で気持ちを落ち着かせたんです。「自分が主導権を握ってるんだ、真ん中に投げるのもこの指だ」って思いながら投げました。

徳光:
そういうお話を聞くと、やっぱり先天的に投手向きなんですね。

齊藤:
そうなんですかね。

徳光:
俺が投げなきゃ野球は始まらないぞと。

齊藤:
始まらないっていう感覚でした。

徳光:
そういう意味では本当の投手ですね。
でも、王さんは怖かったでしょう。

齊藤:
怖かった。
それ以上に怖かったのは張本(勲)さんです。1年目のとき、ピューッてインサイドに1球行ったんですよね。そしたら、バットで指されて、「小僧っ子!」って言われました。

徳光:
そうですか(笑)。

齊藤氏は1年目に8勝9敗の成績を残し新人王に輝いた。8勝のうち4勝は、この年優勝した巨人からあげたものだった。

齊藤:
新人王は記者投票ですからね。あのときは、関西の記者が票を相当入れてくれたっていう話を聞きましたね。「王さんのタイ記録が懸かった試合で完封したのが一番じゃないか」って言われました。

川崎球場は観客がスタンドから競輪観戦!?

徳光:
齊藤さんが入ったときは、大洋ホエールズの本拠地は川崎球場ですよね。

齊藤:
はい。地方球場みたいなね。

徳光:
その感じはありましたよね。

齊藤:
土日のデーゲームで3時前くらいになってくると、三塁側スタンドのお客さんが上に上がっていくわけですよ。「試合やってるんですけど、何で上へ上がってくんですか」。「あれはな、競輪の最終レースが最終コーナーを回ってるところだよ。それを見に行くんだよ」って…(笑)。

徳光:
隣の川崎競輪が見えるわけですね。

齊藤:
「えっ、試合中ですよ」って言ったら「ここは関係ないんだよ」って…。
お客さんがおとなしく試合を見てるのは巨人戦だけですよ。

徳光:
そういうお客さんもいたわけですね。
それで、次が横浜スタジアム。

齊藤:
2年目ですね。

徳光:
やっぱり川崎球場とは全然違いましたか。

齊藤:
もうメジャーの球場に見えました。ロッカーとかお風呂とかが全然きれいですもん。
川崎球場のとき、1年目の僕らはお風呂なんか最後のほうじゃないですか。もうお湯がないですもん。砂でざらざらだし。横浜に行ったら風呂は広いしシャワーはあるし、ロッカーはきれいに区切ってあってトランクをドーンと広げられる。川崎じゃトランクを広げたら人が歩けないっていう状況でしたから(笑)。

本拠地が横浜スタジアムに変わった2年目に齊藤氏は大活躍。16勝(リーグ2位)、防御率3.14(リーグ3位)、162奪三振(リーグ1位)という素晴らしい成績をあげる。

徳光:
われわれジャイアンツファンの印象としては、「何でこんなにコントロールがいいんだろう」って。

齊藤:
球種が少ない分、駆け引き、コントロールをしっかりしなきゃいけないってやってたのは確かなんですけど。
小さいときに親父とよくキャッチボールをしてたんです。親父は、立ってやるのがしんどいから椅子に座りながらやってたんですね。だから、親父の構えるところ、胸の前に目がけて投げないと捕らないんですよ。それで、ボールを指から離す感覚を覚えたという感じはしますね。

徳光:
そうなんですか。お父さんが師匠でいらしたんですか。

齊藤:
今、思えば。

徳光:
そうですか。
投球フォームは当時からあんまり変わってないんですか。

齊藤:
僕はもともと外野手だから、はっきり言ってピッチャーらしい投げ方じゃない。外野手と一緒でボールを捕ったまま投げるんですよ。

徳光:
どういうことですか。

自身の投球フォームを説明する齊藤氏
自身の投球フォームを説明する齊藤氏

齊藤:
セットに入るでしょう。普通のピッチャーは足を上げたら、ボールを持つ手を一度下げて、そこから上げてきて、後ろから回してきて投げるわけです。
僕の場合はもともと外野手だから、セットの位置から手を下げずに、そのまま上に上げるんですよ。だから、ピッチャーとしては珍しいテイクバックの仕方なんです。

徳光:
そうですか。確かに極めて珍しいですね。

齊藤:
そうらしいです。

抑え投手なのに最優秀防御率

1980年までの4年間で49勝をあげた齊藤氏は、81年のシーズン途中にリリーバーを務めるようになり、82年からは本格的に抑え投手に転向する。

徳光:
82年から抑えになるわけですけど、これは抵抗はなかったんですか。

齊藤:
82年は、関根(潤三)さんが監督ですよね。開幕のときに、遠藤(一彦)と僕が監督室に呼ばれて、「開幕の阪神戦は齊藤でいく。開幕10試合はどっちが無理をするか」という話になったんですよ。

徳光:
はい。

齊藤:
僕は開幕戦で8イニング投げて2点取られたんですけど、小林(繁)さんのサヨナラ敬遠暴投で負けが消えたんです。次は中2日で巨人戦にリリーフ。4イニング投げてセーブをあげた。
次の広島遠征に行くときに、監督が、「2試合で12イニング投げて肩に負担がかかってるから、広島は休んどけ」って言ったんですけど、「全然大丈夫ですよ。肩は何ともないですよ」って言って、リリーフで投げたんです。
ずっとそのままの流れできて、5月くらいに「チームが落ち着いたから先発に戻れ」って言われたんですよ。でも、僕は“ゲーム出たがり”のほうだったから、「今、これでチームの流れがいいんですから、このままでいいですよ」って言って、そのまま7年間リリーフ。

徳光:
へえ、そういう投手人生なんだ。

齊藤:
ただ、別に無理してるわけでもないし嫌でもないし…っていう感覚で投げさせてもらったんですね。それで故障しなきゃいいだろうっていう感覚でしたね。

徳光:
自分の中で故障しない自信があったんですね。

齊藤:
ありましたね。僕は無理して投げてないから、シーズン中に肩や肘のケガで休んだことは17年間で1回もない。風邪もないし。

抑えに転向した1982年、齊藤氏は5月に8試合連続セーブを記録すると、シーズン30セーブ(いずれも当時の日本記録)をあげた。

徳光:
8連続セーブは、抑えに転向してすぐですね。

齊藤:
実は4月にもそれくらいの成績をあげてたんですよ。ただ、引き分けをひとつ挟んでたんです。連続試合はピッチャーの場合、引き分けで消えるんですよね。バッターはフォアボールを挟んでも連続安打が消えない。ピッチャーは引き分けになった時点でゲームセットだから、途切れちゃうんですよ。

この年、齊藤氏は抑えピッチャーであるにもかかわらず規定投球回数に到達し、最優秀防御率のタイトルを獲得した。

徳光:
抑えで規定投球回数に到達って、今では考えられないですよね。

齊藤:
130試合ですから130イニング投げればいいんですよ。開幕戦で8イニング投げたでしょ。あとは3イニング、7回からとかをやってたんで…。56試合しか出てないんですけどね。

徳光:
でも、そのくらい試合に出てたってことですよね。
抑えのときは、試合中はどういうふうに過ごされてたんですか

齊藤:
僕はゲームが始まる頃にトレーナー室に入ってマッサージ。それで仮眠してますね。

徳光:
寝るんですね。

齊藤:
完璧に寝ます。

徳光:
出番がありそうだっていうのは分かるんですか。

齊藤:
大体5回くらいにはマッサージが終わって、ロッカーに行って、そのときの点差によってブルペンに行く行かないを決めます。

徳光:
そうなんですか。じゃあ、勝負がついたような点差だったらどうなるんですか。

齊藤:
3回までに10点以上入ってると、全くユニホームに着替えないです。

徳光:
そういうもんなんですか。

齊藤:
僕は着替えなかったですね。

【後編に続く】

(BSフジ「プロ野球レジェン堂」 25/4/22より)

「プロ野球レジェン堂」
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