2月28日、新宿アルタが45年の歴史に幕を下ろした。フジテレビ「笑っていいとも!」の生放送で注目を集め、待ち合わせの名所としても愛されてきた。大型ビジョンから発信されたニュースや人々の思い出は数知れず。周辺の店ではタモリさんとのエピソードも語られ、長年のシンボルの閉館を惜しむ声が絶えず、多くの人々が最後の瞬間を見届けた。

45年間街を照らしたアルタビジョン

「新宿アルタ」が2月28日午後8時半に閉館した。午後4時頃、新宿アルタの目の前には、スマートフォンで最後の瞬間を収めようと、新宿駅のほうまでずらりと人が並んでいた。

45年の歴史を刻んできた「街のシンボル」との別れを惜しむ声が多く聞かれた。

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50代
朝のニュースで今日が閉館というのを聞いて、せっかくだからと思ってアルタ前で写真撮って帰りました。

30代:
さみしい。ここにアルタがないって。私は待ち合わせ場所がずっとここだったので衝撃です。

このアルタの知名度を支えたのが、アルタから生放送していたフジテレビの長寿番組「笑っていいとも!」だ。

50代:
「いいとも!」見に来たことがあります。

40代:
お昼休みはうきうきウォッチング♪

50代:
あっちこっちそっちこっちいいとも~♪

大型ビジョンには番組の司会を務めたタモリさんこと、森田一義さんがこんなメッセージを寄せていた。

「私はアルタで三十代から六十代までを過ごしました。森田一義」

1980年にオープンした新宿アルタは、昭和から平成、そして令和の時代を45年にわたり見守り続けてきた。

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総理経験者が逮捕され、実刑判決が出た1983年のロッキード事件では、アルタビジョンに前代未聞の事態が映し出された。

2011年3月11日に発生した東日本大震災では、アルタビジョンが伝える被害状況を大勢の人が見つめていた。ビジョンに映し出されたのは電車の運行状況だ。混乱と不安に包まれた街に正確な情報を届けた。

そこから1年後の2012年3月11日、新宿アルタ前には再び大勢の人が集まり、東日本大震災発生時刻の午後2時46分になると、新宿駅前に集まっていた人たちも静かに黙とうを捧げた。

2014年3月31日、「笑っていいとも!」の最終回では、タモリさんのイラストが描かれたうちわを持った人や「32年間ありがとう」という横断幕を持った番組のファンが集まった。

2019年4月1日には、新元号の発表に拍手が巻き起こった。アルタは、人々と共に時代の変化を見守ってきた。

アルタ周辺の店が語る「笑っていいとも!」の思い出

そんなアルタのすぐ裏にはレストラン「はやしや」がある。

レストラン「はやしや」小林幸雄店長:
「なくなっちゃうんだ」と実感が湧かない。変な感じがします。初代のいいとも青年隊の方が普通に食事をしてくれて、その頃に一番人気だったハヤシライスなんですけど、中にオムレツが入った、それを結構食べていただいていた印象があります。

出演者やスタッフから人気だったハヤシライスは、今はオムレツを入れずに出しているというが…。

レストラン「はやしや」小林幸雄店長:
復活してもいいかな。「アルタ裏のオムレツ入りハヤシ」。

アルタの目と鼻の先にはフルーツ店「新宿高野フルーツパーラー」がある。

株式会社新宿高野 ブランド推進担当部長・秋山智則さん:
よく「笑っていいとも!」の依頼で、カゴ盛りなどを注文いただきました。「笑っていいとも!」の「てーれっててっててれ」というメロディーが流れながら、「お届けに上がりました」ということをしました。

この店で働くフルーツカット担当の森山さんは、「笑っていいとも!」への出演経験もあるという。

タカノフルーツパーラー フルーツクチュリエ・森山登美男さん:
タモリさんがフルーツ好きなので、結構それで呼ばれた。僕が言う前に(説明を)言われたりして。イチゴの食べ方を説明しようとしたら、タモリさんがいきなり「イチゴってこっち(先)からじゃないよね」という話とかね。

10年以上前に、番組で披露した“職人芸”スイカの皮むきを見せてもらった。

タカノフルーツパーラー フルーツクチュリエ・森山登美男さん:
もう年ですね。重いです。

ーーアルタの思い出と共にむいてくださっている?
タカノフルーツパーラー フルーツクチュリエ・森山登美男さん:
そうですね。この先、むくこともないと思う。ちょっと寂しい思いもあるんですけど。

45年分の思い出が詰まった新宿アルタは「たくさんの人に愛されたこと。私たちにとって、一生の誇りです。45年間、本当にありがとうございました」とコメントしている。
(「イット!」2月28日放送より)

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