国際ニュースを扱っていると、学校では教えてくれなかった「スラング(俗語)」に戸惑うことがよくあるが、今回悩まされたのは「86」という数字の隠語だ。
「8647」元FBI長官が“意味深”投稿
米合衆国国土安全保障省のクリスティ・ノーム長官は16日、次のようなX(旧ツイッター)を投稿した。
Disgraced former FBI Director James Comey just called for the assassination of @POTUS Trump.
— Secretary Kristi Noem (@Sec_Noem) May 15, 2025
DHS and Secret Service is investigating this threat and will respond appropriately.
「元FBI長官で恥知らずのジェームズ・コミーが、トランプ合衆国大統領の暗殺(assassination)を呼びかけた。国土安全保障省とシークレットサービスがこの脅威について捜査をしており、適切に対応することになる」
コミー氏は、2017年にトランプ大統領にFBI長官職を解任されているので、その人物が「大統領暗殺呼びかけ」というのは確かに穏やかな話ではないが、その根拠というのがコミー氏が前日15日に投稿したインスタグラムの写真なのだ。

その写真は、砂の上に黒と黄土色の貝殻を並べて「8647」と数字を描いたもので、「砂浜を散歩していて見つけた洒落た貝殻の並び」というコミー氏のコメントが添えてある。
その8647という数列の内、後半の「47」は第47代大統領のトランプ氏であることは容易に理解できる。問題は「86」だが、バーやレストランなどで使われる業界隠語で「注文のキャンセル」や「(迷惑な)客を追い返す」意味で使われるらしい。(英インディペンデント紙電子版17日)。
そこで「トランプ大統領を“キャンセルする”という暴力的脅迫の意図と理解する者もいる」(保守派のニュースサイト「ブライトバート・ニュース」16日)ことになったようで、トランプ大統領自身も「86が暗殺を意味することは子供でも知っている」とFOXニュースのインタビューでコミー氏を非難した。
さらに、この写真が投稿された当時、トランプ大統領が中東諸国を歴訪していたことを重視したホワイトハウスのジェイムズ・ブレア大統領次席補佐官は、Xに次のように投稿した。
This is a Clarion Call from Jim Comey to terrorists & hostile regimes to kill the President of the United States as he travels in the Middle East.
— James Blair (@JamesBlairUSA) May 15, 2025
Any Democrat or Media Outlet who fails to condemn this clear Incitement of Violence is complicit and must be described as such. https://t.co/LxHAlM3Yqy
「これは、大統領を中東訪問中に殺害するようテロリストや反米政権に向けてコミーが発した声高な呼びかけだ」
その一方で、AP通信が15日に配信した記事は、同通信が利用しているメリアム・ウェブスターの辞書が86を「『捨てる』『処分する』『サービスを拒否する 』という意味のスラングとしており、最近では、従来の意味を論理的に拡張して『殺す 』という意味で使うことがあるとしながらも、比較的新しく、使用頻度も少ないため、辞書としてはその意味では使わない」としていることを紹介し、「暗殺説」には否定的だ。
「86」が意味するものは…
シークレットサービスなどの取り調べを受けたとされるコミー氏も、刑法上の咎を受けた様子もないので、この8647がいったい何を意味したのか知りたくなり、その語源を辿ってみた。
インターネットの検索アプリで「86」を追ってゆくと、ザ・ニューヨーカー誌電子版2016年12月5日の「文学的歴史に富んだチャムリーズ」という記事に行き着いた。

「チャムリーズ」とは、かつてニューヨークのグリニッジ・ビレッジに禁酒法時代の1922年、社会主義活動家レイランド・スタンフォード・チャムリーが開店したスピークイージー(隠れ酒場)で、アーネスト・ヘミングウェイやF・スコット・フィッツジェラルド、ウィラ・キャザーなどの文豪たちが愛した店として知られる。
記事は、このバーが英語の俗語「eighty-sixed(86-ed)」という表現の語源になったとする。86を動詞化して「追い出される」という意味で使われるが、バーの裏口の住所がベッドフォード・ストリート86番地にあり、警察が禁酒法違反の手入れに近づいてくると「86から逃げて」と客を促したことに由来するらしい。
つまり、86という数字には本来「暗殺する」という意味はなかったようで、コミー氏も「そろそろトランプさんも裏口から退陣する頃合いか」と皮肉をこめて写真を投稿したと考えると、10・4(テン・フォー)できるのだ。
「10・4」は、米国の警察無線などの簡略語で「了解」の意味で使われる。
【執筆:ジャーナリスト 木村太郎】
【表紙デザイン:さいとうひさし】