バスから降りて取材ができるように…
「そう言えば、ないですね。いつなくなったんだろう」
東京電力の職員は首を傾げた。福島第1原発構内の入り口にあった「発電所敷地内でのポケモンGO禁止」という張り紙が廃止されたことについて尋ねたのだが、福島第1原発に毎日いる職員にとって、あまりに小さな変化すぎて気にも留めていなかったようだ。
以前の取材でトイレの中で見た「構内でのガムやたばこは禁止」という張り紙も、今回は見つけられなかった。
福島第一原発の事故から8年。日本記者クラブの取材団の一員として、筆者自身は3年連続となる構内の取材を行なった。そこで見えた「変わったこと、変わらないこと」を中心にお伝えしたい。
構内をめぐると、爆発の傷跡を生々しく残した建屋や、いくつも立ち並ぶ汚染水のタンク、放射性物質が飛び散らないようにコンクリートで固めた地面など、パッと見た印象は2年前から変わっていない。悪化した感じはないが、劇的に改善したようにも思えない。
ただ、去年と比べれば、確かに変化している部分もある。
放射性物質を大量に放出した2号機と、損傷が激しかった3号機の間は、これまでバスで通過するだけの取材が続いていたが、今回はヘルメットとメガネ、マスクという一般の工事現場のような装備で、バスから降りて取材ができるようになった。
3号機の壁には、爆発ではなく、津波によってできたひっかき傷が見える。コンクリートの壁から鉄骨がむき出しになった部分があり、そこにはガレキが引っかかっている。バスで通過していた時には気づかなかった事故の爪痕がよく見える。
もちろん、防護服なしで取材ができると言っても、日常生活を送れるような場所ではない。バスが停車した道の真ん中の放射線量は毎時250マイクロシーベルトと高い。さらに、3号機の方に数メートルほど歩いて近づいてみると数値はどんどん上がり、線量計は毎時356マイクロシーベルトを示した。
一般の人は1年間の積算線量を1000マイクロシーベルト以下に抑えるよう法律で定められているので、この現場に3時間いると年間限度を超えてしまうことになる。
周囲の記者からピーピーという個人線量計の高い音が聞こえてくる。実際に取材したのは5分程度。東京電力の職員に促されるようにバスに戻った。
作業員は7000人から4000人程度に減った
1号機から4号機まで約100メートルに位置する高台はさらに状況が良く、ヘルメットもマスクもなしで建屋を見渡すことができるようになっていた。
2018年9月、汚染水が海に流れ出ることを防ぐための凍土遮水壁が完成したためか、現場で見かける作業員の数が心なし減ったように感じられる。実際、4~5年前までは多い時に1日あたり7000人以上の作業員が働いていたが、今では平日4000人ほどになっているという。
単なる復旧作業だけでなく、復興に向けた模索も始まっていた。
放射性物質を拡散させないため、福島第一原発の敷地の外には出せない構内専用の車もたくさん走っている。それらはナンバーがついていないことが多いため、初めて取材に来たときは特殊な世界に感じた。
その光景は変わっていないのだが、一般車両や子供などが歩いていない特殊な環境を生かし、構内では自動運転EVバスの運行がスタートしていた。
15人乗りの自動運転バスで、日中は時刻表に沿って3つの地点を結んでいる。小さな段差でストップしてしまったり、人が道路に少しはみ出しただけで反応してしまったりするなど課題もたくさん出ているとのことで、「運行データなども含めて地元業者に提供したい」と語っていた。
放射性物質の飛散が減り、がれきの撤去が進み、EVバスなど復興に向けた取り組みも行なう。
しかし、肝心の溶け落ちた核燃料(デブリ)を取り出すところには、まだ至っていないのが現状だ。炉心溶融(メルトダウン)が起きた1~3号機にはそれぞれ数百トンのデブリがあると言われるが、最初の取り出し作業をどの建屋から始めるのかもまだ決まっていない。東京電力の職員も「個人的な意見」と前置きしたうえで、こんなことを語った。
「福島第一原発の各号機がどのような状態になっているのか、断片的な情報は得られるようになっていますが、まだわからないことが多く、油断はできません。ですので、完全にコントロールできている状態とは言えないと思っています」
廃炉の措置が完了する時期として、東京電力は30~40年後を目指している。福島第一原発では、それに向けた作業がゆっくりと続いていた。
(画像はすべて代表撮影)