国際宇宙ステーション(ISS)の宇宙飛行士が交代する際、アメリカ側の交代を担当しているのが2002年に立ち上がったアメリカのスペースX社が開発した有人宇宙船「クルー・ドラゴン」。
NASAはスペースX社から「クルー・ドラゴンを使った宇宙飛行士のISSへの往復飛行というサービス」を購入しているということになる。
20世紀の宇宙開発は国家事業だったが、21世紀に入ると「主体は民へ、官は民からサービスを購入する」という形態に変化してきた。
その一翼を担う宇宙ベンチャー「スペースX」を創業したイーロン・マスクは、なぜ宇宙開発に着手できたのか。「ファルコン1ロケット」の史上初の商業打ち上げ成功までを科学ジャーナリスト・松浦晋也さんによる著書『日本の宇宙開発最前線』(扶桑社新書)から一部抜粋・再編集して紹介する。
電子決済事業から宇宙ベンチャーへ
イーロン・マスクは1971年、南アフリカ生まれ。カナダ経由でアメリカに移住し、1995年からネット関連事業の起業を始めた。1999年に電子決済の会社X.comを起業。
同社が同じく電子決済ベンチャーPay Palと合併し、そのPay Palが2002年にオンラインオークションのeBayに買収されたことで、彼は1億7580万ドルの資金を手に入れた。

これを元手に、マスクは2002年に宇宙ベンチャーのスペースXを立ち上げた。ちなみに翌2004年には2003年創業の電気自動車ベンチャーのテスラ・モータース(現テスラ)に出資して筆頭株主になり、同社会長に就任している。
イーロン・マスクはスペースX創業時に、トム・ミュラーをはじめとしたTRW社(※自動車部品メーカー)のロケットエンジン技術者グループをスカウトすることに成功した。
これが同社の発展にとって決定的な要因となる。TRWはNASAや国防総省のロケットエンジンの研究開発計画に長年携わって来ており、ロケットエンジンに関して豊富な技術的蓄積を持っていた。
小型衛星開発の先陣を切ったスペースX
そのTRWで第一線の研究開発に参加していたトム・ミュラーらを得たことで、スペースXは、なにもかもゼロからスタートするのではなく、それこそアポロ計画以来のアメリカの技術的蓄積の上に立って、ロケットの開発を始めることが可能になったのである。
スペースXが起業した2002年の世界の宇宙開発の状況はといえば、低価格を武器にしたロシアのロケットが、商業打ち上げ市場をリードしていた。
1990年代、米欧は政策的にロシアの航空宇宙産業と積極的な協力を進めていった。
ロシアの安価な打ち上げ手段が提供されたことで、欧米や日本では、小型・超小型衛星の開発が活発化した。数が増えれば、これらの国で小さな衛星を打ち上げるという市場の要求が拡大する。
すると、ロシアのロケットとは別に、小さなロケットに対するニーズも発生する。
1990年代のOSC製「ペガサス」ロケットは、大成功とまではいかなかった。まだ小型衛星の利用が十分に活発ではなかったからだ。しかし今度は状況が違う。
小さな衛星を打ち上げる小さなロケットが商業的に成功するかもしれない。
その先陣を切ったのが、イーロン・マスクであり、彼が立ち上げたスペースX社であった。
ファルコン1最初の顧客は国防総省
2002年時点では、「民間資金で液体推進剤を使用する小型の衛星打ち上げ用ロケットをゼロから開発し、運用する」という目標を掲げたベンチャーはスペースXのみだった。
スペースXが最初に開発した「ファルコン1」ロケットは、ケロシン(灯油)と液体酸素を推進剤に使う2段式の液体ロケットで、高度数百㎞の地球を南北に回る円軌道(太陽同期軌道)に200㎏という打ち上げ能力を持っていた。
スペースXはファルコン1の開発にあたって米国防総省の支援を受けた。まず、国防総省・防衛高等研究計画局(DARPA)は研究開発用の衛星打ち上げ契約をスペースXと結んだ。
つまり最初のファルコン1の顧客になったのである。このように、国の組織がベンチャーの製品を積極的に購入することで支援することを、アンカーテナンシーという。
また、スペースXは、太平洋・クウェゼリン環礁に米陸軍が保有するミサイル試験場のロナルド・レーガン弾道ミサイル防衛試験場を使用した。スペースXは米本土のカリフォルニア州の空軍施設からの打ち上げを希望したが、空軍が難色を示したためだった。
史上初の商業打ち上げを成功に導く
野心的目標を掲げたベンチャーの初期にありがちなことではあるが、ファルコン1の開発は決して順調ではなかった。
2006年5月の最初の打ち上げは、打ち上げ後33秒で第1段エンジン「マーリン」が停止してしまい、機体は落下して失敗した。
2007年3月の2号機は、第1段は正常に動作したものの、第2段エンジン「ケストレル」が予定よりも早く停止してしまい、失敗した。
2008年8月に打ち上げた3号機は、第1段と第2段が分離直後に衝突して失敗した。
度重なる失敗の末、2008年9月の4号機で、やっとファルコン1は打ち上げに成功した。
4号機は、衛星の代わりにダミーウエイトを搭載していた。
2009年7月の5号機で、ファルコン1は商業契約に基づき、マレーシアの地球観測衛星「ラザクサット」を搭載して打ち上げに成功。
これはベンチャーが民間資金で開発したロケットによる、史上初の商業打ち上げ成功であった。

松浦晋也
ノンフィクション・ライター。宇宙作家クラブ会員。1962年東京都出身。日経BP社記者を経て2000年に独立。航空宇宙分野、メカニカル・エンジニアリング、パソコン、通信・放送分野などで執筆活動を行っている