ロシアのウクライナ侵攻から3年。広島県にはウクライナからの避難者が38人いるが、福山市で暮らすアンナ・セメネンコさんは二人の娘とともに夫と離れて2年半になる。当初、避難は3カ月と思っていたが、故郷で家族がともに過ごせる日を待ちながらも、働くことを始め、日本での生活の新しいページを開いた。
子どもの安全を考え避難 3カ月が2年半に
広島県福山市に避難して2年半になるアンナ・セメネンコさんは、日本語の勉強に余念がない。日本語が全く分からなかった当初をこう振り返る。

「分からないときに話したくてもできない、色々考えるとそれがストレスだった」
しかし、今では日本語検定を受けることを目標に掲げるほど上達した。

ウクライナ第2の都市・ハルキウで夫と2人の娘と平穏な日々を送っていたが、戦争で一瞬にして日常を失った。
侵攻から4カ月後、夫を残し2人の娘とともに、以前滞在したことがあり、知人がいた福山市へ着の身着のままで避難してきた。

家や光熱費は福山市の支援を受け、民間団体の力も借り、なんとか生活基盤を整えた。
避難を決断したのは、2人の子どもの存在だったとアンナさんは振り返る。

「もし子供が怪我を負ったり殺されたりしたら自分を責めると思った。(男性は原則国外に出られないので)夫は避難できない。全部自分一人で怖くても逃げるしかなかった」
避難は長くても3カ月と思っていたが、先が見通せない日々が2年半になる。夫・アンドリーさんとは毎日、テレビ電話をつないで話す。
日本で成長する子どもたち
長女・エヴァちゃん(7)は小学校に進学した。

エヴァちゃんは「学校はずっと何か書かんといけん。宿題も多いし…」と言いながらも、少しずつ日本の学校に馴染んでいる。

小学校の先生は「友達ともコミュニケーションがとれ、一緒に遊ぼうと声をかけるタイプ」と評価する。また、エヴァちゃんは、ウクライナの小学校のオンライン授業も並行して受け続けている。
避難が長引く中で、アンナさんは次第に「日本で暮らし続ける」選択肢も考えるようになっていた。

「エヴァは日本が大好き。次女のソフィアに至っては、もう日本しか知らない。母親としては、ここで子ども時代を過ごすのは良いことだと思う」
働いて生活の糧を ウクライナ料理で広がるつながり
避難当初、生活は福山市の支援や民間団体のサポートで成り立っていた。しかし、生活支援金の支給は3年で7月まで。子どもたちの未来を守るためにも、アンナさんは自活へと動き出した。
フレンチレストランで週2回、働けることになった。掃除や接客、さらには得意のピアノの演奏もし、お客さんにも好評だ。

レストランの店主は「ウクライナの人々が助けを必要としているように、日本もこれまで災害で多くの支援を受けてきた。少しでも力になれたらと思った。ピアノも評判がいい」と語る。

さらに、地域の人々の協力でウクライナ料理教室も開かれ、得意の故郷の味を地域の人に教える機会も生まれた。この日、みんなでつくったのは、ウクライナのクレープ「ナリスニキ」

かつては、SNSで1万人以上のフォロワーに向けて料理を発信していたアンナさんにとって、料理をする時は本来の自分に戻れる時だった。

料理を通じて地域とつながり、日本での新しい居場所ができてきた。
たったひとつの願い「家族みんなで暮らしたい」
それでも、アンナさんの願いは変わらない。戦争が終わり、家族がともに暮らすことだ。

ウクライナに残った夫・アンドリーさんとは、毎日テレビ電話で話すが、いつ再会できるかはいまだに分からない。そして、アンナさんは今、世界が注目するある人物に期待を寄せている。

「トランプ大統領に戦争を終わらせてほしい。早く戦争が終わりたいだけ。私は早く家族を会わせたい」
ウクライナ侵攻から3年。日本での生活に向きあいながらも、アンナさんは“家族と再び共に暮らす”というたったひとつの願いがかなう日を待ち続けている。
(テレビ新広島)