“隼ライダーの聖地”と呼ばれる若桜鉄道の隼(はやぶさ)駅。2024年夏には過去最多の約2500台が集結した。地域の観光資源とも言える鉄道を支える一人に、隼駅をきっかけに移住した元・新幹線の車掌がいる。
神話の町に守られてきたローカル鉄道
鉄道をこよなく愛するテレビ新広島の野川諭生キャスターが訪れたのは「因幡の白兎」で知られる鳥取県。

神話ゆかりの地・八頭町の郡家(こうげ)駅周辺には、かわいい“神ウサギ”の石像が立っている。しかし野川キャスターのお目当てはウサギではなく、この駅からスタートする若桜鉄道だ。

郡家駅はJR因美線の駅であると同時に、第3セクター若桜鉄道の始発駅でもある。1930年に国鉄若桜線として開業した路線の運営を、1987年に民営化されたJR西日本から第3セクター若桜鉄道が引き継いだ。若桜線は鳥取県東部の八頭町から若桜町を結ぶ全長19.2キロの短い路線。沿線では四季折々の日本の原風景を見ることができる。

そんな若桜鉄道の魅力を教えてくれる案内人が、住民グループ「隼駅を守る会」の山村俊太さん。あいさつを交わし、野川キャスターがまず注目したのは山村さんが着ているポロシャツだった。
「よく見ると、これ、若桜鉄道のグッズですか?」
「そうです。若桜鉄道が大好きな地元工務店の方がデザインしたポロシャツです。売り上げを若桜鉄道にも回そうとすごい熱い思いをお持ちで…」
黒地のポロシャツに、白い動輪のバックプリント。地域には熱心な支援者が多いようだ。

「植栽や草刈りをしたり、若桜鉄道を守ろうとしている団体が各駅にあります」
「すごいですね。何がそこまで皆さんを突き動かすのでしょうか」
「やっぱり皆さん、好きなんでしょうね。自分の鉄道っていうような意識が高い人が多いのかなと思います」
駅のホーロー看板がSNSで話題に
山村さんの案内でさっそく郡家駅のホームへと向かった。二面三線からなる郡家駅は、若桜鉄道とJR因美線の共同使用駅だ。

「わあ、いいムードですよ。ホーロー看板がいいですね~。最近、こういったホーロー看板を復刻して使っているところもありますけど、これはもう本当に昔からのものですね」
郡家駅をすっかり気に入った野川キャスターに山村さんが話しかける。
「駅舎は2015年に建て替えられましたが、ホームは昔ながらの雰囲気がそのまま残っているのが特徴です。郡家駅のホーロー看板が一時、SNSで話題になったのをご存知ですか」

ホームには「①のりば」「ばりの②」という2つの看板が左右対称に並んでいる。
「左から通して読むと『1番のりば、ばりの2番のりば』って、どういうことだと」
これには野川キャスターも大喜び。「もう一度バズるんじゃないですか」と絶賛した。
初乗り区間100円は日本最安値タイ
2人は郡家駅から列車に乗り込み、若桜鉄道の魅力を体感すべく短い旅へ出た。若桜線へ入ってわずか1駅、山村さんに案内されるまま最初の停車駅で下車。駅は八頭町唯一の高校の目の前にある。

「おお、八頭高校前駅は水戸岡さんが?」
水戸岡鋭治さんといえば、JR九州の「ななつ星」や九州新幹線「つばめ」などを手がけた日本で最も有名といっても過言ではない工業デザイナー。若桜鉄道でも車両や駅舎のデザインを担った。八頭高校前駅は無人駅だが、木とレトロな照明を使った“これぞ水戸岡デザイン”である。
「若桜鉄道の駅をすべてレトロ化するって話になったとき、少し色を塗り替えたり、板を張ったりして温かみのある雰囲気に変わりました」

さらに山村さんは誇らしげに言った。
「この区間は運賃の面でもおもしろいんです。一区間なんと100円」
「大人100円?」
「はい、子どもは50円。最安値タイなんですけれども、日本で一番安い区間です」

初乗り区間の運賃が大人100円は北大阪急行電鉄と並んで最安値タイ。2007年までは60円で日本一安い運賃だったそう。
「鳥取のほうから乗ってくると、JR西日本と若桜鉄道は別会社で当然2回払わないといけないことになりますので、高校生が利用しやすい運賃に設定されています。利用していただいて鉄道の価値があるわけですから。本当に短い区間ですけど、朝の通学時間帯は2両編成がパンパンにごった返し、首都圏も真っ青のラッシュアワー状態が展開されます」

山村さんの話の通り、午前8時前に八頭高校前へ到着する便は夏休み中でもパンパン。次々と生徒が降りてくる。鉄道は利用されてこそ輝く…。地域に愛される若桜鉄道の一端に触れることができた。
沿線まるごと登録有形文化財
若桜鉄道のさらなる魅力を知るため、八東川の川沿いにやってきた。ここから「第一八東川橋梁」が見える。郡家駅を出て1つ目の橋だ。

第一八東川橋梁は国の登録有形文化財。実は、若桜鉄道の沿線には昭和初期の鉄道関連施設や駅舎がほぼそのままの姿で残っている。これを地元の有志が復元し、2008年、なんと23施設が有形文化財に登録された。沿線まるごと登録有形文化財となるのは若桜鉄道が初めて。周辺の人口が減る中、鉄道を観光資源として全国にアピールする目的もあった。

「山村さんから見て、八東川橋梁の魅力は何ですか?」
「やっぱり風景です。春夏秋冬、さまざまな表情を見せてくれます。春には菜の花がすごくきれいですし、冬はあたり一面真っ白。ガーダー橋にも少し雪が積もったりして」
車両と鉄橋が引き立つ冬の景色もまた魅力の一つだと言う。
さらに山村さんは、鉄道ファンならではの話題に踏み込んだ。
「マニアックなことを言うと、実は若桜鉄道のレールの長さはJRのレールよりかなり短いので、音を聞いているとJR因美線の音は軽快な音がするんですけど、若桜鉄道はなかなか重厚感のあるドスンドスンという音がします。通常とは異なるレールのジョイント音が聞こえますので、音鉄の人はこの辺も気になるのではないかなと」

鉄道ファンの心をくすぐる若桜鉄道。野川キャスターは「ここは自然のテーマパークみたいですね」と、山村さんに相通じるものを感じていた。
昭和レトロな隼駅がライダーの聖地?
続いて訪れたのは郡家駅から約4キロ離れた「隼駅」。昭和4年、1929年に建てられた木造の小さな駅舎である。

駅前には赤いポストがあり、昭和の趣きを残すノスタルジックな雰囲気が漂う。この駅舎も有形文化財に登録されている。

「いいですね。駅員さんがここに立って切符をパチパチやっていたんでしょうね」と昔に思いを馳せる野川キャスター。案内人の山村さんとはしばし別行動を取り、この駅で待ち合わせていた。
そこへ大型バイクが1台走ってきた。
「あれ?山村さん?これ、スズキの『隼』じゃないですか」
フルフェイスのヘルメットを取ると、やっぱり山村さんだ。ライダージャケットが板に付いている。

「私の『隼』です」
「かっこいいですけど、隼駅に『隼』ですか?つまり、これが隼駅で待っていてほしいとおっしゃった理由ですね」
「その通りです。隼駅は、若桜鉄道が開業した1930年から。こちらのバイクは1999年にデビュー。時を経てまさかのコラボレーションです」

スズキの大型バイク「隼」と同じ名前の隼駅は、現在、ライダーから聖地と呼ばれる存在。駅舎には「隼」のポスターまで張られている。2005年ごろから、このバイクに乗った人を隼駅周辺で見かけるようになり、「バイクが最近よく来ている」と地元で話題に。そこで若桜鉄道の職員がスズキに働きかけて、「隼」のポスターを1枚送ってもらったことが始まりだという。
隼駅がきっかけで、ついに移住!
実は、かく言う山村さんも「隼」がきっかけで八頭町へ移住した一人。
「そもそも山村さん、出身はこの辺りなんですか?」
「いえ、私は奈良県出身です」
「奈良?」

「たまたま隼駅という駅があるのを知って遊びに来たのが最初です。その時はまだ『隼駅まつり』もなくて、ただ遊びに来ただけでしたが、何度か来るうちに地元の方と仲良くなり、お祭りを手伝うようになり…。2016年に引っ越してきてしまいました」
「えー!若桜鉄道があり、隼駅があって、山村さんはこの地とご縁ができた?」
「そうですね。やっぱり若桜鉄道はなくてはならないと言いますか、私にとって人生の大きな転機になった鉄道かなと思います」

前職は新幹線の車掌だった山村さん。現在は「隼駅を守る会」のメンバーとして、隼駅の保全活動や若桜鉄道存続のため観光振興を行っている。毎年、夏に「隼駅まつり」を開催。2024年は過去最多の約2500台2700人が全国から訪れた。

2016年から運行を始めた隼ラッピング列車は現在3代目のデザインで、祭りに集まるライダーから注目の的だ。バイク、駅、列車がすべて「隼」というトリプルコラボ。駅に隼ラッピング列車が入ってくると、ライダーたちがホームへ流れ込むという。
「皆さん、列車が来たら駅前にバイクを置いて、わーっと見に行く。もうホームは大にぎわいでした」
大型バイク「隼」とのつながりで若桜鉄道を盛り上げようとする「隼駅を守る会」をはじめ、若桜鉄道は住民たちの熱い思いに支えられている。

山村さんは「乗る人がどんどん減っているので、観光で多くの人に来てらもらって、廃線にならないように一日でも長く走ってほしいと思います」と言葉に力を込めた。
鉄道に情熱をかける同志とめぐり会えた野川キャスター。山村さんを通じて若桜鉄道の魅力を実感するのであった。
(テレビ新広島)