来年2025年は戦後80年。戦争を体験した世代が少なくなる中、高校生が特攻隊の中継基地だった熊本・菊池飛行場にまつわる証言を基に、映像作品を作った。記憶を未来につなぐ取り組みを取材した。
特攻隊員と中原妙子さん(享年97)の記憶
熊本県立大津高校メディア放送部、さまざまなコンテストで受賞歴のある部活が、今回作品の題材に選んだのは、戦時中、菊池市にあった『菊池飛行場』での出来事。TKUの中原アナウンサーの祖母・妙子さん(享年97)の体験だ。
この記事の画像(14枚)生前、中原妙子さんは戦時中の記憶として、「『行きたくないなぁ』と言った。『沖縄の船に突っ込みます』って。童顔で、よか息子だった」と話してくれた。
『陸軍菊池飛行場』は熊本県内最大規模の軍用飛行場で、太平洋戦争末期には沖縄方面に向かう特攻隊の中継基地にもなった。
1945年昭和20年の春、18歳だった妙子さんは仕事の帰り道、2人の特攻隊員に呼び止められ、「自分たちはあすには鹿児島の知覧に行き、あさってには沖縄に来ているアメリカの戦艦に特攻します。軍刀と手帳を自分の家に送ってほしい」と頼まれた。
妙子さんが承諾すると、1人の特攻隊員が「行きたくないなぁ」と、つぶやいたという。妙子さんは自分と同じ年の頃の特攻隊員に何と言っていいか分からず、ただ黙って見送ることしかできなかった。
証言を基に生徒たちが再現映像を撮影
大津高校2年の前田幸大さんは「自分の立場で考えると、正直絶対に行きたくないし、国のために死ねるわけないし、それを当時言ってしまうと『非国民』とか言われるような時代で、恐ろしいと思った」と話す。
生徒たちは再現映像を撮影するために、モンペなどの衣装や小道具を準備した。2年の加藤佳琳部長は「モンペという物は知っていましたが、持ったり履いたりしたことはなかった」と、戦時中の服装について話す。
再現映像を撮るのは初めてで、想像力を膨らませ、表情やしぐさで当時の様子を再現した。加藤部長は「〈特攻隊員が駆け寄って来る瞬間はこうだったんだろう〉と体験として知ることができてよかった」と話した。
また、1年の小野明斗さんは「まだ十数年しか生きてないのに、あさってには特攻で死んでしまうという想像もつかない出来事を、現実として受け入れるしかない状況はとても恐ろしくて…。今では常識的に考えておかしいことだが、当時は普通なのかもしれないし、特攻隊員の『怖い』とか『行きたくない』という気持ちを身にしみながら演じました」と思いを語った。
そして、生徒たちは関係者から証言を集めるために、中原アナウンサーに取材を行った。中原アナウンサーは「すごい証言だと思った。『行きたくない』と言えるのが平和なのだろうと思いました。正しく聞いて次の世代につなぐのができることだと思った」と、80年前の祖母の記憶を、いまの高校生たちに伝えた。
『未来への記憶』九州高校放送コンテスト入賞
出来上がった作品のタイトルは『未来への記憶』。ナレーションを吹き込むのは特攻隊員を演じた生徒だ。編集も生徒たちが行った。
作品の制作中に妙子さんは97年の生涯を閉じた。メディア放送部顧問の大塚章史教諭は「中原妙子さんが永眠されました。『バトン』があなたたちに来ている。大切なものを預かりましたね」と生徒たちに話した。
完成した作品は、九州高校放送コンテストの熊本県大会のテレビ番組部門で2位に入賞した。
加藤部長は「戦争を体験した人はこれから少なくなっていく。『未来への記憶』のように戦争はなくなってほしいが、あった出来事は忘れていってほしくないと感じました」と話した。
そして、作品完成後、生徒たちは菊池飛行場跡へ。地元の泗水中学校の生徒に記憶を伝えるボランティアガイドを行った。
2025年は戦後80年。記憶を未来へ、若い世代が動き始めている。
(テレビ熊本)