北京の日中友好病院で起きた不倫スキャンダルが波紋を呼んでいる。不倫相手とされた女性が上流階級の子弟だったことから学歴チート疑惑も浮上し、中国世論が大炎上している。
そこから日本の読者が読み取るべき教訓とは何なのか。そして真の「日中友好」とは何なのかを考える。
以下の文章は、東京大学のある中国人訪問学者が執筆し、東京大学大学院の阿古智子教授が翻訳したものを編集した記事である。
「日中友好」の象徴で起きたスキャンダル
北京市朝陽区には、ロゴに富士山と万里の長城が描かれた中国で有名な病院、日中友好病院がある。この病院は、1978年の大平正芳首相の中国訪問時の合意に基づき、日本政府からの無償資金協力事業として計約193億円の供与を受けて建設され、1984年に正式に開院した。

その後も、数々の日中技術交流事業を実施し、笹川医学奨学金などの仕組みも活用しながら、日中医療人材交流の重要な拠点となっている。さらに、日本全国から医師や看護師を集めて北京で指導にあたらせ、同時に中国の医療スタッフを日本に招き、6カ月から1年間の臨床研修を行ってきた。
この病院は過去40年間、中国の医療の近代化変革において重要な役割を果たしてきたと言える。現在の総病床数は1600床以上、中国有数の病院である。

多くの駐中国日本大使がこの病院を訪れている。直近では、2021年1月14日に垂秀夫大使(当時)が訪問し、2024年10月23日に金杉憲治大使が日中友好病院で開催された40周年記念式典に出席している。

この病院は中国でも特別な名誉を受けている。 2001年に「中央保健拠点病院」に指定され、中国共産党の高級幹部にも医療を提供できるようになった。
一党支配の国である中国では、最良の医療資源が中国共産党の高官に優先的に与えられる。中国の国家衛生健康委員会には「保健局」と呼ばれる部署があり、納税者のお金を使って、引退した幹部とその家族を含む中国共産党の高官に生涯にわたってサービスを提供している。
2001年、日中友好病院が中央医療拠点となったのは、この病院の医療レベルの高さを証明している。中国共産党の幹部が自ら使用するために選んだ医療機関は最高水準のものであることは間違いない。
しかし、2025年4月下旬から、この病院は「董氏事件」によって中国のネット世論の炎上の嵐に巻き込まれることになった。
この事件は単なる複数のスキャンダルにすぎなかったが、その後数日間にわたって事態は悪化し続け、5月1日には中国の衛生当局である国家衛生健康委員会が「調査チームを設置し、肖氏と董氏、および関連機関に対し調査を実施し、法令違反が発覚した場合は法規に従って厳正に対処する」との声明を公式に発表した。
つまり、世論の高まりが続いたことで、ついに中央レベルの担当部門も黙っていられなくなり、調査への介入を公表せざるを得なくなったのである。
この複数のスキャンダルは、私たちに現代中国社会を垣間見る貴重な機会を与えてくれる。
以下、この文章では、(1)このスキャンダルの実態、(2)なぜ世論が炎上し、情報統制が厳しい中国で、この一見自然発生的な世論の炎上が許されたのか、(3)日本の読者はこの問題を通して真実の中国をどのように理解すればよいのかについて、お伝えしたい。
妻が告発したスキャンダル
4月25日、日中友好病院の懲戒委員会に宛てた実名の苦情書がネット上で公開された。署名者は日中友好病院胸部外科副主任医師の肖飛(ショウ・ヒ)氏の妻、谷(コク)医師である。
報告書には主に2つの告発が含まれていた。第一に、肖氏が結婚中に複数の人と不倫し、婚外子をもうけたということ。第二に、彼は医療行為において重大な問題を抱えており、それが病院の医療と教育の秩序に悪影響を及ぼしているということ。

個人の倫理的問題はさておき、世間の注目を集めているのは、2つ目の点、すなわち肖氏の医療倫理についてである。
告発によると、2024年7月、肖氏が手術を行っていた際、当時病院で定期研修を受けていた不倫相手の董襲瑩(トウ・シュウエイ)氏が、ある対応で看護師から叱責されたという。肖氏はその場で看護師に怒鳴りつけ、全身麻酔をかけられた患者を手術台に一人残したまま、董氏とともに40分間手術室を離れた。さらに、肖氏は董氏との不適切な関係を維持するために、彼女に様々な「特別な配慮」を与えており、医療の公平性と秩序を損ねていたという。
日中友好病院は4月27日、速やかに事態に関する報告書を発表し、肖氏について報じられた個人的な問題は「基本的に事実」であると判断し、同氏の党からの除名と解雇を決定した。
しかし、事件はそれだけでは収まらなかった。それどころか、董氏の人生経験や学歴の実態が晒され、世論はさらに炎上続けた。
ネットユーザーらは、董氏がアメリカで学部生として経済学を学び、その後、北京協和医学院の「4+4 医学博士」課程(※下記注参照)に編入し、わずか4年で医学博士号を取得したことを知った。通常の医学生は、医学部に5年、修士課程3年、博士課程3年と医学分野で11年間勉学が必要なのに。また、博士号取得後通常3年研修を受けなければならないところ、彼女は1年で研修を終えているという。
中国の大手メディア「第一財経」によると、彼女は3年間で、幅広い研究分野にわたる少なくとも11本の論文の出版に携わったが、博士論文の本文は約30ページしかなかった。医療専門家らは彼女の研究結果の信憑性を疑問視し、世論が炎上した後、彼女の論文はCNKI(中国学術情報データベース)などのデータベースから検索できなくなり、疑惑はますます深まった。
(※注 4+4 医学博士:さまざまな学部の専攻から医学を志す優秀な学部生を選抜するために作られたシステム。非医学部教育を修了した後、医学部に入学し、臨床医学を学び、卒業後に医学博士号を取得する。4年間の非医学部教育と4年間の医学部教育で構成されているため、「4+4」教育システムと呼ばれている。ただし倍率はかなり高くハードルは高いとされている)
さらにネット上の情報では、董氏は「上流の中産階級」の家庭に生まれ、祖父は人民解放軍某総合病院の幹部、父親は北京某研究所の所長、母親は北京某有名大学の博士課程の学生を指導する資格を持つ教授だという。また、董氏が研修を受けた中国医学科学院の入院棟は、父親が勤務していた会社によって建てられたという情報も流れた。このことから、彼女の学問や医学の道は、家族の資源に大きく依存している可能性があるとみんなが推測した。
炎上理由「点数だけは公平だと思っていたのに」
一方、中国共産党の強力な宣伝・治安維持システムは、急いで投稿を削除し、事態を鎮静化させようとしなかった。これは董一家が最も有力で裕福な一族ではないことを示している。さらに2021年には、中国国営メディアの新華社のネット版である「新華網」が医療関連のニュース記事の表紙に董氏の写真を使用した。

経済が低迷し、社会的不平等が蔓延し、教育や仕事へのプレッシャーが高まっている中国において、この事件は一般の中流家庭の不安と怒りを確実に煽った。董氏は、一般の中国人が並外れた努力でしか得られない、貴重な教育と雇用の機会を容易につかんだのだ。
董氏の事件は、機会が限られ、ルールが機能しない環境では、努力するよりも「家系に頼る」方がはるかに有利で、個人の努力は最終的には権力関係の隠れたネットワークによって薄められてしまうと、一般の中国人に直感的に感じさせた。
中国の教育制度は極めて強いストレスと、激しい競争を強いるが、人々は依然としてそのような「教育」に耐える意志を持っている。彼らがかつて信じていた根本的な考えは、不公平な世界においても、少なくとも「テストの点数」は比較的公平であるということだった。今、一般の人々は、このような「公平さ」さえも存在しないことに気づき始めている。
コネのある家族の子どもは、あらゆる普通ではない手法を使って、最高の大学の最高のプログラムに簡単に入学し、専門的な訓練をそれほど受けずに、最高の病院で外科医になることができる。人の命を扱うポストにだ。だから、この事件が世論の反響を継続的に引き起こしたのだ。

真実の中国をどう理解すべきか
では、日本の読者は、この事件から中国の現状をどうとらえればよいのか?
まず、強くて大きく見える中国だが、2025年の段階において多くの社会問題が存在し、広範囲にわたる社会的不正義と極めて脆弱な社会心理を抱えていることを理解して欲しい。
中国の経済的台頭は、2000年にWTO(世界貿易機関)に加盟してから始まった。それ以来、中国は国際貿易システムに統合されてきた。中国の安くて勤勉な労働力、そして低い人権状況によってもたらされたいわゆる「コスト優位性」により、中国は急速に世界の工場へと発展した。
当時、アメリカを筆頭とする西側諸国は、中国の経済発展が政治的民主化をもたらすという甘い期待を抱いていた。日本もそう信じ、中国に最も寛大な援助を行った。しかし、25年後に振り返ってみると、GDPは確かに成長したが、中国の政治はより暗く、不公平になっている。なぜなら、経済発展の最大の受益者は、中国社会ではなく、政府の全体主義機構だからだ。
国民の可処分所得(DISPOSABLE INCOME)とGDPの比率から簡単なデータ分析を行えば、この状況がよくわかる。日本は約85%、アメリカは約75%、中国は日本の約半分のわずか43%だ(2024年のデータによる)。このデータから、いかに中国の一般国民が経済発展の恩恵を受けていないことがわかる。
さらにいうとGDPに政府独占資源は含まれない。そして中国では、土地は100%国有であり、銀行や金融業界もほぼ100%国有である。
したがって、中国の経済は確かに発展しているが、相対的に言えば、政府と政権が受け取る利益の取り分が増加する一方、一般人の活動空間は次第に狭まってきており、民間企業の運営もますます困難になってきている。
政治的な進歩がない中で、政府は経済分野で略奪的な特徴を帯びるという状況が広く見られるようになった。今回の董氏をめぐる騒動は、かつては実力に依存していた医学部受験が、権力と人間関係のゲームに成り下がってしまったことを一般の人々に示した。だからこそ、あれほど大きな世論の炎上を巻き起こしたのだ。
日本の読者は、中国の問題をとらえる時、中国共産党、中国政府、中国の特権階級、そして一般の中国国民を分けて考えなければならない。もちろんこれは難しい。なぜなら、中国には言論の自由がないからだ。人々が外で見たり聞いたりするのは、当局によって「代表された」普通の中国人の声であり、普通の人々が代表されることを望まないということはあり得ない。
私は昨年から、「代表される」ことを望まない一部の中国人が、どのようなことを考えているのかを皆さんに理解していただきたいという思いから、文章を書き続けている。
(会場は日本なのに…中国国内“ライブ禁止”のロック歌手の歌を聞くためだけに多数の中国人来日し涙 日本人が知らない“中国”の一面)
「日中友好」の時期や中身を決める中国共産党
次に、中国政府が言う「日中友好」とは何かを見極める必要がある。
この事件で、日中友好病院は不幸にも「被害者」になった。その結果、過去40年間、この病院をゼロから築き上げるために多大な努力を払ってきた日本の医療専門家の評判が間接的に傷つけられたことは、非常に残念なことだ。
「日中友好」とはよく目にする言葉だ。これは確かに良い言葉であり、普通の中国人や日本人の願いでもある。しかし、中国の文脈では、この言葉を解釈し発言する権利は、実際には中国共産党と中国政府だけに属している。いつ友好的になるか、どの分野で友好的になるか、そしていつ非友好的になるかは共産党の必要に応じて決まる。
2024年を通して、中国共産党がプロパガンダの焦点の一つに掲げていたのは、日本の福島第一原子力発電所が中国に与えた、いわゆる「汚染」であった。この時点で「日中友好」に言及することはできなかった。
中国政府は日本に対するヘイトプロパガンダを推進しており、 2024年には中国国内で日本人に対する凶悪な暴力事件が相次いだ(昨年私は、本ウェブサイトに中国共産党の組織的なヘイト教育と、なぜ醜い中国人が多いのかについて記事を書いた。)
(なぜこれほど憎しみにみちた中国人が多いのか?靖国落書きや園児殺害予告など相次ぐ「反日」事件と「ヘイト教育」)
2025年3月以来、中国とアメリカは貿易戦争の状態にあり、中国は再び日本を必要としているため、蘇州と深圳で起きた日本人学校関連の襲撃事件の犯人2人にすぐに死刑判決を下した。中国メディアは詳しく報道せず、法的手続きも不明瞭だった。
子供に刃物を向けた殺人犯は確かに有罪にすべきだが、そもそも彼らの反日感情はいったいどこから来たのだろうか。被告としての彼らの権利は保護されたのか。独立性を確保できる弁護士に依頼できたのか。手続的に正しいのか。いや、これらはどれもなかったのだ。
とにかく、彼らは処刑された。そしてこれは、中国が再び「日中友好」をスタートできるということを意味する。
4月29日、日本の国会議員らがジャイアントパンダを再び貸与するよう中国側に要請し、中国の複数の国営メディアがこの件を大々的に報道した。すぐに頭に思い浮かぶのは、「日本はまた私たち中国人に懇願している」というイメージだ。

もちろん、ジャイアントパンダはかわいいし、日中友好病院を建設した日本の医師たちは尊敬に値する。しかし、中国政府にとって、これらは単なる手段と道具にすぎない。中国社会の進歩と政治の革新がなければ、日本からの多くの善意が中国共産党政権の道具となってしまうだろう。
日本が巨額の資金を投じて日中友好病院の建設を支援した当時、この病院が早々と「中央保健拠点」となり、そして2025年には社会不正義の大スキャンダルの舞台となるとは、誰も想像もできなかっただろう。
つまり、「日中友好」は良いことだが、中国にとって日本の最大の価値は金銭や技術ではない。これらは確かに重要だが、中国自身が政治を文明的にしなければ、金と技術は悪の統治の道具となってしまうだろう。中国の顔認識技術はその好例であり、次は AIを利用するだろう。
中国人が日本に心から感心しているのは、民主的な立憲主義、法の支配、市民社会、集会・結社・言論の自由である。これらを基礎とし、政府ではなく国民が主張する日中友好こそが、真に意味のある「日中友好」である。
【翻訳:東京大学大学院総合文化研究科 阿古智子教授】