今から30年前の、1995年3月20日。日本中を震撼させた「地下鉄サリン事件」が起きました。

死者14人、負傷者6000人以上。犯罪史上、類を見ない無差別テロは、後に「オウム真理教」の信者らが起こした事件だと判明しました。

当時、報道対応にあたっていた、霞ケ関駅の元駅長・野尻辰秀さん(73)。
くしくも、事件が起きたこの日は、駅長に就任した初日だったといいます。

霞ケ関駅の元駅長 野尻辰秀さん:
朝8時の点呼をするために、ここに来て。ここに立って、自己紹介と点呼事項を伝えた。
点呼を終えた野尻さんが、駅長室に戻ろうとしたそのとき、「築地駅で、爆発が起きた」という衝撃的な知らせが飛び込んできました。

第一報は「爆発」。しかしその直後、駅構内は体調不良を訴える人であふれていったのです。

霞ケ関駅の元駅長 野尻辰秀さん:
サラリーマン風の人と、学生風の人が駅長室がある事務所に入ってきて、「助けてほしい」と。顔はもう真っ青と真っ白というか、なぜそうなったか分かりませんけども、とにかくつらそうだったので、尋常じゃないっていうのは分かりました。

様々な情報が入り乱れる中、2人の部下が倒れたという知らせも…。

霞ケ関駅の元駅長 野尻辰秀さん:
高橋さん…菱沼さん…息もなく脈もなく、高橋さんはホームに倒れている。鑑識の方も電車で倒れている、そういう情報はどんどん入ってきました。駅でよく貼ってあるポスターを裏返して、全部貼らせて、情報が来た都度、全部書かせたんです。
11時前ですよね、なんか「サリンらしい」って話があって。もうここで充満しているっていうのはわかったんでしょう、だから全員地上に退避しようと。

2人の部下を失った野尻さん。今も当時のつらい記憶が脳裏から離れません。

霞ケ関駅の元駅長 野尻辰秀さん:
殉職させてしまったという、心苦しい気持ちが残っている。
「風化させてもいいのでは」当事者故の葛藤
日本中を震撼させた、未曽有のテロ事件から30年の月日がたち、事件の惨劇を知らない世代も増えてきた中、野尻さんは今も被害に苦しむ人がいることを思うと、事件を伝え続けることに“葛藤を覚える”といいます。

霞ケ関駅の元駅長 野尻辰秀さん:
サリンを浴びたっていうことだけでもって、つらい思いをしている人はたくさん、6000人当時はいたわけで。その人のために、“語り継ぐ”なんていうことはしてはいけない。風化させてもいいのではないかと思ったんです。
僕だってこの時期になると、もう目の痛みであったり、動悸が…。“自分が覚えていることが蘇ってくるからそうなる”ことを、知らない人に語って本当に伝わるかどうか。

霞ケ関駅の元駅長 野尻辰秀さん:
(殉職した部下の)高橋さんの告別の日に、制服をみんなで着て送ったっていうのを思い出すと、もう…もうダメですよね、自分がね。
語り継いでいく責任があるって言われれば、そうなのかもしれないけども、それを語り継いでいく必要があるのかっていう葛藤ですよ。
(めざまし8 3月20日放送)