震災直後から文化財を探し出し…全国から修復に協力したいとの声が

東日本大震災の発生から9年半。被災した岩手・陸前高田市の博物館では、津波に浸かった文化財が県外での修復作業を終えて地元に戻った。
地域に愛されてきた博物館の記憶を受け継ぐため、9年半歩んできた学芸員の思いを取材した。

8月24日、岡山県からやってきた1台のトラック。
積み込まれていたのは、かつて陸前高田の博物館で津波をかぶったはく製。

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陸前高田市立博物館・熊谷賢主任学芸員:
救出した時の状態から見ると夢のようです。よくぞここまで、ありがとうございます

陸前高田市立博物館の主任学芸員・熊谷賢さんは、この日を待ち望んでいた。

陸前高田市立博物館・熊谷賢主任学芸員:
本当に津波の被害は奥深いし、それを元に戻す作業はまだまだ道半ばなんだなと(震災から)10年近くになるが、思います

1959年に開館した陸前高田市立博物館。所蔵品の9割が地元の人から寄贈されたものだった。
昔の子どもたちが遊んでいた下駄のスケートや明治時代の津波について書かれている学級日誌も展示。地域に愛されてきた。しかし、2011年の東日本大震災で全てが海水と泥に覆われ、職員のうち6人が津波の犠牲となった。

2011年5月、(震災後の)熊谷賢さん:
文化財が残らない復興は本当の復興ではないと言われていますし、陸前高田が陸前高田と言えるのは文化・歴史・自然があって初めて言えること

学芸員でただ1人生き残った熊谷さんは、悲しみを抱えながらも震災の直後から泥に埋もれた文化財を探し出し直す作業を続けてきた。その数は約46万点にのぼる。

この状況を知った全国の大学や博物館から修復に協力したいという声が寄せられた。
岡山理科大学は、はく製など約1000点を預かった。
学生の間で代々引き継がれ、被災地に思いをはせながら修復にあたってきた。

岡山理科大学・富岡直人教授:
その子たちの中では、陸前高田を見たいと足を運んでくれた子も何人もいて、陸前高田とのつながりを学生たちが自分のこととして持ってくれたのが良かった

戻ってきたはく製にはさまざまなエピソードが

震災後は、廃校となった小学校の校舎で文化財を管理している。そこに岡山県から戻ってきた数々のはく製。熊谷さんにとっては、9年半ぶりの再会。

陸前高田市立博物館・熊谷賢主任学芸員:
おお!サンカノゴイ出ました!これはめちゃくちゃに壊れていた

サンカノゴイというサギの一種のはく製。
今は絶滅危惧種に指定されていて、はく製にすることはできない。
かつては陸前高田市にも多く生息していて、昭和40年代に地元の人から寄贈されたという。

陸前高田市立博物館・熊谷賢主任学芸員:
これは確か羽を広げていた。きれいに羽を広げた形で展示はできないけれど標本としては大事なもの

また、このワニには港町ならではのエピソードが隠されていた。

岡山理科大学・富岡直人教授:
陸前高田は外国に行く人が多くて、遠洋漁業の関係なんでしょうね。船乗りさんが買ったりもらったりしたものが集められていて、それも陸前高田の特徴だから博物館に収めたいという市民がいた

1つ1つの所蔵品に物語があり、替えがきかないものばかり。

陸前高田市立博物館・熊谷賢主任学芸員:
お金を出せばもっときれいなものも手に入る。なぜあえてお金をかけて直すのかというと、陸前高田の場合は寄贈していただいた人の思いが込められているから。新しい博物館に展示してね、と持ってきてくれる人とか、その記憶をこれらは受け継いでいるので、そこは一番大事な部分だと思うから残していきたい

「震災の記憶も含めて受け継いでいきたい」

陸前高田市立博物館は今、新しい中心市街地に再建工事が進められていて、2021年3月に完成する予定。展示されるのは、ほとんどが元からある被災した文化財。修復作業は全体の半分の約23万点まで進んでいる。少しほころびがあるはく製も、それは震災を経験した証。

陸前高田市立博物館・熊谷賢主任学芸員:
われわれは10年、20年ではなく、100年、200年後にこれらがこのままの状態にあることを目指して仕事をしているので、東日本大震災の記憶も含めて受け継いでいきたい

全国からの支援を受けて守られた地元の人の陸前高田への愛情。
遠い未来に残すのは、文化財だけではなく人々の思いだ。

(岩手めんこいテレビ)