普段あまり接することがない「科学論文」。

脳科学者の池谷裕二さんは、年間5万本の論文に接し、目を通すことが日課だという。

その中から魅力あふれる論文を厳選し、独自の解説をする著書『すごい科学論文』(新潮新書)から、「『麻酔』は意識の謎に迫るカギ」について一部抜粋・再編集して紹介する。

100年前にはまだなかった

医療の進歩は目覚ましいものがあります。10年前は助からなかった命でも今ならば救うことができる病気は少なくありません。これは10年後についても同じことです。

今はまだ回復の見込みの薄い疾患も簡単に治療できるようになるかもしれません。医学は劇的に変化するのです。

医学の進歩の中でも興味深いのが「麻酔」です。100年前には、まだ麻酔はありませんでした。

広い意味では、19世紀に欧米で用いられていたエーテルやクロロホルム、日本で開発された麻沸散(まふつさん)は、ともすれば麻酔と呼んでよさそうですが、現在から見れば危険極まりない代物で、私には到底「麻酔薬」には思えません。

実際、当時も「完全な麻酔は実現不可能。夢の技術にすぎない」という考え方が一般的でした。

20年弱の間に続けて発見

現在でも通用する麻酔薬であるハロタンが登場したのは1956年のこと。人類はごく最近まで、頭部を殴ったり頸部を絞めて気絶させたり、アルコールを飲ませて酩酊させたりして、手術を行っていたのです。

ちなみに、最後に発見された麻酔薬は1973年のプロポフォールです(注:ハロタンやベンゾジアゼピンの改良品はその後も開発されています)。これは奇妙なことです。

現在も通用する麻酔薬は1956年に登場する(画像:イメージ)
現在も通用する麻酔薬は1956年に登場する(画像:イメージ)
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人類は、わずか20年弱の間に、現在使われている麻酔薬を立て続けに発見し、それを今も使い続けているのです。

「真に新しい麻酔薬はもう開発されないだろう」と絶望視する製薬の専門家もいます。理由は、麻酔薬がなぜ効くのかがわからないからです。