静岡市の清水と言えば、「清水の次郎長」が有名だ。巴川のすぐそば、清水の次郎長の生家は展示施設になっている。名前の割によく知らない次郎長親分は、いったい何者だったのだろうか。
![静岡市清水区・巴川沿いを散策](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/e/f/700mw/img_efc71969649be3d83b7aa6be61224c8934214.jpg)
表通りでも一本裏へ入れば、そこはまるで別世界。静岡県民必見の裏スポットを巡る「しずおか裏表さんぽ」。静岡市清水区興津から、清水港をぐるりと囲むように走る 「しみずマリンロード」を散歩する。
巴川沿いを散策
雨上がりの巴川沿いをまず歩いた。川沿いには1997年に描かれた絵がある。茶畑や三保松原の天女など、清水らしい絵だ。
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進んでいくと「清水次郎長生家 300m」と書かれた看板を発見。行ってみることにした。
本名は「山本」だった
昔ながらの建物が多く残るエリアへ。清水の次郎長は一体何者なのだろうか。 名前の割によく知らない次郎長親分の正体を学びに行こう。
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次郎長生家は2017年に改修され、一般公開されている。
まず次郎長親分の本名は「山本長五郎」だった。高木家から母方の叔父・山本次郎八の養子に入り、養父「次郎八」の息子「長五郎」ということで「次郎長」と呼ばれた。そして、昔はどこの町の人かを頭に付けたので「清水の次郎長」というわけだ。
地域作りサポートネット
高木敦子 副代表理事:
江戸の末期から明治にかけて生きた人で、「東海道一の大親分」と呼ばれ、この地域のみなさんの暮らしを支えていました
「街道警固役」と言われる、今の警察署長のような役割も明治政府から任じられていた。
![地域作りサポートネット・高木敦子 副代表理事](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/a/2/700mw/img_a265aca7239fec1a97534d3f23da487464105.jpg)
大親分と言っても、庶民に迷惑をかけるような人物ではなく、地域の治安を守る「正義の親分」だったそうだ。
地域作りサポートネット
高木敦子 副代表理事:
若い頃は「切った張った」もありました。ケンカで「切ったり」、サイコロを転がして博打で「張ったり」です。自在にサイコロの目を出せたと言われています
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年表を見ると15歳までは「地域の問題児 悪ガキ時代」と書かれていた。
英語塾に港整備 功績がすごい
その後は国際化に目を付け英語塾を開いたり、川にあった港を海に移すために地域の人たちを調整するなど活躍。清水のために貢献した人だったそうだ。
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切った張ったの悪ガキ時代もあったようだが、清水港の近代化に奔走した人物だった。
恐怖! 大政の怖い武器
次郎長の子分と言えば「大政(おおまさ)」と「小政(こまさ)」。番頭のような役割で、大政は身長が180cmを越えていたという。当時としてはとんでもなく大きな人だった。
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生家では大政が振り回していたという武器「袖がらみ」も見ることができる。先端に金属のトゲトゲがついた棒で、敵の袖を絡め取って動きを封じる。
こんな武器を振り回していた次郎長の子分たち、やはり怖い人たち??
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次郎長親分あやかり「お守り」
お土産には次郎長親分にあやかったお守りはいかがだろうか。
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地域作りサポートネット
高木敦子 副代表理事:
次郎長さんは人生においても賭け事でも負け知らず。「勝札」を購入して「県大会で決勝進出した」とか「宝くじが当たった」という声をもらいます
次郎長が左手で必ず握っていたのはサイコロ。自らは自在に目を出せたので、一般の人には「賭け事に手を出すな」と諭していたそうだ。
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お金には困っていたそうで、天皇の侍従まで務めた山岡鉄舟に書を書いてもらい、それを担保に資金集めをしたという逸話も。それだけ人望があった証拠かもしれない。
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次郎長親分の人物像がわかっていただけただろうか? 次郎長生家は入場無料。一度訪れてみてはどうだろうか。
■施設名 清水湊 次郎長生家
■住所 静岡市清水区美濃輪町4-16
■開館時間 10:00~16:00 ※土日祝~17:00
■定休 火 ※祝日の場合は翌平日
■入場 無料
(テレビ静岡)