東日本大震災で被災した宮城県南三陸町に、末期がんと震災を乗り越えて農漁家レストランを開いた女性がいる。多くの人の死を目にして感じた「生かされた命」という考え。経験を通じて命の大切さを伝えたいという。

ボリュームと元気が人気の理由
南三陸町入谷地区の国道398号線沿いにある、農漁家レストラン「松野や」。切り盛りするのは松野三枝子さん。今年で73歳になる。人気の理由は元気いっぱいの松野さんが提供する、ボリュームたっぷりの定食だ。

カキフライ定食のカキはなんと10粒。地元の海鮮を中心としたおいしい料理がお腹いっぱい楽しめる。食べきれなかった分はパックで持ち帰れるため、開店当初は復興工事に関わる人のお腹を満たし、現在は地元の人でにぎわうレストランだ。
末期がんと闘う中で起きた震災
料理に接客にとパワフルに動き回る松野さんだが、約20年前、松野さんは末期がんを患い、医師から「余命わずか」と宣告を受ける状態だった。消化器系のほとんどを取り除く大手術を受け、約3年半、治療を続けているときに東日本大震災が発生した。
松野さんは当時、公立志津川病院に入院中。地震が起きた時は入浴中で、激しい揺れで浴槽から出ることさえできなかったという。だが、そのとき、松野さんの心境に変化が訪れる。

松野三枝子さん:お風呂の中でぐるぐるしているときは「津波が来て流される。今度こそ終わりだな」って思っていたのに、揺れでお湯ごと廊下に放り出された瞬間、自分がすっぽんぽんなのも忘れて、生きられるかもって思っちゃった。
諦めから脱した松野さんは他の入院患者とともに屋上へ避難。そこで目にしたのは逃げ遅れて、津波に流されていく人たちだった。
「生かされた命」忘れられない光景

今でも一番つらいと思い出す光景がある。ガスボンベにつかまり流されてきた30代くらいの男性が沈んでいく。「私が代わりになれたら」そう思った松野さんを現実に引き戻したのは、横にいた看護師長だった。
松野三枝子さん:「私が代わりに水に入るから誰か一人でも助からないかな」って言ったら、看護師長さんに「松野さん、ここにいる人たちは生かされた命だから。神様が何かしなさいと私たちを残してくれたんだから、これから生きることを考えましょう」と肩を叩かれて…。
炊き出しに奮闘 起きた“奇跡”
「生かされた命」で何をするか。松野さんが選んだのは、炊き出しだった。がんを患う前から各地のフードイベントに出店していた松野さんは、その経験を生かして津波被害を免れた自宅で米を炊き、料理を作り、周りに配った。

毎日、炊き出しに動き回っていると、数カ月後、医師も驚く変化が見つかった。自身の治療を二の次にして、炊き出しに励む毎日。いつの間にか、がんの進行具合を示す腫瘍マーカーの数値が大幅に改善されていたのだ。医師は「松野さん、奇跡が起きた。2年は生きられるぞ」と告げた。
「まだ生きる」店を開店
松野さんは「まだ生きられるなら」と長年の夢だったレストラン「松野や」をオープン。調理から接客までをほぼ1人でこなしてきた。
オープンからはすでに10年余り、今は夫の仁一さんも手伝ってくれている。復興事業で南三陸町を訪れていた鹿児島県や大阪府、兵庫県などの常連さんたちが定年を迎え、旅行で来てくれることもあるという。松野さんは、夫婦で来てくれた人が「あなた、大変な時にこんなぜいたくなものを食べていたんですか」とやりとりしていたと、当時の様子を楽しそうに話してくれた。

松野さんが伝えたいこと
「余命わずか」だった震災からまもなく14年。松野さんが思うのは、あの日、看護師長が教えてくれた命の大切さをずっと伝えていきたいということだ。

「生きてさえいれば、私のように夢もかなえられるし、いろんなことにも出合えるから」
生かされた命を使って何をするか。南三陸町では関連死を含め震災で620人が死亡し、211人が行方不明となった。松野さんはこれからも店に立ち続け、生かされた命を燃やし続ける。