2024年9月29日にJR松山駅の高架化が完成し新駅舎が開業した。レトロな駅舎との別れを前に元駅長と一緒に松山駅の「最後の風景」を巡った。

松山駅100年の歴史を振り返る

木造で建物中央の大きな三角屋根が特徴的な松山駅は今から約100年前の1927年に開業した。

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しかし、1945年に太平洋戦争の空襲で焼失し、その後、戦災の応急措置として仮の駅舎が建てられた。そして1953年、現在の駅舎の原型となる2代目の建物が完成する。

テレビ愛媛に残る最も古い、1969年12月の松山駅の映像
テレビ愛媛に残る最も古い、1969年12月の松山駅の映像

テレビ愛媛に残る最も古い、1969年12月の松山駅の映像だ。
行列ができ混み合う窓口。たくさんのお土産を手に待合室で列車を待つ人たち。にぎやかな年末の風景が記録されていた。

国鉄と路面電車の乗り場をつなぐ地下道(1981年)
国鉄と路面電車の乗り場をつなぐ地下道(1981年)

1980年代に入ると駅前広場の整備なども行われ、国鉄と路面電車の乗り場をつなぐ地下道や、2階へ上がるエスカレーターが設置された。2階には土産物店が入っており、県内の銘菓が並んでいた。

駅舎はすごくレトロな雰囲気があるが、実はこの形になったのは意外と最近だ。

リニューアルされた当時のJR松山駅
リニューアルされた当時のJR松山駅

2000年に「暗い」「汚い」といった利用客からの声を受けリニューアルされた。この時、初代の駅舎をモチーフにした「三角屋根」が復活したほか、建物壁面の広告などが撤去され、今の形になった。

元駅長と巡る松山駅の“見納め”風景

1978年に国鉄に入社し、松山駅長も務めたJR四国愛媛企画部の窪仁志部長にリニューアルのため、今回で「見納め」となる風景を、案内してもらった。

まずは、2つの列車が向かい合わせに並んで停まる「縦列停車」だ。窪さんは「今では特急列車が同じホームに行き先が違う列車が2本並ぶというのは本当に珍しいと思います」と珍しいポイントを説明した。

ホームの数に限りがある中で、時間を短縮しながら乗り換えしやすいように考えられたアイデアで、特急列車同士の縦列停車は日本で「ここ松山駅だけ」と言われている。

窪さんは「実は私が本社の時にこの計画に携わっていたので、なんかちょっと寂しい感じはしますね。これが最後かという」と名残惜しそうに語った。

千葉から来た鉄道ファンは「千葉から夜行列車で来ました。縦列というのはなかなかないことなので歴史あるうちのひとつかなと思いますね」と最後の見納めをしていた。

続いての、最後の風景は「有人改札」だ。

新しい駅舎には自動改札機を導入。現在のように、改札口に駅員が立ち乗車券を一斉に確認する光景は見られなくなる。

窪さんは「JR四国管内はほとんど有人改札なんですがこれだけの大きな駅でお客さまをお出迎えするのは非常に珍しいと思いますね」と語る。

切符は手で受け取る
切符は手で受け取る

ピーク時には息つく間もなくひっきりなしにお客さんの乗車券を確認。人の手で行うからこその、大変さもあったという。

窪さんは「宇和島方面に向かう特急列車、高松方面の特急列車、それから岡山に行く特急列車のお客さまがいらっしゃるので、切符を見て瞬時にどこの乗り場にご案内するかっていうのが大変な仕事でした」と松山駅の駅員ならではの、巧の技を説明した。

70年変わらない改札口のタイル

そして、この改札口に松山駅の歴史を見届けてきた「駅ができた当時のタイル」が残っていた。

増改築を繰り返してきたため、2代目の駅舎の完成当時から残るものは意外と少ないそうだが、このコンコースのタイルは70年変わらず駅を利用する人たちの足を支え続けてきたそうだ。

窪さんは「ここを何人の方が歩かれたのかなと思うと昔のすごさ、この駅のすごさを感じますね」としみじみと語った。

リニューアルによって様々な光景が見納めとなってしまうが、窪さんは新しい駅舎に期待を寄せている。

窪さん:
今までの歴史をまた新しい駅に引き継いでいただいて、地元の方々だけでなくて松山を訪れる方に愛されれる駅になっていただいたらいいなと思っております。

(テレビ愛媛)

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