柔道男子81キロ級で史上初の連覇を達成しオリンピックの歴史に名を残す快挙をなしとげた永瀬貴規選手。地元テレビ長崎のこれまでの秘蔵映像をひも解くと、寡黙で芯が強い永瀬選手の姿が浮かび上がる。

母校の支えで金メダルへ

今回のパリオリンピックの偉業達成後、高校時代の恩師・松本監督に永瀬選手からメッセージが届いた。

永瀬選手から松本監督へ届いたメッセージ
永瀬選手から松本監督へ届いたメッセージ
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オリンピック選手内定後、国際大会での頂点が遠のいていた永瀬選手。その頃、母校で練習を重ねていた。「帰ってこないか」と声をかけてくれたのが松本監督だった。

長崎日大中学高校柔道部 松本太一監督:
きょうは最強だった。レベルの高い中で優勝したのはさすがだった。

夢は「無敵の武道家」

長崎市出身の永瀬選手。柔道を始めたのは6歳の時だ。

小学生のころの夢は「無敵の柔道家」。

小中学生時代に指導した山口末男さんは「静かな負けず嫌い」だったと振り返る。

永瀬選手を小中学生時代に指導した恩師・山口末男さん:
小学6年で全国大会に出場した時、他の選手は負けたら町の見学に行っていたが、永瀬選手だけは最後までじっと他の試合を見ていた。その時に“この子は普通の子と違う。強くなる”と思った。

高校は柔道の強豪「長崎日大」に進学。長崎日大柔道部の松本太一監督は、天性の軸の強さをさらに強化しようと永瀬選手を鍛え上げた。

高校で2回の全国優勝を経験し、世代ではトップの実力を持つ選手に成長。

取材陣にからかわれる一幕もあり、大学生になっても謙虚で照れ屋な性格は変わっていなかった。

原点は頂点に立てなかった悔しさ

初めてのオリンピックは2016年のリオデジャネイロ大会だった。前年の世界選手権の王者として臨んだが、結果は敗者復活戦からの銅メダル。頂点に立つことができなかった悔しさが永瀬選手の原点となった。

永瀬貴規選手(リオデジャネイロオリンピックの試合後):
金メダルしか狙っていなくて、悔しい気持ちはたくさんある。しっかり噛みしめて、次にいかさないといけない。

81キロ級は日本にとっては鬼門の階級。日本としては16年ぶりのメダルだったが、永瀬選手にとっては到底納得がいく色ではなかった。

「次こそ金」を目指した永瀬選手を試練が襲う。右ひざの前十字靭帯の損傷だ。さらに「新型コロナウイルスによるオリンピックの延期」という想定外の事態も。

しかし永瀬選手は不屈の精神で乗り越え、2021年の東京大会へ。

ノーシードから5試合中4試合が「延長」という苦しい戦いを勝ち抜き、金メダルを掴んだ。永瀬選手を突き動かしたのは「金メダルへの執念」だった。

我慢の時を過ごすも「ゴールはパリ

2023年12月、永瀬選手の姿が母校長崎日大にあった。

後輩に投げられてしまう一幕も
後輩に投げられてしまう一幕も

後輩とデモンストレーションを行い、ふるさとでの息抜きの時間を過ごした。

22歳と若手だったリオから8年。ベテランとされる世代になっても最激戦の「男子81キロ級」のエースとしてパリ大会に内定した。

しかし、2021年の東京オリンピック以降の永瀬選手は5月の世界柔道は3位、8月ワールドマスターズ大会3位、12月グランドスラム東京3回戦敗退。頂点から遠のく厳しい時期となった。この状況は激戦の81キロ級だからなのか、年齢による体の変化なのか、若手の台頭なのか。

テレビ長崎の取材に対し永瀬選手はこう語った。

「あくまでゴールはパリ」と言い聞かせる永瀬選手
「あくまでゴールはパリ」と言い聞かせる永瀬選手

永瀬貴規選手(2023年12月):
30歳と年齢を重ね、昔との感覚のズレだったり良くも悪くもあるので、その中でもいかに自分の現状で、いまこの体で1年後の体で勝つための準備を試行錯誤しながらやっているが、結果には出ていない状況。生かすも殺すも自分次第なので、あくまでゴールはパリだと自分に言い聞かせながら前を見て進んでいる状況。

そして迎えたパリオリンピックの本番での2連覇という偉業達成。多くの人たちに支えられ、諦めずに研鑽(けんさん)を重ねた永瀬選手は、パリで「無敵の柔道家」という幼いころから夢をかなえた。

(テレビ長崎)

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