戦後80年となる2025年。第2次世界大戦で亡くなった大分県竹田市出身の旧日本軍の兵士の遺品が2月12日、遺族に返された。その遺品とは、無事を願う家族の名前などが書かれた日の丸の旗「日章旗」だ。遺族の思いを取材した。

兵士の生きた証「寄せ書きの日の丸」

工藤さんのもとに返還された日章旗
工藤さんのもとに返還された日章旗
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「80年の時を経て無事、工藤文夫の生きた証が、竹田市久住町都野に返ってきた。家族一同驚きとともに感謝の念でいっぱい」そう話すのは第二次世界大戦で亡くなった工藤文夫さんの遺族、工藤賢さん(77歳)である。

80年の時を経て、遺族のもとに12日返還された旧日本軍の兵士の遺品。それはアメリカ軍の兵士が戦地から持ち帰った日の丸の旗『日章旗』だ。
戦地へ向かう兵士の無事を祈り、家族などが名前やメッセージを記していて、『寄せ書き日の丸』とも呼ばれ、兵士にとってはお守りのようなものだった。

アメリカ兵のひ孫「日章旗の意味を知り絶対に返さなければと思った」

陸軍の兵士・竹田市の工藤工藤文夫さん
陸軍の兵士・竹田市の工藤工藤文夫さん

12日遺族に返されたこの『寄せ書き日の丸』は竹田市久住町都野で生まれた工藤文夫さんのものだった。
陸軍の兵士として出征した工藤さんは第二次世界大戦の末期、1945年1月にフィリピンのルソン島で24歳という若さで亡くなった。
日本と戦ったアメリカ側にとっては戦利品だったという『日の丸』。戦地から多くのアメリカ兵が持ち帰っていた。

工藤さんのものを持ち帰り保管していたのが、トーマス・ロジャースさんだ。
亡くなったロジャースさんの荷物の中から『寄せ書き日の丸』を見つけたひ孫のクリス・ドーシーさんは、日章旗の意味を知り絶対に返さなければと思ったという。
そして遺族に返還する活動に取り組むアメリカのNPO法人「OBONソサエティ」に託した。

調査の結果、工藤さんのものだと判明し、12日、クリスさんから甥の賢さんに手渡された。
工藤賢さんは「これが返ってきて初めて、文夫さんが帰ってきたなという気持ちがしている」と心境を語る。

これまでに全国で600枚以上の日章旗が遺族に返還されている

そして、賢さんとクリスさんは工藤さんの墓を訪れ『日の丸』が戻ってきたことを報告した。
『OBONソサエティ』によると、これまでに全国で600枚以上が遺族の元に返されている。県内では4例目で、実は3年前にも別の遺族に返還されている。

工藤さんの墓を訪れたクリスさん
工藤さんの墓を訪れたクリスさん

大分市に住む後藤辰徳さん(48)の元にも『寄せ書き日の丸』が。持ち主は祖父の今朝治さんで、1945年、33歳で沖縄で戦死したという。
今朝治さんの『日の丸』についても保管していた元アメリカ兵の家族から「OBONソサエティ」に託され、3年前遺族である後藤さんの元へ。

戦争を物語る日章旗 遺族は「非常に軽いけど重たい」

返還された『日の丸』について、後藤さんは「祖父を物語るものっていうのはほとんどなかった。遺影ぐらいしかなかったので。旗自体は当たり前だが軽い。血痕であったり、そういった汚れとか、当時の戦争を物語るものが旗の中から見て取れるので、非常に軽いけど重たい」と心境を語った。

3年前に日章旗が返還された大分市に住む後藤辰徳さん
3年前に日章旗が返還された大分市に住む後藤辰徳さん

『日の丸』に今朝治さんの名前と並んで書かれている千代と翔治。これは無事を願う今朝治さんの妻と息子の名前だ。後藤さんにとっては父である翔治さん。当時は1歳にもなっておらず、後藤さんは今朝治さんの名前がまるで守るように書かれていると感じている。
「どういった生きざまだったのかなかなか知る機会がなかった。戦争の恐ろしさというか、そういったものを学ぶ機会に。ぜひ若い人も触れてほしい」と後藤さんは話す。

戦後80年となる2025年。長い月日を経て、家族の元へと戻ってきた「日の丸」が戦争の悲惨さや平和の大切さを伝えてくれている。

(テレビ大分)

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