数百人が学生デモで死亡したバングラデシュ

南アジアのバングラデシュでは7月、公務員採用の特別枠をめぐって反発する学生たちによる大規模な抗議活動が広がり、治安部隊と衝突するなどして150人以上が死亡した。8月に入っても抗議デモは続き、4日には国内各地で衝突が相次ぎ、学生と警官隊の双方を合わせ90人以上が死亡した。

学生デモで数百人が死亡したバングラデシュ
学生デモで数百人が死亡したバングラデシュ
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学生らのデモ隊にはハシナ政権に反発する野党支持者たちも紛れ込んでいるとされ、デモ隊は警察署や与党関連施設などを襲撃したり、バスを放火したり、高速道路を封鎖したりするなど破壊行為を繰り返し、警官隊は催涙ガスやゴム弾などで応戦し、学生を射殺したケースもあるという。

デモを警戒する武装警察官
デモを警戒する武装警察官

学生たちは当初、公務員採用の特別枠の撤廃をスローガンに掲げていたが、抗議デモが激しくなるにつれ、ハシナ首相や閣僚などの退陣を求める抗議デモへと変化し、ハシナ氏は8月5日に辞任に追い込まれ、隣国のインドに脱出した。

首相を辞任しインドへ国外脱出したハシナ氏
首相を辞任しインドへ国外脱出したハシナ氏

ハシナ氏は長年にわたってバングラデシュで実権を握ってきたが、辞任発表を受けて首都ダッカでは人々が歓喜し、首相公邸には多くの若者たちが押し寄せ、略奪や破壊行為が行われた。

デモ隊に占拠され略奪された首相公邸
デモ隊に占拠され略奪された首相公邸

今後、バングラデシュでは暫定政権が発足するとされ、そのトップにノーベル平和賞受賞者で経済学者のムハマド・ユヌス氏が指名されたというが、同国をめぐる政治的混乱はしばらく続くことが考えられよう。

暫定政権を率いることになったムハマド・ユヌス氏
暫定政権を率いることになったムハマド・ユヌス氏

一方、バングラデシュに進出する日本企業はインドや東南アジアほど多くはないものの、近年は増加傾向にあり、昨年3月にJETROが公表した企業統計によると、同国に進出する日本企業の7割以上が事業を拡大する意向を示している。バングラデシュは6%と高い経済成長率を示し、国民の平均年齢が約27歳と若者が非常に多い。今後も労働市場として外国企業の期待も高く、外国企業からの積極的な投資が行われていくだろう。

略奪された首相公邸内部
略奪された首相公邸内部

先端半導体をめぐる米中間の覇権競争、中国を念頭に置いた経済的威圧、米国の貿易保護主義化など、経済安全保障における日本企業の懸念事項は増える一方だが、特に脱中国依存とリスク分散化の観点から、バングラデシュなどグローバルサウスへの展開を強化する日本企業の動きが広がっている。筆者の周辺でも、経済合理性との観点から可能な限り脱中国に舵を切り、インドや東南アジア、アフリカなどにシフトする企業の動きが見られる。

投資先としてのグローバルサウス

しかし、地政学・経済安全保障リスクの観点から企業へ助言する筆者としては、以下の点を企業関係者に強調している。

企業関係者の中には、中国が世界の工場でなくなる一方、今後高い経済成長が見込まれるグローバルサウスに対して大きな期待感を持っている人々が少なくない。新たな経済フロンティアに対して大きな期待感を抱くのは当然のことではあるが、グローバルサウスには大規模な抗議デモや暴動、テロやクーデターなど、中国では発生可能性が決して高いとは言えない政治リスクが付きまとう。

デモ以前のダッカ市(2023年)
デモ以前のダッカ市(2023年)

無論、グローバルサウスの国々によってその政治リスクは異なるものの、グローバルサウスへの進出を強化する日本企業は駐在員や出張者の安全、サプライチェーンの安定などからその動向を今まで以上に注視していく必要がある。

冒頭では昨今のバングラデシュのケースを説明したが、同国ではデジタルネイティブの若年層の人口が急増し、高学歴化も進んでいるが、経済発展やインフラ整備などが若者たちの労働力に見合うスピードで追いついている状況とは言い難い。

バングラデシュでの抗議デモ
バングラデシュでの抗議デモ

一流の大学を卒業したのにそれに見合う仕事に就けない、そもそも仕事がないなど経済格差が広がり、経済的、社会的不満を膨らませる若者が増えているのは想像に難くない。そして、そういった若者たちの不満や怒りは既存の制度、長期政権など国内の既得権益層へと向かい、1つの出来事が起爆剤となって積もりに積もった不満が一気に爆発することになる。

経済的・社会的不満を募らせる若者

昨今のバングラデシュのケースはこれに当てはまるだろうが、これは他の国々でも同じだ。

例えば、イランでは2019年11月、ガソリン価格が3倍に値上げされたことで市民による抗議デモが各地に拡大し、数百人が犠牲となった。抗議デモは首都テヘランのほか、シラーズ、マシュハド、ビールジャンド、マフシャフルなど一瞬のうちに各地に広がり、暴徒化した市民は通りに出て車に火をつけたり、警官隊と衝突するなどした。ガソリン価格の高騰に対する抗議デモが続く中、イラン政府はデモを抑えるためイラン全土でインターネット通信を遮断する措置に踏み切った。

レバノンでも同年10月、財政難に苦しむ政府がスマートフォンのSNSアプリ使用に対する課税を発表して以降、数万人規模の若者たちによる抗議デモが拡大した。抗議デモは首都ベイルートを中心に全土に拡大し、多くの負傷者が出るだけでなく、兵士がデモ隊に発砲し、男性が死亡するなどした。

南米チリでも同月、政府による地下鉄賃上げ決定に反対する若者らの抗議デモが首都サンティアゴをはじめ各地に拡大した。若者の一部が治安当局と衝突するなどし、20人以上が死亡、2000人以上が負傷する事態となった。その後、当時のピニェラ大統領が地下鉄賃上げ決定を撤回し、非常事態宣言と夜間外出禁止令を解除した。

各国のケースはそれぞれ各論的に検証しなければならないが、昨今のバングラデシュのケースはこういったイランやレバノン、チリの延長線上で捉えることもできる。

経済格差が広がるバングラデシュ
経済格差が広がるバングラデシュ

今後、グローバルサウスは国際社会で存在感を増すことになるが、急速な人口増加、経済格差、資源獲得の争い、温暖化による影響などを考慮すれば、グローバルサウスでは抗議デモや暴動、テロやクーデターといった政治的暴力が今後さらに激しくなる恐れがある。

そして、チュニジアやエジプトなどアラブの春では、ネット上での呼び掛けによって一気に拡大した反政府デモによって独裁的な長期政権が次々に崩壊したように、グローバルサウスにある長期政権などの既得権益層は、デジタルネイティブの若年層という潜在的リスクを抱えていると言え、グローバルサウスに展開する日本企業としてはこういったリスクを中長期的視点で注視していく必要があろう。

【執筆:株式会社Strategic Intelligence代表取締役社長CEO 和田大樹】

和田大樹
和田大樹

株式会社Strategic Intelligence代表取締役社長CEO/一般社団法人日本カウンターインテリジェンス協会理事/株式会社ノンマドファクトリー 社外顧問/清和大学講師(非常勤)/岐阜女子大学南アジア研究センター特別研究員。
研究分野は、国際政治学、安全保障論、国際テロリズム論、経済安全保障など。大学研究者として安全保障的な視点からの研究・教育に従事する傍ら、実務家として、海外に進出する企業向けに地政学・経済安全保障リスクのコンサルティング業務(情報提供、助言、セミナーなど)に従事。国際テロリズム論を専門にし、アルカイダやイスラム国などのイスラム過激派、白人至上主義者などのテロ研究を行い、テロ研究ではこれまでに内閣情報調査室や防衛省、警察庁などで助言や講演などを行う。所属学会に国際安全保障学会、日本防衛学会、防衛法学会など。
詳しい研究プロフィルはこちら https://researchmap.jp/daiju0415