ストリーミングサービスの普及により、安価かつ手軽に音楽を楽しめるようになって久しい。一方、イギリスでは2021年にアナログレコードの売り上げがCD売り上げを35年ぶりに上回るなど、音楽を“真剣に楽しむ”という体験が再評価されつつある。

リスニングバー『Behind This Wall』の入り口
リスニングバー『Behind This Wall』の入り口
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その一つが、リスニングバーと呼ばれる場所だ。

高品質なオーディオ(Hi-Fiオーディオ)機器で音楽を堪能しながらお酒を飲める場所で、近年イギリスで数多く登場している。2024年、ロンドンだけでも『JAZU』『SPACE TALK』『The Marquee Moon』『The Shrub & Shutter』が、ロンドン以外では『Ōdiobā』などいくつものリスニングバーがイギリスで誕生した。

また、リスニングバーとは名乗らないものの、Hi-Fiオーディオ機器を備えたワインバーも続々とオープンしており、現地メディアでもリスニングバーのブームが取り上げられている。

日本のジャズ喫茶がルーツ?リスニングバーとは

リスニングバーとは、音楽の鑑賞体験を重視したバーのこと。

高品質なオーディオ機器の完備と最適な音響を楽しめるような空間設計が大きな特徴で、Hi-Fiバー・オーディオバーとも呼ばれる。スタッフやDJの独自のセンスで選曲された、ジャズ・ソウル・アンビエントなど落ち着いた音楽のレコードがかけられることが多い。

一般的なバーやパブの喧騒とは異なり、音楽そのものを楽しむことができる場所だ。

最近では、ダンスフロアを設ける店やレストランとしての営業をメインに据える店もあり、リスニングバーは多様な進化をしている。

リスニングバーのルーツは日本のジャズ喫茶にあるとされる。

1950年代に広まったジャズ喫茶は、高品質のオーディオ機器と膨大なアナログレコードが備えられた喫茶店だ。ジャズを中心に店主や店員が選んだレコードをかけ、訪れた客はそれをコーヒーやお酒を片手に楽しむ。人々にとって、良質な音で新たな音楽に出会える特別な場所として重宝されていた。

中には私語禁止のルールや不愛想なマスターなどがいる店もあったが、「会話を控え、音楽に耳を傾ける」文化が培われ、海外ではその真摯な音楽への向き合い方が評価されている。

リスニングバーの草分け—日本からインスパイアされた『Spiritland

日本のジャズ喫茶に魅了され、2016年に現代のリスニングバーの草分け的な存在である『Spiritland』をロンドンにオープンさせたのが、ポール・ノーブル氏だ。

BBCなどでラジオ制作に携わったのち、東京にもオフィスを構えるイギリスの情報誌『MONOCLE』のラジオ局を運営。日本で仕事をしていた時期にジャズ喫茶と出会った。

ノーブル氏は「ジャズ喫茶では、店主のコレクションからレコードをかけるという私的さがあり、とても優雅で音楽に敬意を表するアプローチ。音楽がバックグラウンドに流れているのではなく前面に出ていて、映画を観に行くような感覚で音に集中することができる。ロンドンにはナイトクラブやバーはあるが、座って音楽を聞くための場所がないことに気づいた」ときっかけを振り返る。

『Spiritland』内のスタジオでインタビューに応じた、ノーブル氏
『Spiritland』内のスタジオでインタビューに応じた、ノーブル氏

帰国後すぐ現在のバーの元となるプロジェクトを開始し、2年後に『Spiritland』を開業。ボブ・ディランやアデルのイベントを開催するなど、ロンドンでリスニングバーとしての地位を確立した。

そして今年9月には、ポルトガル・リスボンに120種類のウィスキーを揃えた、よりハイエンドなリスニングバー『The Kissaten』をオープン。今後日本進出も検討しているという。

ジャズ喫茶以外のルーツを持つリスニングバー

同じくリスニングバーの代表的な存在として11年の歴史をもつ『Brilliant Corners』は、ジャズ喫茶がルーツではないという。

立ち上げメンバーの一人、ロンドンでレコードレーベル『Time Capsule』を経営する鈴木恵氏に話を聞いた。このバーのオーナーであるパテル兄弟と鈴木氏が知り合ったのは、2005年から続くサウンドシステムにこだわる音楽パーティー『Beauty & the Beat』でのことだ。このパーティーで使われているようなこだわりのサウンドシステムを置き、音楽好きのためのコミュニティを作ったことが、現在のバーの始まりだったそう。

『Behind This Wall』のバーカウンター。ハリス氏が音楽を選曲し、カクテルも作る。
『Behind This Wall』のバーカウンター。ハリス氏が音楽を選曲し、カクテルも作る。

さらに、2016年にオープンしたリスニングバー『Behind This Wall』は、レコードの交換イベントがきっかけだ。小さなレーベルを招待し、音楽を楽しみながらお酒が飲める場所にした。

オーナーのアレックス・ハリス氏は、「才能ある地元のアーティストが活躍する場が欠如していることに不満を感じていたのが原動力。日本のジャズ喫茶の存在や『ダンス禁止』のポリシーは、イベントで繋がった音響オタクから初めて聞いた。世界の反対側で同じようなことをしている人がいると知るのは奇妙なことだ」と振り返った。

どうして今リスニングバーが人気なのか?

どうして今イギリスでリスニングバーが受けているのか。ここ数年の盛り上がりは、先駆者たちが登場した2010年代とは異なる動きがあるように見える。

理由の一つ目は、レコードの人気復活とともに挙げられるアナログ回帰だ。『Behind This Wall』のハリス氏は「もしレコードを買ったら、次はどんなレコードプレーヤーを手に入れるか考え始める。そしていい音楽を楽しむために、Hi-Fiオーディオについても興味が広がっていくのは自然な流れ」と指摘。

レコードをかける『JAZU』共同オーナーのジミー氏。壁のレコードは彼のコレクション
レコードをかける『JAZU』共同オーナーのジミー氏。壁のレコードは彼のコレクション

今年6月にオープンしたリスニングバー『JAZU』の共同オーナー、ロージー・ロバートソン氏は「ストリーミングサービスのプレイリストを自動再生するようなカフェやバーのありふれた音楽に、みんな退屈している。リスニングバーと名乗るかどうかに関わらず、音楽の選曲から再生するレコードプレーヤーまで一つ一つにこだわりがあることを意思表明するという意味で、音楽を楽しめる雰囲気を作ることが新たなトレンドなのかもしれない」と分析した。

ちなみに『JAZU(ジャズ)』という日本風の店名について、共同オーナーのジミー・ハマー氏は「日本のジャズ喫茶などがこだわりのオーディオで音楽を輝かせてきた歴史は、音楽への敬意と感謝の表れ。自分たちも提供するフード・ドリンク・音楽の全てにこだわりを持ちたい」という意味をこめたそう。

リスニングバーが受け入れられている二つ目の理由は、経済的な側面の後押しだ。

「コロナ禍以降、インフレなどで生活財政は厳しいものの、音楽を楽しみに外出したい欲求は高まった。しかしナイトクラブは高額で体力も使う。リスニングバーならその場の気分次第でふらっと来て音楽を楽しむことができ、大金を費やす必要もない」とハマー氏。

食事も提供している『JAZU』では、22時以降はテーブルを片付けダンスフロアにチェンジ。イベント入場料は取らない。もともとロンドンでは夜遅くまで開いているバーは少ないので、客も重宝している。ナイトクラブの客単価は平均して60〜100ポンド。一方、『JAZU』では30〜50ポンド程度だ。

イギリスのリスニングバーは、ジャズ喫茶の影響を大きく受けたものから独自の進化を遂げたものまで様々。スマホ一つで手軽に楽しめるようになった音楽を、あえて特別な存在として楽しむ選択肢を提示してくれている。

(執筆:FNNロンドン支局 長谷部千佳)

長谷部千佳
長谷部千佳

1998年藤沢生まれ。早稲田大学法学部卒。2023年よりロンドンに拠点を移し、FNNロンドン支局で記者助手とカメラマンを担う。守備範囲は広めの無趣味。いつも音楽と街中の人の装いを追っている。