被爆者の体験を世界に発信する取り組みが始まっている。そうした中、4人の高校生が被爆者の話をもとに脚本・作画・英訳すべてを担当した紙芝居動画を7月に完成させた。思いを受け継ぎ、伝えていく被爆者と高校生の共同作業である。
被爆体験を紙芝居に
被爆体験を紙芝居で描いたのは、活水高校平和学習部だ。平和学習部は日頃から長崎原爆について学び、同世代のガイドとして県外の修学旅行生に説明するなどの活動をしているが、紙芝居作りは今回が初めてである。
この記事の画像(8枚)活水高校平和学習部 島田朱莉さん(2年):紙芝居を通して次の世代や海外の人にも平和について考えてもらうきっかけを作ってほしい。これを見た人が「私にできることは何なのか」というのを考えてアクションを起こしてくれたらと思っている。
被爆者との対話:記憶を絵に刻む
1945年8月9日、一発の原子爆弾が長崎に投下された。爆風と熱線でまちは焦土と化し、7万3000人を超える人の命が奪われた。
被爆者の松尾幸子さんは紙芝居作りに協力してくれることになり、この日、自らの体験を語りに学校を訪れた。当時11歳で、母親や兄弟などとともに避難していた岩屋山の中腹で被爆した。(爆心地から1.3km)松尾さんは「急にピカーっと白いような黄色いような光が光った。」と当時の様子を語る。
紙芝居を作るには位置関係や服装、周囲の状況など把握しておかなければならないことがたくさんある。
活水高校平和学習部 島田朱莉さん(2年):日常から原爆が落とされた事によってなにもなくなった、学校にも行けないしケガもするし家族もいなくなったという悲惨さの対比を絵で表すことができれば。
活水高校平和学習部 竹内伶さん(2年):リアルに描くのか柔らかい感じで描くのかは(ターゲットを)子供に対するのか大人に対するのかを決めてから少しずつ明確にできれば。
若者たちの新たな挑戦
戦後79年、被爆者の平均年齢は85歳を超えた。紛争が続く世界に向けて、長崎原爆被災者協議会は被爆者の経験を発信しようと英語字幕付の動画の配信を始めた。
その一つとして声がかかったのが活水高校 平和学習部である。ある程度制作が進んだ脚本と絵を確認してもらうことにした。作画は絵が得意な島田さんが1人で担当した。
松尾さんの被爆体験をもとに描いたつもりだが、情景が一致しているか丁寧に確認していく中で絵の服装に松尾さんから指摘を受ける場面もあった。
被爆者 松尾幸子さん(90):戦時中はみんな長袖を必ず着ていた。破片が飛んできたときのために。
活水高校平和学習部 島田朱莉さん(2年):マジですか。
被爆者 松尾幸子さん(90):色々思い出しています。忘れていたことも思い出しています。
8月を前に紙芝居がようやく完成した。タイトルは「わたしからあなたへ」。初めての発表を松尾さんも見守る。
「長崎の町は、一瞬で灰に包まれました。しばらくしてだんだんと上のほうから明るくなってきました。」
「お話の後松尾さんは私達高校生にメッセージをくれました。もう戦争はしてはいけません。あの過ちをもう二度と繰り返してはいけません。」~「わたしからあなたへ」より~
被爆者 松尾幸子さん(90):優しい表現。悲惨なものではなくて体験は悲惨だけど(優しく)表現してくれた。私自身は話すときはそういう気持ちの余裕はない。でも皆さんは客観的に見てそれを表現してくれた。とても感謝している。絵もよかった。見とれていた。
完成した紙芝居は全部で23枚。島田さんは指摘を受けた服装をちゃんと修正していた。
活水高校平和学習部 島田朱莉さん(2年):紙芝居は平和について考える一つの手段、きっかけその架け橋となったと思っている。
活水高校平和学習部 竹内伶さん(2年):私達よりも下の子供たちにも原爆について知ってもらいたいし原爆は怖いがトラウマにはなってほしくない。トラウマにならずに原爆について受け止めて自分が今後同じ過ちをしないように伝えていく立場に回るんだよという思いも(紙芝居には)込められている。
完成した紙芝居を見た松尾さんは「私たちが話すことができなくなってもみなさんが世界中に伝えてくださることがよくわかった。」と若い力に期待を寄せている。
今できることは何か。被爆者と若者が手を組み、平和への願いを世界に広げる取り組みが始まっている。「わたしからあなたへ」は動画投稿サイトYouTubeの長崎原爆被災者協議会のチャンネルで公開されている。
(テレビ長崎)