「見苦しい」「汚いやり方だ」
オリンピックの期間中、SNSにこんな書き込みをした人はいるだろうか。心当たりのある人は、少し立ち止まって考えてみて欲しい。
SNSでの“悪気のない”一言が、アスリートにどんな影響を及ぼしているのか。渦中にいた4人の金メダリストに直接話を聞いた。
ボクシング66キロ級金メダリスト「尊厳に関わる問題。苦難に挑戦する」
ボクシング女子66キロ級の試合が終わると、選手へのインタビューエリアには、全世界のメディアが殺到した。狙いは、アルジェリアのI.ハリフ選手だ。
この記事の画像(8枚)彼女は、2023年の世界選手権で、「男性ホルモンのテストステロン値が高い」との理由でIBA=国際ボクシング協会により失格処分となったが、今回のパリオリンピックでは一転、IOC=国際オリンピック委員会が出場を認めた。
ただ、ハリフ選手と対戦したイタリア選手は顔に強烈なパンチを浴び、開始46秒で棄権したことをきっかけに、イタリアのメローニ首相やアメリカのトランプ前大統領、実業家のイーロン・マスク氏が彼女の出場を批判。
以降、SNSではハリフ選手に対する攻撃的な言葉が瞬く間に広まった。
「男性の女性に対する暴力だ」「トランスジェンダーの元男性が女子ボクサーに勝利した」といった、いずれも誤った前提をもとにしたものだった。
IOCのバッハ会長は会見で、「女性として生まれ育った人を女性と呼べないのでしょうか」と出場資格の正当性を訴え、「ヘイトスピーチ」をやめるよう、呼びかけた。
また、ハリフ選手自身も、毎試合後、世界中から集まったメディアを前にして、自身の思いを口にした。
「これは名誉の問題であり、尊厳にかかわることです。私は女性であり、これからも苦難に挑戦する女性であり続けると全世界に向かって伝えます」
大会期間中、私は3度、彼女の試合後にインタビューを行ったが、彼女はいつも、晴れない顔をしているように見えた。
ようやく笑顔が見えたのは、金メダルを勝ち取った後だった。誹謗中傷にさらされながらも、彼女は見事、世界一に輝いた。
ボクシング女子57キロ級金メダリスト「誹謗中傷はシャットアウト」
一方で、誹謗中傷をあえてシャットアウトし、世界一に輝いた選手もいる。ボクシング女子57キロ級で、ハリフ選手同様の問題を抱えていた台湾の林郁婷(リン・イクテイ)選手だ。
順調にトーナメントを勝ち抜いていった彼女だが、準決勝までの試合後のインタビューでは、ハリフ選手と打って変わって、一度も性別をめぐる波紋やSNSでの誹謗中傷に関して触れることはなかった。
質問をする台湾メディアも、決してこの話題を振ることはなかった。試合が続く中で、林選手の精神状態をかき乱すことはしたくない、という思いからだ。
SNSでの誹謗中傷に対する思いを林選手が発信したのは、全ての試合が終わり、金メダルを首にかけた後だ。
決勝戦後のインタビューで、「心ない批判にずいぶん苦しんだのでは」と彼女に問いかけると、「金メダルを取れたので、全て良しとします」と語ったが、その顔からは複雑な感情が読み取れた。
林選手は、大会期間中は、SNSを遮断していたそうだ。第一線のアスリートとして、SNSから自身を切り離し、試合に集中することに重きを置いていたのだという。
SNSには、もちろん、林選手を激励する書き込みも多く見受けられる。
それは、彼女の力になり得たのだろうが、林選手は夢であった世界一を叶えるために、応援の言葉も含め、全てをシャットアウトする必要があったのだ。
日本人金メダリスト2選手「誹謗中傷は“ブロック”」「大会期間中も目に入る」
SNS上での“心ないコメント”は、日本人選手にも向けられている。
パリオリンピックで金メダルを手にした2人の日本人選手に話を聞いたところ、2人とも誹謗中傷の被害に遭っていると明かした。
1人は、対戦相手の国の人たちから、外国語で「あなたは勝てない」といったようなコメントがSNSで寄せられたそうだ。
また、もう1人の選手は、この大会期間中も、携帯電話にはSNSのコメントの通知が表示され、悪意ある言葉も目にする状況だったという。
この選手は、誹謗中傷を書き込む人は「ブロック」して対処しているそうだ。そうしないと、気持ちを保つことができなくなるのだと語っていた。
運営側は誹謗中傷をAIでリアルタイム監視 選手村に「心のケア」スペース
エスカレートする選手へのSNSでの誹謗中傷を受けて、IOCは初めて選手村内に「心のケア」を行うスペースを開設した。訓練を受けたスタッフが選手の話を聞く他、VRを活用するなどして、選手の不安を軽減するような取り組みだ。70カ国語に対応していて、今後4年間は、大会後に選手が鬱(うつ)を発症した場合にも対応するとしている。
IOCは選手の心のケアの取り組みの他にも、インターネット上の誹謗中傷をAIを使ってリアルタイムで検知するシステムを導入した。
ただ、こういった取り組みは、追いついていないのが実情のようだ。
SNS上には、アスリートに対する誹謗中傷の書き込みが、大会が終わった今も書き込まれ、それは止まっていない。
日本人金メダリストは、「事後的なケアも必要だが、誹謗中傷を根本から解決する策を練って欲しい」と訴えていた。
SNSの誹謗中傷は「パリオリンピックの最大の汚点」 法的措置を取る選手
ボクシング女子のハリフ選手は金メダルを獲得した後、法的措置に乗り出した。
インターネット上での誹謗中傷を受けたとして、パリの検察当局に告訴状を提出したのだ。
彼女の弁護士は、SNSでの誹謗中傷は「パリオリンピックの最大の汚点として残る」と批判。「誰がこの性差別的なキャンペーンを始めたのか明確にし、“デジタルリンチ”を煽った者にも焦点をあてる」として、ハリフ選手の尊厳のために戦う決意を表明している。
SNSは、アスリートに直接、言葉を届けることの出来る素晴らしい手段だ。
発信する人は、自分事のようにアスリートや試合を見ているいるからこそ、自身の気持ちを届けたくなるのだと思う。
ただ、実際に投稿する前に、そのコメントは本人を傷つけることに繋がらないかどうか、立ち止まって考える必要がある。
世界の頂点に立つために、ただひたむきに練習に打ち込んできたアスリートが、誹謗中傷に苦しむことなど決してあってはならない。