1年に16日ある祝日。かつては各家の軒先に日の丸を掲げ、その日を祝う風習があった。このことから祝日を“旗日”とも言ったものだが、日の丸を掲げる風習が薄れるとともに、若い世代は“旗日”という言葉にも馴染みがないようだ。
“昭和100年”の昭和の日に復活した風景
昭和100年にあたる2025年。その4月29日『昭和の日』に、新潟県村上市で懐かしい景色が復活した。

町屋通りと称される村上市の上町・大町・小町の一帯で、それぞれの軒先に100本の日の丸が掲揚されたのだ。
祝日に日の丸を掲げるという昭和の原風景を、昭和100年にあたる2025年の昭和の日に復活させたい!10年前から構想を練ってきたのは、村上市の川上伊登志さんだ。
川上さんが中心となり『日本の祭日を祝う会』を設立。会が日の丸の購入を補助することで3町内の住民に協力を呼びかけた。

町屋通りにはためく日の丸に、川上さんは「とても感動している。昔の景色が蘇ったなという感じ」と感慨深そうだ。
「昔は日本の祝祭日を“旗日”と言って、皆さんが国旗を掲揚して祝う文化・習慣があった」と話す川上さん。
1947年(昭和22年)生まれで、町屋通りに日の丸が掲揚された子ども時代の光景が胸に刻まれているという。
「旗日?正直知らない」風習が薄れるとともに“旗日”という言葉も…
町屋と日の丸の共演に、通りを歩く人たちも足を止めカメラを向けていた。

千葉から訪れた50代女性は「すごく日本らしい。情緒があっていいなと思った」と歓迎する。
一方で、若い世代は“旗日”という言葉自体に馴染みがないようだ。
「旗日という言葉を正直知らなかった」と話すのは、東京から観光で訪れていた30歳の男性。昭和の日という祝日に日の丸が掲揚される意味合いも分からなかったという。
「我々の年代は祝日への意識が薄れていて、“ただの休暇”という意識が強い。こうして国旗を掲揚することで祝日の意義を考えるきっかけになると思う」
日本の祭日を祝う会は、今後も祝日に合わせ、村上市町屋通りに日の丸を掲揚する取り組みを続ける。
祝日を祝うという心とともに、“旗日”という言葉も次の世代に引き継ぎたい考えだ。
(NST新潟総合テレビ)