能登地方の5カ所を継続して取材していく企画「ストーリーズ」。

今回はコメづくりで生きてきた小さな集落、輪島市門前町の高根尾地区だ。2024年元日の能登半島地震にも負けず米作りをしてきたところ、9月の豪雨で田んぼが甚大な被害を受けた集落のその後を追った。

【輪島市門前町高根尾の基本メモ】
能登半島地震の前には27世帯約60人が暮らしていた小さな集落。古くからコメ作りで生計を立ててきた。地震で20世帯が全壊し、住民は仮設住宅や2次避難先でバラバラに暮らしている。田んぼにも亀裂が入るなどの被害があったが、住民は地域のつながりを保つために2024年もコメ作りをすることを決意した。農村集落の営みを『能登の人たちにとってのコメ作りとは』というテーマで見つめていく。

高根尾の集落をつなぐ「仲間仕事」

記者がやって来たのは、輪島市門前町高根尾。
11月半ばのこの日、住民たちが1軒の住宅に集まっていた。
「おはようございます!」と記者が彼らに声をかけると、高根尾地区の面々は口々に「久しぶりやね」「元気やった?」と明るい声が返ってくる。

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この日行われていたのは地震で壊れた納屋を建て直す作業だ。持ち主の住民を手伝うため、高根尾集落のメンバーが仮設住宅などから駆けつけた。

納屋の持ち主の増田さんに集落みんなで助けあって、復旧再建の作業をすることについてどう思うか聞くと、増田さんはこう語った。

増田誠一さん:
とても助かります。ずっとこのメンバーに来てもらっている。私がこの人たちがやるときに応援に行く。まあ結(ゆい)ですね。

増田幸子さん:
こんな大仕事は内輪だけでできん。ね、塚本さん。塚本さんまた私も呼んでね。

「地域のことは地域みんなで」

そう、言葉が重なる。高根尾に根付く「仲間仕事」の精神だ。この強い結びつきが地震で甚大な被害があった高根尾を支えてきた。

記者が彼らの作業を観察していると、納屋の土台が水平ではなく、傾斜がついていることに気が付いた。どうやら、水はけのことを相談しながら作業を進めているようだ。

中橋政久区長:
あそこに水を切るところがある。この間の大雨で皆さん水がどう流れてどう水が出るか経験しているので。右左で分けて、真ん中に水を入れないように。中央を一番高くしてある。

その仕組みは地区の皆さんで考えたのか、と記者がたずねると…

中橋さん:
経験やね、この間大雨を経験して大変な目にあったので、水の被害を最小限に食いとめるにはどうしたらいいかと。

豪雨で二度目の被災 諦めない住民たち

古くから米や野菜を作って生きてきた高根尾。20ヘクタールある農地に耕作放棄地が1つもないのが地区の自慢だった。地震にも負けず今年も立派に米が実ったが…9月、その田んぼを豪雨が襲った。刈り取った稲は7割が流され、中には刈り取り前の田んぼもあった。しかし、その状況が少しずつ変わりつつある。

記者:
あ!ここがえぐれていたところですか?

中橋さん:
ここが前は崩れ落ちて、亀裂で大きな穴が開いていたところ

記者:
すごい!

連れてきてもらったのは、土のうが詰まれた堤防。

今はすっかり堤防として機能するように埋められているが、1カ月前には氾濫した川の水圧で大きくえぐられていた場所だ。

豪雨災害の直後、私たちは農業用水を確保した川の惨状を取材した。

えぐれた堤防と田んぼに流れ込んだ土砂の様子を見て、途方に暮れていた中橋さんの様子を記者も知っているからこそ、復旧のありがたみを強く感じる。

中橋さんは、豪雨の直後から県が復旧作業を進めてくれたと語った。

中橋さん:
行政から言われたのは、この地域の農業への熱意、荒れ地が全然ないと。熱心な農業をする地域から優先して復旧したいという話を聞いている。

地域みんなで真面目に農業に取り組んできた高根尾だからこそ差し伸べられた支援の手だ。支援を受けた高根尾地区は、確実に自分たちの足で復旧への道のりを進んでいる。

中橋さん:
もしかすれば来春耕作できるかなと期待が膨らんできている。

全壊した神社の立て直し 集落みんなで迎える年末大祓い

12月10日。
「いらっしゃいませ、お待ちしておりました」と仲間を迎える住民の声が高根尾地区の神社から聞こえてくる。神社には、続々と住民が集まってきていた。神社の中に高根尾地区のメンバーが増えるたびに、明るく賑やかな話声が大きくなっていく。

「あんたおったん、生きとったん」
「はい!」
「(賽銭箱)持たれんげんて」
「一番力のないもんに来いって、そこに男おるがいね…なんや軽いげん」

ワハハ、と自然にこぼれる笑い声。住民たちが集まるとおしゃべりが止まらないのは、いつものこと。しかし、この日の目的はおしゃべりではない。穢れや災難などを祓う「大祓い」だ。

実はこの神社も地震で全壊した。

9月21日に発生したあの豪雨の翌日にも、神社には住民の姿があった。一刻も早く憩いの場を取り戻すため、自分たちで神社の復旧作業を進めていたのだ。

修繕した神社で来年を心に描くことは高根尾にとって、確かな一歩だ。

中橋さん:
今年のみたいな災害の多い年はもうこりごりですので、来年はこういう災害とか不幸がないように、皆さんの健康と地域の賑わいをお願いしたつもりです。

年末の大祓いを終えた高根尾。実はもう一つ、やるべきことが残っていた。

震災で喪った仲間を偲ぶ会 

地区ではこの地震で3人が亡くなった。この日は3人を偲ぶお別れ会だ。

大切な仲間を全員で送り出さなければ来年は迎えられない。その気持ちから高根尾地区の住民が一堂に会する。

中橋さん:
地域にとって大変大事な御3名です。この方々のお通夜、葬儀は出来ませんでした。きょう初めてお参りされる方も多いかと思います。こんなものは二度とやりたくありません。

法要の後、亡くなった稲垣さんの叔父、稲垣勝治さんが立ち上がり集落の面々に声をかけた。

稲垣さん:
ちょっと挨拶したいんやけど、皆さん本日は本当にありがとうございました。食事の前にお話したいんやけど、3人の思い出話やらをして食事してもらえたらありがたいんです。よろしくお願いします

その言葉を受け、住民の口からはポツリポツリと亡くなった方たちの思い出がこぼれだす。

「渡辺さんはいつも車を出してくれてね、お姉ちゃんみたいな人」

「父ちゃんは蔵を70の時に建てた。それで91で死んだろ?21年経った」

「(亡くなった方のことは)出来るだけ話はしないようにしていたけど、あまり思い出さないように。この一年は。これで落ち着いたらいろいろ話が出てくるんでしょうけどね」

協力しあい復旧復興を目指す 高根尾地区の強い意志

間もなく終わる、高根尾地区にとって激動の2024年。
二度の大災害に襲われ、仲間を喪い、地域をつないできた稲作にも大きな被害が出た。それでも解けなかった結び付きで高根尾は少しずつ、前に進んでいく。

中橋さん:
協力する気持ちというのは、どこの地域にも劣らないと自負していますし、一日も早い復旧復興を進めて行かざるを得んなと。

この1年、高根尾地区の取材を続けてきた記者が問いかける。

「高根尾地区の皆さんなら、できそうですか?」

その言葉に、中橋区長は9月の豪雨の後とは一味違う、一歩前に進んだ面持ちで答えてくれた。

中橋さん:
来る出来ないよりも、やっていこうという気持ちが強い。

(石川テレビ)