フジテレビの朝の情報番組「とくダネ!」で22年間にわたりMCをつとめた小倉智昭さんが12月9日午後に亡くなりました。77歳でした。
この記事の画像(8枚)2016年にぼうこうがんを公表し、長い闘病生活を送りながらテレビ、ラジオへの出演を続けていましたが、突然の訃報となりました。
11月8日に行われたフジテレビ「小倉ベース」の収録では元気な姿を見せていた小倉さん。
しかしその後、病状が急変。
12月4日には、医師から「治療の手立てがない」との宣告を受け、6日には自宅に戻り妻の看病の元、最期の時間を過ごし、9日午後に息を引き取りました。
「めざまし8」に生出演したフリーアナウンサーの笠井信輔さんは、小倉さんが亡くなる2日前に電話で話をすることができたそうです。
亡くなる2日前に電話でやりとり
MC谷原章介:
笠井さんは小倉さんが亡くなる2日前に連絡をとることができたそうですね。
フリーアナウンサー 笠井信輔さん:
また入院されたっていうのを聞いて、それで電話したところ「もう家に戻ってきた」っていう話が。ん?と思って。そしたら小倉さんから「もう先生に『頑張らなくていいですよ』と。もう諦めたんだよね」っていう話を電話でされまして。声がもう枯れていて非常に弱々しかったんですよ。これはもう最期は自宅でということなんだろうなと僕は察しがつきまして。最後放射線治療に入っていたようでして、「もう全身かゆくてたまらないんだ」っていう話と「右手か左手の方が水疱ができてしまっているんだよ」なんていう話をされていたんですよね。こんな状況なんだなって悔しそうな口ぶりではあったんですけれども。
私がこの電話最後になるかもしれないと思って、「とにかくよく小倉さんここまで頑張ってきましたよ」と。もう8年がんと向き合ってましたんで。そしたら「うん」っていう感じだったんですけれども。「私は小倉さんの一番弟子で、本当にありがとうございました」ということを言ったら「いやぁ、僕の方こそだよ」と言ってくださいまして。それが最後のやりとりになって「また電話しますね、よかったら行きますよ」みたいな。そのまさか2日後にね、こういった連絡を受けるとは。いや、うーん…覚悟はしていました。
また、11月8日に行われたの小倉さんの最後のテレビ番組収録での様子については…。
フリーアナウンサー 笠井信輔さん:
奥さまに話を聞いたんですけれども、腰痛がひどくて、それがヘルニアのせいだろうということで強力なブロック注射を打って撮影に臨んでいたという話を聞きました。それも実はがんの骨転移の状況だっていうことが後で分かったですけれども、「小倉ベース」に関してはもう本当に「これはやるんだ」っていう気持ちで臨んでいましたね。
MC谷原章介:
小倉さんはどんな方でしたか?
フリーアナウンサー 笠井信輔さん:
優しい人です。これね、一般の皆さんのイメージと違うんですよね。実は非常に気配りの多い人で、「気にし屋さん」でもありますし、ボクサーとか兵士みたいにリングの上に立ったり戦場に行くとファイティングポーズをとる人です。小倉さんにとってスタジオは戦場だったものですから、「バカヤロー」とかすごい言うんですけど、例えば反省会があっていろんな問題が起きても小倉さんは「いや、別にきょうはありません」と。で、終わった後「実はね、本当はさ…こうなんだよね」とかってぼそっと言ったりする。たまに年に1回ぐらいドカンと怒るんですよ。そうするとそれが文春に載ったりして“小倉さんは怖い人”っていうイメージがどんどんどんどん。
炎上することに関しては「気にしてない」って言うんですけど、「あれもあれも全然気にしてない」って言いながら、全部見てるんですよそれっていうところがあって、なんでもかんでも言い放って「俺の言うことを聞け」っていう人じゃなかったですね。
MC谷原章介:
小倉さんと過ごした日々はどういう時間でしたか?
フリーアナウンサー 笠井信輔さん:
貴重な時間でありました。けさ(10日朝)奥さまと話をしたんですけれども、ぼうこうから肺、腎臓、骨盤、腰椎そして12月4日に髄膜に転移したことが分かって、脳の近くなので先生から「これ以上治療法がありません」って言われて、もう無理ですという話になって、それを小倉さんに伝えますか?といった時に奥さまは、小倉さんは全部自分のことを知りたがっているからということで「命が短いことを伝えましょう」と。
そういったところで「家に帰ろう」という話になって自宅に戻られたんですけれども、そこでマネージャーさんと奥さまと緩和ケアの訪問介護の方と3人で24時間体制で介護をしていたんだけれども、奥さまと小倉さんの2人の瞬間っていうのはなかったそうなんですよ。
ただ、本当に最後の最後マネージャーさんに用があって表に行った時に、小倉さんが何か口を動かしてるなと思って水を飲ませようとしたら口が動かなくなって、手を握ったらぎゅっと手を握ってきて、そのままだんだん手がすーっと力がなくなってきて…「ともちゃん、ともちゃん大丈夫?」って言っていたんだけども、小倉さん亡くなるときは、9日の15時8分には私と小倉さんと2人だけだったんです、と。
そうして小倉さんは亡くなっていきましたという話を聞いて、なんか…小倉さん良かったなと思いました。奥さまとそういう時間を最期に過ごすことができて。
小倉さんはワンちゃんがとても好きで、自分で本出してないのに犬の本は出してるんですよ。愛犬がペロペロ顔をなめて何で起きないのって。最後までなめてたんですよって。そんなお話をしてくださいまして。
小倉さん家に戻れてよかったなって本当に思いますし、我々ここにいるスタジオ全員が感謝しております。本当に小倉さんありがとうございました。
(めざまし8 12月10日放送より)