「悔しいけれど楽しかった初めての五輪。これからも何回でも出たい」
クライミング界の新ヒロイン・森秋彩(もり・あい、21)。
筑波大学3年生は、濃密な夏を経て心身ともに成長した。
ボルダー第1課題で制限時間オーバーも得意のリードで暫定1位に
2024パリ五輪で日本のメダル獲得数は、アメリカ、中国に続く3位。
金メダル20、銀メダル12、銅メダル13、合計45個の好成績だった。
クライミング男子では、高校3年生、安楽宙斗(あんらく・そらと)が銀メダルを獲得。
一方、女子は、森が熾烈(しれつ)な戦いの末に4位。
20歳で臨んだ初の大舞台。
最初の種目・ボルダー第1課題で、身長154cmの森は、ホールドに手が届かず、何もできないまま制限時間オーバーで、0点からのスタートとなった。
出鼻をくじかれボルダー7位となった小柄な日本代表。
続く得意のリードでは一転し、完登まであと一手に迫る強さを披露。
最高得点をマークし、一気に暫定1位へと躍り出た。
最終順位は4位だったが、リードで見せた抜群の技術と窮地にも折れない精神力は、メダリストと遜色ない強烈なインパクトを見る者に与えた。
パリ五輪クライミング女子4位 森秋彩(21):
ボルダリングの第1課題、壁に向かう助走路にチョーク跡があって、靴底に付くと滑るので避けたんです。脚力があれば克服できたけど、実力不足だった。あの時、苦戦する私に向けて、スタンドから応援が聞こえてきました。リードの時は1手、1手、登るたびに、どんどんと歓声が大きくなって、最後はスタンディングオベーション。振り返ると、日の丸が見えた。私の登り自体を称賛してくれて、すごくうれしかったです。通常の試合では感じられない、五輪ならではの雰囲気でした。心から楽しめました。
東京五輪銅メダリスト・野口啓代さんは解説席から見つめる
森は、小学生の時から“天才少女”と呼ばれ、12歳でリードジャパンカップ優勝。15歳で世界選手権・ボルダー&リードで銅メダル獲得。
その才能を早くから認めていたのが、同じ茨城出身、東京五輪銅メダリスト野口啓代さんだった。
クライミング界のレジェンドは、解説席から森の活躍を見つめていた。
東京五輪クライミング銅メダリスト・野口啓代さん(35):
小学2年生のころから見ていますけど、彼女を超えるリードの選手はもう出てこない。基礎が完璧で、クライマーに必要なことを全部持っている。パリ五輪を経験して、さらに成長した。年齢的にも親のように見てしまいます。東京五輪は無観客、パリ五輪はスタンドも大きく、盛り上がり方がワールドカップともまったく違う。やはり観客の存在は大きい。選手たちも楽しそう。私も出てみたかったなぁって思いました。
森秋彩:
パリ五輪の最中、午前は競技、午後は母と観光をしたりしていました。バゲットやクロワッサンを食べたり。競技して観光、競技して観光という日々。これが息抜きになりました。普段と変わらぬように、母が私を包み込んでくれたおかげで試合も伸び伸びと登れたので感謝したいです。
森秋彩:
それから女子レスリング金メダリスト・藤波朱理さんと親しくなりました。連勝記録のプレッシャーの中で優勝して格好いい。クライミングとレスリングはまったく違うけど、アスリートにしか分からないことを打ち明けられたら私も強くなれるのかも。価値観とか競技への向き合い方とか話をするのがとても楽しみです。
特別コーチとして初心者を2人が指導
パリ五輪以降、森秋彩と野口啓代の久しぶりの再会は、都内で開かれた体験イベントだった。
メディア関係者、インフルエンサーらがクライミング初体験。
色鮮やかなホールドに囲まれる中で歓声と笑顔が広がった。
2人は特別コーチとして、初心者たちに手取り足取りアドバイスをした。
森秋彩:
クライミングに運動神経は関係がないので、いろいろな人に体験をしてもらいたい。私はクライミングに出会い、人生が豊かになりました。私のように握力がなくてもできるので、敷居を下げて多くの人に挑戦をしてほしい。
野口啓代さん:
クライミングは、ハシゴを登れる人ならは誰にでもできます。週2回くらいのペースで気楽に続けてほしい。愛好者を増やして、クライミング界の裾野を広げたいですね。
2028年ロサンゼルス大会はもちろん、体の続くかぎり、あと3大会ぐらい五輪には出場したいという森は現在、筑波大学3年生。
学生生活の中では、パン屋さんでアルバイトも続けている。しかし、ここで1つ、「課題」が立ちはだかった。
森秋彩:
バイト先のパン屋さんには、パリ五輪に出場することを言ってなくて。帰国してからパン屋さんに行ってないんです。みんなに驚かれるのかなぁ。
パリ五輪で一躍、クライミング界の新ヒロインとなった森秋彩。
パン屋さんでの第1課題の攻略法は…。
(撮影:産経映画社)