誰しもが1つや2つあるであろう”思い出の味”。沖縄県宜野湾市、普天間高校のすぐ側にある『中華どんぶりの店・点心』は、学生たちの胃袋を28年間に渡って満たしてきたのだが、この度、店のすぐ前を通る国道の整備や、市のまちづくり事業の一環により、立ち退きが決まり2024年8月10日に閉店する。
一人で店を切り盛りしてきた店主の比嘉さんは、一抹の寂しさを覚えながら閉店の日まで学生たちのために中華鍋を振り続ける。
開業以来、一度も値上げせず
普天間高校の校門のすぐそばに店を構える「点心」。

店の人気メニューは中華どんぶり弁当。
ボリュームたっぷりの弁当は手ごろな値段で、高校生たちの胃袋を満たしている。

店主の比嘉隆さんは、生徒たちから「点心のおじさん」と呼ばれ、親しまれている。

午前8時半。登校の時間帯から続々と注文が入る。
比嘉隆さん:
いまのところ、注文は50くらいだから。いつもこのくらい。いつも偏るんですよね だいたい豚キャベ、親子丼、マーボー、カレー、こんなのが多いかな野球部は牛肉関係が多かったよ。バスケ部はチキン丼だね
弁当の値段は開業以来、一度も上げたことがない。お腹を空かせた生徒たちの為だと比嘉さんは話す。
普天間高校の歴史をそばで見てきた

今年68歳を迎えた比嘉さんが点心をオープンしたのは今から28年前。
中華レストランのオーナーシェフを務める傍ら、点心をオープンした。
比嘉隆さん:
最初はそんなに続くと思わないんだよ。続くと思わなかった。でもやっているうちに、高校生なんかと話してくると楽しくなってくるんだよね。

料理の腕を振るいながら、生徒たちの部活動での活躍や、校舎の建て替えなど普天間高校の歴史も一番そばで見てきた。
比嘉隆さん:
また一年生が入学して、また卒業して、結局卒業生も来るから、お客さんの幅が、年代層が先生方よりも良く知っているねって言われるよ。俺28年間普天間高校にいるからねって。
生徒たちに愛される「点心」はもうすぐその歴史に幕を下ろす。
比嘉隆さん:
こっちは遊歩道みたいにするって話だよ。遊歩道。取り壊しよ。全部あっちまで。
ここは全部、このブロックは取り壊し。
普天間高校の前を通る国道330号線は、新たに整備されることになった。
また、市のまちづくり事業の一環で、老朽化した一帯の建物は取り壊され、新たに遊歩道や交流広場に生まれ変わる。
思い出の味を求めて

街の風景が移り変わるなか、「点心」も立ち退きが決まり、比嘉さんは8月10日に閉店することを決めた。「点心」には今、続々とお客さんが来店し、「点心のおじさん」は大忙しだ。
閉店の知らせを聞きつけた普天間高校の卒業生たちが訪ねに来ている。

2002年普天間高校卒業:
卒業生です。22年前の。笑
2006年普天間高校卒業:
久しぶりに来ました。海外に住んでいるんですけど、閉まるって聞いて帰省中に食べに来た。今、オランダに住んでいます。

2007年普天間高校卒業:
こっちの卒業生です。今は普天間高校の教員です。みんな高校のときは電話注文だったので、争奪戦でした。
いまでも卒業生達から電話での注文が舞い込む。
2002年普天間高校卒業:
点心の味はほかで食べられないくらい美味しい。
思い出。思い出の味。青春の味だよね。

この日、店には普天間高校卒業生を取上げたフリーマガジンを発行する編集者の姿もあった。
創刊号では、比嘉さんを取上げた。実は比嘉さんも普天間高校のOB。

2001年に普天間高校卒業した島袋隼人さん:
点心の食事に育ててもらっているので僕たちは。卒業生からしても点心は普天間高校の一部になっているので。卒業したら普天間高校には戻れないんですけど、ここは戻ってこれる普天間高校なんで。

取材したこの日、店内はまるで同窓会のような雰囲気に包まれていた。
午後1時。校門には長蛇の列ができていた。

男子高校生:
チャーハン買いました。親子丼買いました

女子高校生:
点心のおいしいところはいつも温かいご飯で、野菜もシャキシャキしてておいしいです。
女子高校生:
チキン丼は玉ねぎとチキンとピーマンがいっぱい入っていてタレもおいしい
点心があってこその私の普天間人生。そのものです。

「70歳までやろうと思っていたけど」「終わったら寂しくなる」
それぞれの青春の1ページに刻まれた点心の味。比嘉さんも一抹の寂しさを感じている。
Q:8月なって寂しいんですか? A:今はやっと辿り着いたかなって感じかな。一応70までやろうと思ったていたけど、まぁ近いさぁね。ゴール。そのときになったら、寂しくなる。終わったら寂しくなる。ゴールだけど。今はゴール目指してるだけ。

青春の記憶に残る思い出の味。街の景色が移り変わるなか、点心のおじさんは閉店の日まで生徒たちの為に鍋を振る。
<取材後記>
もともとは「点心」という看板を出していたが、どんぶりしか出していなかったため、「点心飲茶は無いの?」という問合せが多かったため、看板だけ「中華どんぶりの店」に変えたとのこと。
メニューは20年前から倍増。ピーマン食べられないから玉ねぎにしてだとか、オーダー聞いていたらメニューが増えた。
(沖縄テレビ)