韓国国民に不安と衝撃を与えた「非常戒厳」宣布(2024年12月3日)から84日。その首謀者とされる尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領を罷免するかどうかの弾劾審判が結審した。

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憲法裁判所は3月中旬にも決定を言い渡す見通しだ。憲法裁の裁判官8人のうち6人以上が弾劾を妥当と判断すれば大統領は罷免され、60日以内に大統領選が実施される。
一方、賛成が6人に満たなければ弾劾は棄却され、尹大統領は職務を継続することとなる。
韓国世論が弾劾賛成・反対の真っ二つに割れるなか、弾劾が認められても棄却されても韓国の政治的混乱が収まる気配はない。

最終弁論でも対立…「戒厳は正当」 VS「罷免すべきだ」

非常戒厳宣布以降、尹大統領の行動には常に「初」が付けられてきた。
現職大統領の逮捕、拘置所から弾劾審判に参加し、自ら意見陳述したのも、歴代大統領経験者には見られなかった対応だ。
これまでの11回の審理のうち、尹大統領の出席は8回に及ぶ。この中で尹大統領は、「非常戒厳はあくまで合法であり、適切な手続きを踏んでいた」などとして戒厳令の正当性を強調してきた。
法廷では戒厳に関与した様々な証人と大統領が対峙し、対立する主張をぶつけ合う場面も見られた。

憲法裁判所で2月25日実施された最終弁論で、尹氏は77ページに及ぶ自筆の意見陳述書を用意し、67分にわたって読み上げた。

「非常戒厳は犯罪ではなく、国家危機を克服するための大統領権限」
「巨大野党の横暴を国民に伝えるための『戒厳の形式を借りた国民への訴え』だった」
「2時間の内乱というものがどこにあるのか」

一方、大統領の弾劾訴追案を可決し、憲法裁判所に提出した国会側の代理人は尹大統領の罷免を強く求めた。

国会議事堂の窓ガラスを割り建物内に進入する兵士
国会議事堂の窓ガラスを割り建物内に進入する兵士

「12・3内乱の夜、全国民がテレビの生中継を通じて国会の占拠や武装した戒厳軍の暴力行為を目撃した」
「尹大統領が復職すれば、また非常戒厳を宣言するだろう。民主主義と国家の発展のために、尹大統領は罷免されるべきだ」

午後2時から始まった最終弁論が終わったのは午後10時14分で、8時間超の長丁場となった。

弾劾審判の争点

尹大統領の弾劾をめぐる主な争点は次の三つだ。

①主要人物の逮捕指示

国会でもみ合いになる兵士と職員たち
国会でもみ合いになる兵士と職員たち

尹大統領が与野党の代表ら主要な政治家逮捕を指示したかどうかをめぐっては、法廷で激しい攻防が繰り広げられた。
情報機関・国家情報院の第1次長だった洪壮源(ホン・ジャンウォン)氏は「大統領が電話で『この機会に全員捕まえろ』と言ったか」と質問され、「そのように記憶している」と証言した。洪氏は軍の司令官から口頭で伝えられた「逮捕リスト」のメモも公開したが、その後メモの作成時間や場所をめぐって陳述を変更している。
これに対し尹氏は「単なる激励の電話だった」「軍を支援するように指示した」などと反論、「洪氏の証言は作り話」と真っ向から対立している。

②国会封鎖の指示

金龍顕国防相(当時)と尹大統領
金龍顕国防相(当時)と尹大統領

尹大統領が「国会議員を排除せよ」と指示したのか、それとも「要員を撤収せよ」と指示したのかが争われている。
金龍顕(キム・ヨンヒョン)国防相(当時)は尹大統領の指示は、国会に配置していた「要員」を撤収させるよう命じたものだったと説明した。
しかし、別の軍司令官は尹大統領から「国会の扉を壊して中にいる人員を引きずり出せ」との指示を受けたと証言した。人員は国会議員のことだと理解したという。
これに対し尹大統領は「『人員』という言葉を使ったことはなく、『議員』なら『議員』とはっきり言うはずだ」と反論した。

③国務会議の手続き

韓悳洙首相(職務停止)
韓悳洙首相(職務停止)

非常戒厳前の国務会議(閣議)はわずか「5分間の閣議」であり、これを正式な閣議と認めるかどうかも問われている。
審判の過程で国会側は「正式な閣議の要件を満たしておらず、違憲」と主張し、尹大統領側は「実質的な閣議だった」と反論した。
閣議に出席した閣僚たちの証言も割れている。
韓悳洙(ハン・ドクス)首相=職務停止=は証言の中で「ただの懇談会のようなものであり、正式な閣議の手続きは踏まれていなかった」と述べた。また、「戒厳令に賛成した閣僚はいなかった」「心配で引き留めた」などと発言し、尹大統領に不利と見られる証言をしている。

①~③のいずれも尹大統領側と関係者の証言が食い違っており、憲法裁判所がこれらの点をどう判断するかが焦点となる。

韓国の憲法学者らは憲法裁判所の8人の裁判官が、満場一致で弾劾訴追案を認める可能性が高いと予測している。国会に戒厳軍を投入するなど、非常戒厳令発令前後の行為が明白に違憲・違法であるとの見解が主流だ。
一方で、大統領には罷免に値する違法行為はなく、戒厳令発令は正当な統治行為であり、憲法裁が棄却すべきとの主張もある。

世論は「賛成」>「反対」

最新の世論調査では尹大統領の罷免賛成が52.0%、棄却すべきは45.1%だった(2月20~21日、リアルメーター)。
憲法裁判所の弾劾審判の手続きについては、「公正だ」が50.7%、「公正ではない」が45.1%と回答した。
尹大統領の罷免に「賛成」、弾劾審判は「公正」とする意見が「棄却」「不公正」を上回ってはいるが、尹大統領への支持も依然4割を超える。

尹大統領は最終弁論で職務継続に意欲を示したものの、弾劾が認められた場合は、憲法裁判所の判断には「従う」意向と伝えられている。
だが、支持者らが納得するかは不透明だ。尹大統領に逮捕状が発布された際は、裁判所に支持者が乱入し、ガラスを割るなど暴動に発展した。今回も尹大統領の支持者が激しく反発することが懸念され、社会的な混乱が拡大する恐れがある。

野党代表の大統領選出馬は?

最大野党「共に民主党」の李在明(イ・ジェミョン)代表にも運命の時が迫っている。

最大野党「共に民主党」の李在明代表
最大野党「共に民主党」の李在明代表

李氏が公職選挙法違反の罪に問われた控訴審で、検察側は懲役2年を求刑した。判決は3月26日に言い渡される。李氏は一審で懲役1年、執行猶予2年の判決を受けた。控訴審でも有罪判決が出た場合は、李氏は最高裁に上告すると予想される。その場合、最高裁は3カ月以内に李氏の判決を確定しなければならない。

韓国の公職選挙法では「懲役・禁錮刑を受けた者は、刑の執行終了または執行猶予期間満了から10年間、公民権(選挙権・被選挙権)が停止」される。最高裁で有罪判決が確定すれば、大統領選への出馬は不可能となる。
問題は、最高裁の審理中に大統領選挙が実施された場合だ。3月中旬までに憲法裁で尹大統領の弾劾が認められた場合、遅くとも5月中旬までに大統領選挙が実施されることになる。

韓国では「最終確定判決」が出るまで公職資格は維持されるため、最高裁の審理中であれば李氏は出馬でき、当選することもあり得る。選挙後に有罪が確定しても、大統領には不逮捕特権があるため、在任中は刑の執行を免れる可能性がある。
とはいえ、大統領の権威は大きく損なわれ、世論の反発や政権運営へのダメージは避けられない。司法リスクを抱えたまま大統領選に出馬するのか、李氏は難しい判断を迫られる

尹大統領、李代表の政治的な命運を大きく左右する3月。裁判でどのような結果が出るにせよ、政治的対立の激化は避けられない。韓国社会は当面、先が見えない混乱が続く。
(フジテレビ客員解説委員、甲南女子大学准教授 鴨下ひろみ)

鴨下ひろみ
鴨下ひろみ

「小さな声に耳を傾ける」 大きな声にかき消されがちな「小さな声」の中から、等身大の現実を少しでも伝えられたらと考えています。見方を変えたら世界も変わる、そのきっかけになれたら嬉しいです。
フジテレビ客員解説委員。甲南女子大学准教授。香港、ソウル、北京で長年にわたり取材。北朝鮮取材は10回超。顔は似ていても考え方は全く違う東アジアから、日本を見つめ直す日々です。大学では中国・朝鮮半島情勢やメディア事情などの講義に加え、「韓流」についても研究中です。