3月20日にギリシャで行われるIOC(国際オリンピック委員会)の会長選挙に、FIG(国際体操連盟)の渡辺守成会長(66)が日本人として初めて立候補している。これは東京オリンピックの際に「ぼったくり男爵」と批判されたバッハ会長の後任を決める選挙だ。

渡辺氏はジャスコ(現イオン)に入社後、サラリーマンとして新体操教室などを展開する傍ら、日本体操協会で実績を重ね、2017年にFIG会長、2018年にIOC委員に就任し、バッハ会長の右腕として活躍する異例のキャリアを重ねてきた。

現在は、イオンを定年退職して“年金暮らし”だといい、「IOC委員の中で一番貧乏」と自称している。
一方、会長選挙の投票権を持つIOC委員は、渡辺氏曰く“貴族の集まり”だ。メンバーは欧米出身者が半数を占め、王族からメダリストまできらびやかな面々が顔を揃えている。
なぜ今、渡辺氏がスポーツ界のトップを目指すのか、その胸中を聞いた。
スポーツの存在感を高めたい
インタビューは、3月16日にスイス・ローザンヌにあるFIG本部で行った。

渡辺氏はこの直前まで、ウクライナやロシアなどを訪れ体操関係者と面会を重ねていて、会長選挙が行われるギリシャに向かう直前にスイスに立ち寄ったところだった。

なぜ会長選挙に立候補したのかと問うと、「各国において、スポーツのプレゼンス(存在感)が一向に上がっていかない。オリンピックを通じてそこを改善したい」と実直な答えが返ってきた。
公約は五輪の5大陸同時開催やIOCへの二院制導入で独自色
渡辺氏は、IOC会長選挙の公約として世界の5大陸の5都市で同時期に10競技ずつ、夏の大会を開催することを掲げている。また、IOCを「ワールド・スポーツ・オーガニゼーション(世界スポーツ機関)」に改称し、スポーツ全般に活動内容を広げる案や、二院制を導入して、下院を国際競技連盟や国内オリンピック委員会の会長で、上院はIOC委員で構成する案を披露している。
この提案の背景には、渡辺氏が抱く問題意識がある。

例えば、東京オリンピック・パラリンピックでは最終的な大会経費が1兆4238億円に上るなど開催する国や自治体に大きな負担がかかった。こうした金額を念頭に「1兆5000億円みたいな金額を出せる国はなかなかない。当然、国民の税金で賄われているわけです。そうすると、開催できるのは大国に限られてしまう」と指摘する。

公約で掲げたように、5大陸5都市で同時開催すれば1会場あたりの負担が大幅に下がり、小さな都市でも開催を検討することが出来、透明性も高くなるとメリットを挙げる。
“バッハ会長の右腕”なのに反旗 「ルール順守」を訴え
“バッハ会長の右腕”として辣腕を振るっていた渡辺氏だが、反旗を翻したことがあった。それが2023年10月のIOC総会だ。
この時、2025年に任期満了を迎えるバッハ会長の任期を延長するべきだという趣旨の意見が出席したIOC委員から相次いだ。オリンピック憲章では、会長の任期を1期8年、2期目は4年で最長12年と定めていて、再選のためには五輪憲章を改定する必要があったのだ。
これに対し渡辺氏は会場でバッハ会長に「世界の人はスポーツにルールの順守を期待している」「IOCは各競技の国際団体の模範になるべき」などと発言し、公然と反対した。

この時のことについて渡辺氏は「団体のトップが自らルールを変えて、任期延長を図るというのは、要するに試合の途中でちょっと不利だからルールを変えてと言うのと同じ。そんなこと言えないでしょ」と強調する。
またバッハ会長の12年の功罪について質問すると、「功」として東京オリンピックの開催などを挙げ、「罪」については任期延長をめぐる動きだと話した。だからこそ「晩節を汚してほしくなった」と寂しそうな顔で笑っていた。
IOC会長選挙には元メダリストなど7人が立候補 “後継候補”の噂も
IOC会長選挙には7人が立候補していて、渡辺氏の他に、IOC副会長のフアンアントニオ・サマランチ・ジュニア氏(65)、競泳女子の元ジンバブエ代表で7個の五輪メダルを獲得しているカースティ・コベントリー氏(41)、ヨルダンオリンピック委員会会長のファイサル・アル・フセイン王子(61)、世界陸連会長のセバスチャン・コー氏(68)、国際自転車競技連合会長のダビド・ラパルティアン氏(51)、国際スキー連盟会長のヨハン・エリアシュ氏(63)という面々で争われる。

この中で、バッハ会長が“後継者”と考えていると噂されるのが唯一の女性候補で最年少、そしてアフリカ出身のコベントリー氏だ。公約には、女子アスリートを保護し、機会の平等をすすめることで、女子スポーツの強化を実現したいとしている。また、引退後のキャリアについても既存のプログラムの拡充を提案している。
反旗はプラスかマイナスか 複雑な心境を吐露
バッハ会長に反旗を翻したことは、選挙戦においてプラスに働くのかそれともマイナスだったのか。この点を質問すると、初めて考え込んで「あの時点で(会場のIOC委員から)拍手をもらえたし、渡辺という知名度も上がったし、一部には尊敬したっていうことをはっきり言ってくれた人もいた」と述べた。

一方で、109人のIOC委員のうち渡辺氏を含む約8割が、バッハ会長が就任した2013年以降に委員になっていて、「みんな恩義がある」として、「そういった意味では、やっぱりあそこでバッハ会長に意見をしたっていうのは非常にマイナス要素ではあったと思う」と複雑な心境を明かす。
渡辺氏曰く「IOC委員は職業が全部バラバラでスポーツの専門家ばかりではない。法律家、医者など様々なプロフェッショナルがいて、求めているものが違う。唯一IOC委員が1本のラインで繋がっているとしたらバッハ会長」だという。
当選の可能性は「20%から30%」と分析 立ちはだかるヨーロッパの壁
選挙は非公開で行われIOC委員の投票で決まる。当選には過半数の票を獲得する必要があり、いずれかの候補が過半数を獲得するまで最下位の候補者を除いて投票を繰り返す方式が採用されている。
当選の可能性について手応えはあるのか、渡辺氏に聞くと「20%から30%じゃないか」と分析する。

その見通しについては「最初の投票、2回目の投票で落ちる候補は5票程度しか獲得できないと思う。これまで会った人たちの感触を考えると、ここはクリアできると思う。3回目の投票まで残ると20%から30%の確率が徐々に上がってくる」と予想する。
しかし、最後の2人の投票まで進むと可能性は下がってしまうとも分析する。その理由については「IOC委員の約半数がヨーロッパ出身者なのでヨーロッパ勢から好意的に思われている人が最終的に残る。私の案が好意的に捉えられているかどうかというと、斬新すぎて保守的なヨーロッパの人たちには、受け入れがたいだろう」と指摘した。
スポーツジャーナリストは「完全に理想主義的な提案」と一蹴
海外メディアはどのように分析しているのだろうか。
2001年と2013年の過去2回のIOC会長選挙を取材したフランスのスポーツジャーナリストに選挙のポイントを聞くと、「候補者の出身国に関係なく、歴史を尊重しながらIOCとオリンピック運動を発展させることができると説得力を持って示せるかどうかが重要だ。
一言で言えば、収益をさらに拡大することやIOCの独立性と中立性を再確認すること、プロジェクトの中心に選手を据えること、そして優れた外交官であること」と解説する。

渡辺氏が掲げる5大陸同時開催のオリンピック案については「歴史とオリンピック精神に反する完全に理想主義的な提案だ。オリンピックは可能な限り選手たちを一堂に集めるべきであり、2024年のパリ大会の素晴らしい成功の後で、すべての競技会場が分散し、選手たちが5つの大陸に散らばるということがどうして説明できるのか」と非常に手厳しい答えが返ってきた。
また当選の可能性については「IOC委員たちはリスクを負いたくないでしょう」と指摘し、「彼にチャンスがあるとは思わない」と話す。
日本のサラリーマンはヨーロッパの貴族社会とどう渡り合うのか。
混戦が予想されるIOCの会長選挙は、20日にギリシャで行われる。渡辺氏が当選すれば、アジア出身者として初めての会長となる。
【執筆:FNNパリ支局 原佑輔】