元日の能登半島地震で孤立し、いち早く集団避難を決めた輪島市の南志見(なじみ)地区は9月の奥能登豪雨で再び甚大な被害に見舞われた。豪雨から1週間あまりが経った地区を回り、現状と住民たちの思いを取材した。

ふるさとでの生活再建半ばでの豪雨
「ここに民家が5.6軒あったが全部流れた」10月1日、こう話すのは南志見地区に住む大宮正さん。9月の豪雨で近くの川が氾濫し10軒ほどの家が流されたという。能登半島地震からの再建を目指している中での豪雨だった。

元日の地震で320世帯約700人が孤立した輪島市の南志見地区。ライフラインが絶たれたため、いち早く金沢への集団避難を決めた。いつかはふるさとに戻ることを目指していた住民たち。それを支えていたのが地区に残った市議会議員の大宮さんだった。「やっぱりもとのところにみなさん帰ってきて、住まいを続けていただきたいっていうのがある。現実的には厳しいかなっていう思いも心の中にはあるけども、そのために何ができるか模索しながらとにかくいまできることをやるだけなんです。」当時、取材に対して大宮さんはこう答えていた。


地震から4ヵ月が経った5月、南志見地区に仮設住宅が完成。地震前の半数にあたる150世帯ほどが地区に戻ってきた。部屋の割り当ては元々住んでいた家の並び通りに。地区の繋がりを維持するための工夫だ。住民たちは少しずつ少しずつ、日常を取り戻そうとしていた。しかし、9月21日の豪雨で南志見地区は再び孤立した。
度重なる災害に地区を去る決断をする人も…
豪雨から1週間あまりが経った頃、大宮さんと共に被害の現状を見て回った。仮設住宅は無事だったが自宅で暮らしていた約20世帯はほとんどが浸水していた。「正さん、何とかしてよー!」住民が口々に大宮さんに訴える。「自宅の修理を終えて、仮設住宅から戻ろうとしていた矢先にこの大雨。こんなことになってどうしていいか分からない。」「地震にやられて解体とか始まってやっと少し道筋がみえたかなという矢先にこれ。ガクッときた。」

せっかく復旧した水道管も再び破損。大宮さんの自宅を含め、地区の一部では現在も断水と停電が続いている。度重なる災害に、ここで住むことを諦めた住民もいたという。大宮さんは「ここもうダメやし行くわって金沢へ行く2つの家族を送った。もう生活できんし向こう行きますって。ちょっと悲しかったけどしょうがない止めようがなかった」と話す。
希望する人がここに住み続けられるように…大宮さんの思い
避難所になっている南志見公民館に行くと、自宅への道が寸断され戻ることが出来ない住民など14人が身を寄せていた。ここにいるのはお年寄りばかり。みんなワイワイ談笑して楽しそうだ。「ここに居れば知っている人もいる元気で居てよかったねって声かけてくれるそれが一番嬉しいね。それが一番救い」

不自由な生活だが、ここには気心知れた人たちと暮らす安心感がある。南志見に住み続けたいと考える住民は多い。大宮さんはそんな住民のために地区を守っていく決意を固めている。「まあやるしかない。開き直るしかキリがない、やることやらないとどうしようもないからそんなこと考えているひまもないといえばない、本当は」
(石川テレビ)